玉木俊明

玉木俊明

カナダ・ドーソンのカジノ。かつてはゴールドラッシュで栄えた街である。ディーラーは女性が多い。会場の奥ではカンカン踊りが披露されている。

(写真:佐藤秀明

私たちを支配する「手数料」

戦後にわたって続いたアメリカ型の支配が、終焉を迎えるかもしれない。これから覇権はどのように移り変わっていくのだろう。実は未来の覇権国を描く際には「キャッシュレス」のあり方が大きく関わることになるかもしれない。経済学者の玉木俊明氏が解説する。

Updated by Toshiaki Tamaki on February, 4, 2022, 9:00 am JST

イギリスの覇権と手数料

周知のように、イギリスは18世紀後半に世界で初めて産業革命に成功した。一般に、イギリスはそのために世界最大の経済大国になり、多額の利益を得たと考えられている。しかしイギリスの貿易収支は赤字であり、19世紀から20世紀初頭にかけ、赤字額はどんどんと大きくなっていった。実はイギリスの利益は、製造業ではなくサービス産業や金融業によって得られていたのである。

カナダ・ドーソンのバーにあったレジ
カナダ・ドーソンのバーにあったレジ。2016年ごろ撮影。現役で使われていた。

そしてさらにイギリスは世界の電信の大半を敷設した。電信のおかげで、イギリスは世界の情報の中心となったばかりか、送金をおこなうことをはじめとするさまざまな経済活動を活性化させることができたのである。それはイギリス経済の大きな強みになった。

コミッションキャピタリズムとイギリスの覇権

手数料そのものはおそらく太古から存在し、商業や貨幣経済が発展するとともに巨大化していった。そしてグローバリゼーションが進み、世界経済が一体化して貿易量が大きく増えると手数料収入は膨大なものになっていった。

1815年にナポレオン戦争が終わると、ヨーロッパの金融の中心はロンドンに移った。イギリスはこれ以降積極的に海外進出をし、1870年代には世界経済のヘゲモニーを握る国になる。それは、電信の敷設と表裏一体の関係にあった。

イギリスは世界中に電信を敷設し、電信の使用で巨額の手数料収入を得た。電信はメンテナンスして維持しさえすれば、確実に儲かるシステムだったのである。

イギリス以外の国々で起こる経済成長はイギリスに富をもたらした。世界のどこかで経済成長が起きればイギリス製の電信が使われるので、イギリスは十分に儲かる手数料を獲得できた。イギリス以外の国同士での取引であっても、イギリス製の電信、船舶、さらには海上保険が用いられ、ロンドンの金融市場で決済された。
さらに電信は鉄道の情報のやりとりにも利用された。そのために鉄道の発達によっても、イギリスには手数料収入が発生したのである。このようなイギリスの資本主義とは、「コミッションキャピタリズム」であり、世界経済はそれに支配されているといっても過言ではない状況が生まれた。

1870年頃からイギリスは工業生産高で他国に追いつかれはじめ、世紀末には世界第1位の工業国家ではなくなり、やがて20世紀になると世界の工場としての地位をドイツやアメリカに譲った。だがその一方で、イギリスは世界最大の海運国家であり続けた。アメリカやドイツの工業製品の少なくとも一部はイギリス船で輸出され、イギリスの保険会社ロイズで海上保険をかけた。さらにロイズは海上保険における再保険の中心であったことから、再保険市場の利率が海上保険の利率もある程度決定した。だからイギリスはたとえ工業生産では世界第一位の国ではなくなったとしても、何も困ることはなかった。むしろ世界の他地域の経済成長が、イギリスの富を増大させることにつながったのである。経済システムを形成したイギリスに、手数料として自動的にカネが流入する仕組みが出来上がっていた。

資本主義社会という賭博場でより多くのカネが流通すればするほど、イギリスは儲かるようになった。持続的経済成長という資本主義のシステムは、イギリスにより多くの資金をもたらすようになったのである

イギリスは、「世界の工場」ではなくなっていった。しかしもしイギリスが「世界の工場」のままであり、手数料資本主義を発展しなければ、イギリスは覇権国家にはなれなかったであろうし、ゲームのルールを決定することもできなかったであろう。

他国が工業化を発展させたことで、イギリスはその工業製品の輸送の少なからぬ部分を担うことになった。そして国際貿易の決済を担うことができたからこそ、ヘゲモニー国家になれたのである。