村山司

村山司

1980年ごろに撮影。モルディブに浮かぶ漁船。主にカツオを獲っている。カツオは焼いて細かくほぐし、唐辛子をあえて米にかけて食べると美味しい。

偉大な発見には、多くの知性の協力が不可欠である

AIの開発が進むにつれて「知性とは何か」を議論される機会が増えた。このとき人は知性をヒトの専売特許として考えがちだが、当然知性を持つ生き物は他にいくらでもいる。古くから知的な動物だと考えられてきたのがイルカだ。海獣学者の村山司氏は、イルカとのコミュニケーションを試みることで、知性の正体に迫ろうとしている。DX化が進みあらゆるものとの関係が変化していく将来においては、ヒトとは異なる社会性をもっているイルカの知性は何か開発のヒントを与えてくれるかもしれない。
ここではまず、村山氏が過去に行った実験から知性とはどこにあるのか、イルカは物事をどのように認知しているのかを紹介したい。

Updated by Tsukasa Murayama on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

イルカの知性、ヒトの知性

1960年代にアメリカの大脳生理学者のJ.C.リリィはイルカを「知的な動物」と評し、その論調は一世を風靡した。紀元前にアリストテレスがイルカのことをそう唱えてから数千年の時を経て、リリィのこの言葉によってイルカは再び賢い動物と言われるようになった。
しかし、何が賢いのだろう。それを丁寧に考えていくとイルカの知性とコミュニケーションの妙が垣間見えてくる。はたしてイルカとヒトの知性やコミュニケーションは同じなのか。イルカの心の世界から、認知やコミュニケーションについて想いをめぐらしてみたい。

群れの中で起きていること

船で海に出るとイルカの大群に出会うことがあるらしい。岸からさほど遠くない海で暮らしているイルカなら多くて数十個体くらい、広い大海で生活する外洋性のイルカになると数十、数百、時には千を超える数からなる群れをつくる。そんな光景はさぞや壮観であろう(筆者は船酔いがひどいので、そういう経験はない)。
群れの中でイルカたちはさまざまな社会的な行動をくり広げている。まるでヒトの社会行動のように、おしゃべりが始まり、仲が良くなることもあれば喧嘩をすることもある。また協力したり騙したりという行動も起きる。威嚇や闘争もあれば、オス・メスにかかわらず友好的な行動をしたり、あそび合ったりもする。仲間と共同して狩りもするし、驚くことに他の群れと連合を組んで行動することもある。

群れをつくる野生生物は多い。海の動物でいえばサンマやサバなどのサカナも群れをつくる。イワシの群れが輪になって水槽内を豪快に回転する様子は水族館で人気の光景である。そんなサカナたちは目の前にあるものが餌かどうかの識別はしているだろうし、天敵が現れたら逃げる術も心得ている。繁殖のためオスがメスの気を引こうとあれこれ苦心をしている姿は涙ぐましいものがある。こうした行動は行き当たりばったりのものやDNAに刻まれた本能によるものもあるが、さまざまな経験を記憶し学習した結果、身につけたものも少なくない。つまり、サカナにはサカナなりの認知機構がある。ではそんなサカナたちが群れで狩りをしたり、連合を組んで他の群れを襲ったりするかというと、そんな話は聞いたことがない。だからそんな行動をするイルカには、サカナよりさらに一段進んだ知性のレベルがあることになる。

イルカに見られる社会的行動は、視覚や聴覚を用いた巧みなコミュニケーションによって成り立っている。盛んに音を出し合い、あるいはお互いの行動を目で確かめ合いながら行われるのだ。それは海でも水族館のような飼育下でも変わらない。水槽内でそれまで自由勝手に泳いでいた2個体のイルカが、突然、ピタっと並んで泳ぎ、一糸乱れぬ様子でシンクロし始める。ヒトにはわからない、何かのコミュニケーションが存在している。
そんなイルカたちのコミュニケーションはどのような形式に基づいているのか。コミュニケーションが形作られるには、それを裏打ちする認知の仕組みが必要である。私たちヒトにしても、状況を認識せず、また相手が誰かもわからず、やみくもに人に語りかけることはしない。イルカだってそれは同じはず。よく状況を把握し、相手を同定しなければ、必要なコミュニケーションを図ることはできない。だからイルカのコミュニケーションを知るには、まずその認知のしくみを知ることが必要だ。そうした高度な認知能力がコミュニケーションの引き金となり、それが「知性」につながる。

脳は知性の指標たりうるか

そもそも「知性」とは何か。そこにはさまざまな解釈があり、決め手となる定義がない。しかし私たちは何となく漠然と「複雑な行動を生み出す、脳に由来する何か」といった意味を了解し、「知性」という言葉を使っている。脳に由来するものであるなら、脳がどのように情報を処理しているかを知ること、すなわち認知のしくみを知ることが知性を理解する手掛かりになるはずである。

「脳を知る」というと、まず最初に思いつくのが脳の生理的な特徴を調べること。どんな構造で、どのくらい神経細胞があるのかを調べることが知性の理解に結びつく要素だと考えるのは自然なことである。
確かにイルカの脳は大きく重いし、また表面にはヒト並みのシワもある。シワが多いと表面積が増えるので、その表面に分布している神経細胞も多くなる。実際、イルカには高等霊長類やヒトをもしのぐ数の神経細胞があるという計算がある。しかし、脳内のすべての神経細胞が知的作用に関与しているとは限らず、全然関係ない仕事をしている神経細胞だってきっとあるはずだ。

重さはどうだろう。アリストテレスの時代からイルカの脳は同じサイズの動物の脳よりはるかに大きいと言われてきた。しかしからだが大きければ脳も大きいので、脳の重さそのものが知能の優劣を表わすわけではない。そのため脳を指標とした評価には、脳の体重に占める割合が用いられることが多い。「脳化指数」と呼ばれるもので、脳の体重比に基づいて計算される値である。それによると、イルカはヒトに次ぐ値になっている。「地球上で2番目に頭のいい動物」と言われるのはこんなことも由来になっているのだろうか。しかし、かたい絆で結ばれた家族をもち、他のイルカたちより知的な狩りをすることで知られるシャチの脳化指数の値は、あまり社会的ではないと言われるネズミイルカの値よりも低い。つまりこの脳化指数もあてにならない。
どうやら脳のシワや重さだけで知性を語ることはできないようだ。