松浦晋也

松浦晋也

北極に設置された大型アンテナの影。日々衛星からのデータを受け取っている。

(写真:佐藤秀明

新自由主義が狭めた宇宙

最先端技術の創出・実践の場となっている宇宙開発関連の事業。そこを見ていれば、やがて社会に起こりうる課題も浮かび上がってくるかもしれない。今回は科学ジャーナリストに新自由主義が宇宙産業にもたらした影響について紹介してもらう。

Updated by Shinya Matsuura on March, 30, 2022, 8:50 am JST

新自由主義で高い評価を受けたロナルド・レーガン

第40代アメリカ合衆国大統領を務めたロナルド・レーガン(1911〜2004)という人は、アメリカにおいては高い評価を受けている。高評価の理由は主に2つ。まず「ソ連との冷戦を勝利のうちに終結させた大統領」という点。もうひとつはレーガノミクスと呼ばれた新自由主義的経済政策で好景気を誘導し、アメリカ経済を成長させたというものだ。

レーガンの評価は初期から高かったわけではない。彼は大学卒業後にラジオのアナウンサーを経て、ハリウッドで俳優となった。特に演技が上手いわけではなく、俳優としては大成しなかったが、俳優組合の運動に参加することで政治の世界に触れ、政治活動へと徐々に軸足を移していく。二枚目で通用する甘いマスクと高身長、そしてアナウンサー経験で培った流麗な弁舌は、政治活動にも役立った。政治的立場は、個人の自由意志を重んじて政府による規制を最小限にすべきという共和党の主張に沿ったものであり、1948年から1954年にかけて共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員が主導した共産主義排斥運動、通称「赤狩り」に協力した。

1967年にはカリフォルニア州知事に当選した。州知事時代は「ベトナムを爆撃で駐車場にしてしまえ」などと言って舌禍事件を引き起こしたりもしている。1968年からは大統領選への挑戦を開始。1968年、72年、76年と共和党の予備選で敗退したが、1980年は共和党の大統領候補に指名される。民主党の現職であったジミー・カーター大統領がイランのアメリカ大使館人質事件への対応で人気を落としたことから選挙に勝利し、1981年1月20日、大統領に就任した。この時レーガン69歳。ここから彼は途中で暗殺未遂に遭遇しつつも2期8年の任期を全うし、「偉大な大統領」という評価を得た。では、なにがどのように「偉大」だったのか。

バハ・カリフォルニア砂漠
バハ・カリフォルニア砂漠。気候は比較的穏やかだが山賊が出るという。砂漠の向こうは海だ。

彼の思考の根本は、アメリカ草の根の自由主義だった。個人を重んじ、その自由意志を妨げるものを排除する。妨げるものの中には、人間社会に秩序をもたらす政府も入っている。政府は小さいほど良いし、政策的規制は少ないほど良い。
とはいえ、それを大統領が打ち出す政策として具体化するには、単なる個人の嗜好だけでは済まない。強固な論理の背骨が必要となる。レーガンの場合、政策の背骨となったのが新自由主義——ネオリベラリズムだった。特に経済学としてのネオリベラリズムだ。

経済学におけるネオリベラリズムは、ケインズ学派のように、政府が積極的に政策的に市場に介入し、様々な調整を行うことを否定する。個人の自由意志こそが至高の価値を持つ。だから市場は市場のダイナミズムに任せるべきだ、それが個人の創意工夫を引き出し、社会を活性化させるという考え方だ。この論理でネオリベラリズムは、政府による大型の福祉政策を否定し、規制を緩和する。減税をするから政府支出は絞る。絞るためにも規制を緩和して、政府の仕事を減らす。減らした仕事は民間に任せることになる。

レーガノミクスの基本は4つ。1)歳出削減、2)減税、3)規制緩和、4)安定したマネーサプライ——である。減税をすると、資本は企業に蓄積される。そこで規制緩和だ。その資金を投資に誘導すれば、新たな技術、新たなサービスが生まれることになる。一方で国民もまた減税の恩恵を受け、他方で福祉が削減されるので貯蓄に回すことになる。貯蓄もまた株式市場などを通じて投資に回ることになる。減税の原資は福祉などの削減による小さな政府を実現することで捻出し、その一方で市場への通貨の供給は絶やさないようにする——というのがレーガノミクスの構図であった。