玉木俊明

玉木俊明

カナダ・ドーソンのカジノ。かつてはゴールドラッシュで栄えた街である。ディーラーは女性が多い。会場の奥ではカンカン踊りが披露されている。

(写真:佐藤秀明

私たちを支配する「手数料」

戦後にわたって続いたアメリカ型の支配が、終焉を迎えるかもしれない。これから覇権はどのように移り変わっていくのだろう。実は未来の覇権国を描く際には「キャッシュレス」のあり方が大きく関わることになるかもしれない。経済学者の玉木俊明氏が解説する。

Updated by Toshiaki Tamaki on February, 4, 2022, 9:00 am JST

コミッションキャピタリズムこそ資本主義の真の姿だ

私はここ数年間、本務校の京都産業大学の労働組合の執行委員長をしている。そういう立場にいるにもかかわらず、学生に対して次のように言うことがある。

「いいですか。執行委員長の立場で言わなければならないのは残念なことですが、資本主義で重要なのは自分が働くのではなく、人に働かせてそこから利益を得ることが最大の利益を獲得する方法なのです」

資本主義とは言うまでもなく一つの経済システムである。そしてどのようなシステムも、誰かが設計し、その設計者が最大の利益を獲得することになる。明確な意図を持って資本主義を設計した人は存在しないが、資本主義が基本的に欧米諸国のアングロサクソンがメインとなってつくったものであることは確かである。

資本主義の特徴は持続的経済成長だとされる。私たちは春闘のたびにベースアップを要求するのが通常であるが、それは経済が成長するものだという前提があるからにほかならない。

経済の成長とは、取引量の増大を意味する。取引がなされるときには、手数料(コミッション)が発生する。システムを形成するということは、その手数料を入手するということなのである。それは、いわば不労所得である。しかし私たちは、手数料は目に見えないものであるので、その重要性になかなか気づかない。実はこれは日本人の大きな弱点ではないだろうか。

具体例をあげよう。現在の世界では、キャッシュレス化が進行していることは周知の事実である。コロナ禍の現在においては、現金に触れずに決済できるためにさらにキャッシュレス化が進行するであろう。だが、取引には手数料がかかる。クレジットカードの加盟店は、クレジットカード会社に数パーセントの手数料を支払わなければならない。クレジットカード会社の多くはアメリカの会社なので、その手数料の少なからぬ部分がアメリカに流れていると推測される。しかしその具体的な額は一般の人たちに知られているわけではない。これは、現代社会の大きな問題ではないだろうか。

私たちは「コミッションキャピタリズムこそ資本主義の真の姿だ」ということに気づいていないのである。

構造的権力と覇権国

イギリスの著名な国際政治経済学者のスーザン・ストレンジは、「構造的権力」という用語を現代社会分析のための重要な概念の一つとして使用した。彼女の定義では、「構造的権力」とは、国際政治経済秩序において「ゲームのルール」を設定し、それを強制できる国家を指す。他の国々は「ゲームのルール」を築き上げた国に従わざるをえないというわけである。

さらにストレンジは、著書『カジノ資本主義』(訳:小林襄治 岩波現代文庫 2007年)のなかで「すべての国に同一のルールが適用される公平なシステムの代わりに、極端に非対称的なシステムが発展していた」 と述べた。ストレンジは1980年代の世界情勢をみながらこのような発言をしたが、そもそも世の中に公平なシステムなどありはしない。国際的な政治経済の状況において、どのような行動が正しいのかを決める権力は「構造的権力」と呼ぶべきであろう。

「構造的権力」をもてば、世界の政治経済の規範を決めることができる。いわばそれは世界の政治経済の規範文法を決めることができるということであり、それ以外の文法に則った国々は規範から逸脱したものとみなされる。

「構造的権力」をもっているのは、覇権国家の特徴でもある。覇権国家とは、経済的に何が正しいのかを決められる国家と定義することが可能だ。

資本主義社会で経済活動を営むということは、たとえは悪いが、カジノのような賭博場に参加することに似ている。賭博に参加するためには、人々はそのための資金を胴元に支払わなければならない。それは手数料のようなものだ。胴元(覇権国)は、一つのシステムを形成している人物であり、資本主義ゲームに参加する人たちは胴元に手数料を支払う客である。そしてそこにいる客は、手数料という名目で自分たちが胴元である覇権国にカネを巻き上げられて続けているという実感がないのだ。