村上陽一郎

村上陽一郎

聖地・カイラス山を詣でるチベットの家族。子どもを連れて山道を歩く人もいる。標高6656mのカイラス山はチベット仏教徒、ボン教、ヒンドゥー教徒たちの聖地だ。

真の科学者へと駆り立てるのは神秘の感覚である

前回の章末で、村上陽一郎氏は「選択と集中」の危うさに言及した。では、「選択と集中」は悪といえるのだろうか。村上氏の答えはそうではない。ただそれを賢いものにするための「あるもの」を持つことが大切だという。デジタル化によりあらゆるジャンルで変革が進む今だからこそ知っておきたい、科学の進歩を考えるための論考第3弾。

Updated by Yoichiro Murakami on January, 11, 2022, 9:00 am JST

真の科学者へと駆り立てるのは神秘の感覚である

今、日本の研究機関で発表される科学論文が少なくなってきていることから、研究費の選択と集中を含め、科学者が論文を量産できるような仕組みづくりが議論されている。しかし、『ヘラクレイトスの火 自然科学者の回想的文明批判』でE.シャルガフはこう書いている。

「私に言わせれば、真の科学者へと駆り立てるのは神秘の感覚である。見えずに見、聞かずに聞き、そして無知覚に記憶する力、その同じ力、それがさなぎを蝶に変える。そのとき、背骨を走り下りる冷たい旋律。その息吹が涙する感動へと誘うような、広大で、不可視の顔(かんばせ)との出会い。それを少なくとも生涯の間に一回でも体験したことのない人は科学者ではない」

モンゴルの冬
モンゴルの冬。気温はマイナス20℃ほどまで下がるが、夜も若者は馬へ乗ってでかけていく。放牧している家畜がオオカミに襲われないよう見張りをするためだ。

論文を書くときにこの感覚が少しでもある人が科学者だといえるのではないか。そうでなければ、それは科学サラリーマンになってしまう。今の科学者たちは「ジャーナルに受け入れてもらえるような論文を、something-newを発表せねば」と急き立てられ、そこでみな四苦八苦しているが、科学とは本来自然の神秘に触れることだ。そのときに覚える総毛立つような感動を求めるのが本当の科学者なのだ。ノーベル賞をもらうような発見も、受賞のためではなく、そのような感動に出会った結果だったはずだ。

ところが今の科学の世界では、そのような神秘に触れる機会が少なくないままに、成果、それも社会的利得がありそうな成果がひたすら求められている。科学が余りにも世俗的なものになってしまった。神秘に触れるような思いを持とうとは思わず、「これを研究すれはノーベル賞もらえるか」とか「これを実現できれば、製薬会社が買いに来てくれるか」といった利益を考える気持ちが優先となり、感動にどこかで接したい、そういうものにめぐり逢いたいと思っている人が科学の道を選ぶ時代ではなくなっている。

研究者が利益のためだけに生きれば、自然の解明は滞る

これは一部の研究者を批判することになるが、明らかにノーベル賞をもらうために科学者をしている人もいる。すると行動原理が自然の解明のためではなく、自身の利益のためになっていく。

iPS細胞を開発した山中伸弥氏は、マスメディアの前で話すときに、ほとんど必ず研究のパートナーであった高橋和利氏について触れる。「彼の仕事がなかった自分の仕事の成功はない」とまで言われることもある。それだけの謙虚さを備えておられる。しかし時には、パートナーの協力を無視しようとする人もいる。

もっとも実際問題として、今の時代の研究者は、そのくらいのことをしていた方が成功への道が広いのかもしれない。DNAの二重らせんの構造を発見したジェームズ・ワトソンなどがいい例だ。彼は著書『二重らせん』のなかで、ライヴァルの研究チームとのスパイ合戦を得々と書いている。お互いに相手を出し抜くために、わざとレベルを落とした研究内容を相手のスパイに見せつけたりしている。ほかにも、彼は色々社会的に物議をかもす発言や行動をすることで知られている。

例えば、ワトソンがノーベル賞を受賞した後にIRB(Institutional Review Board)という機関ができた(日本では倫理委員会と翻訳されているが本来はどこにも倫理という言葉は出てこない)。医学や生理学などの分野の研究者は、この機関の中の組織に、研究計画や研究素材の費用、人材などを全部細々と書き上げた計画書を出して承認をもらわなくてはその研究をしてはならないというガイドラインが1975年にできたわけだが、このときにワトソンは、「IRB? 女性を委員長にしとけばいいよ。」と言ったという。こうした傾向は、分子生物学の世界に限ったことではなくなっているが、シャルガフは「自分は分子生物学者ではない。自分がやっているのは生化学である」と述べているのも面白い。もっとも、ノーベル賞を貰いそこなった「ひかれ者の小唄」と一蹴されることにもなろうか。