玉木俊明

玉木俊明

ウイグル自治区のホータンにて、市場の外れで男性と少年が談笑していた。羊を売りに来たか、それとも買ったか。2015年ごろ撮影。

(写真:佐藤秀明

企業の価値は存続にある

企業が長期的に存続し、発展していくためには「ファミリービジネス」が参考になるかもしれない。15世紀末にイベリア半島を追放されたセファルディムというユダヤ人集団は独自のネットワークを駆使して、長きにわたり世界に影響を及ぼしてきた。経済史学者の玉木俊明氏が解説する。

Updated by Toshiaki Tamaki on May, 9, 2022, 9:00 am JST

事業の永続性を最大の目的としたファミリービジネス

ファミリービジネスは、大昔から現在まで企業形態の中核を形成してきた。なぜかというと利潤の最大化ではなく、事業の永続性こそが最大の目的となるからである。

最近私が翻訳したフランチェスカ・トリヴェッラートの書物『世界をつくった貿易商人―地中海経済と交易ディアスポラ』(2022年 ちくま学芸文庫)からも、経済活動におけるファミリービジネスの重要性が認識できる。同書から、近世イタリアにおけるユダヤ人の事業形態と、彼らが事業を継続させた方法について述べてみたい。

正確に言えば、トリヴェッラートが対象としているユダヤ人とは、15世紀末にイベリア半島を追放されたセファルディムと呼ばれる人々である。彼らの一部はイタリアに住み着いた。ではセファルディムのファミリービジネスのあり方は、現代の私たちに、どのような示唆を与えるのだろうか。

家族内で商業資本の流通を維持したレビラト婚

ファミリービジネスを論じるためには、婚姻形態について述べておく必要がある。ユダヤ人の法律と慣習によれば、婚姻契約は、おもに二つの支払いから成り立っていた。一つは、持参金(nedynya)と寡婦産[寡婦が相続する死んだ夫の財産](tosefet)。そしてもう一つは、花嫁が初婚であるかどうか、離婚していたか未亡人であるかによって変わる少額の金(mohar)である。ヴェネツィアとリヴォルノのセファルディムのあいだでは、寡婦産と持参金の合計額が、夫が管理する資産の総額となった。

妻が夫より先に死んだなら、持参金も寡婦産も夫のものとなった。夫が死ぬか破産状態に陥ったなら、未亡人には家族が支払った持参金とすべての(もし子どもがいない場合には、少なくとも半額の)寡婦産を返却される権利があった。ユダヤ法によれば、合資会社が破産したときに、持参金による資産は債権者の請求から保護された。そのため、商業資本が保護されることになった。

大きな切り株の上を歩き回る人たち
ジャイアントメタセコイアの切り株の上を歩きまわる人々

ユダヤ人は、レビラト婚[寡婦が死亡した夫の兄弟と結婚する慣習]を採用していた。そのため、巨額の持参金がもたらされた花婿の家族の家督は減少しなかったのである。17〜18世紀においては、子どものいない寡婦は、亡くなった夫の兄弟のなかで最年長の者と結婚しなければならず、寡男は故人となった兄弟の寡婦と結婚しなければならなかった。

リヴォルノとヴェネツィアでレビラト婚がどのくらいの頻度でおこなわれていたのかはわからないが、現実には、レビラト婚は、セファルディムの家族と結婚した人々のあいだで広まったとされる。

このようにして、セファルディムは近親結婚の家族集団内部で商業資本の流通を維持し、世代を超えた財産相続を可能にした。セファルディム同士では、滅多に契約を結ばなかったが、それは家族間の絆が強く、わざわざ結ぶ必要がなかったからであろう。さらに社会的・文化的障壁のために、ユダヤ人とキリスト教徒が商業活動を共同で営むことがあまりなかったことも影響しているであろう。

ヴェネツィアにおいても、セファルディム商人は、有限責任の合資会社ではなく、合名会社を運営した。合名会社は全員が無限責任を負っていたが、この内在するリスクを上回るだけの大きな利点があった。会社の存続期間は無限であり、海外のパートナーに決定権を委任する能力を提供したのである。

ファミリーだからこそ迅速に意思決定できた

ここで別の地域に目を向けると、オランダのセファルディムも、親族とパートナーシップ契約を規定するときには公証人を使わなかった。一方でユダヤ人と非ユダヤ人の両方と取引するときには、絶えず非常に多様な形態の公証人証書を起草していた。傭船契約、海上保険、委任状、短期借入契約、将来の訴訟で使用されるはずの証明書、売買、他の形態の取引に関するものなどだ。 これはおそらく、ユダヤ人は同胞に対するほどには異邦人を信頼していなかったからである。

近世のヨーロッパではまだ輸送と通信伝達のスピードが遅かったため、商人の意思決定には大きなリスクがあった。しかしセファルディム商人が相互に代理商を務めることで、リスクが減少することになった。リヴォルノとアレッポで活動しているセファルディムの合名会社には、それぞれの支店に自治権があった。そのためセファルディムは、他のヨーロッパの競争相手よりも機敏に行動できたのである。

ここで強調すべき重要な点は、セファルディム商人の合名会社は、機を見て、非ユダヤ人との取引関係を、場合によっては長期間結ぶことができたということである。依頼人に代わって商業取引をおこない、その手数料を受け取る委託代理商は、第三者のために契約した商品とサービスの総額の1パーセントを受け取った。委託代理商は、事業に対して完全な法的責任を負った。セファルディムは、異邦人を委託代理商として使用し、非ユダヤ教徒との取引を実行した。

セファルディム商人は、委託代理商がきちんと行動するべく監視された。たとえば、リヴォルノのエルガス&シルヴェラの委託代理商には、ヨーロッパと地中海の港湾都市のキリスト教徒、ポルトガル領インドの首都であるゴアのヒンドゥー教徒もいた。したがって、地域横断的な家族は、伝統的な結婚とパートナーシップの協定により接着される一方で、有限責任の形態をとる合資会社とはあまり取引しなくても、商業ネットワークを拡大することができたのである。

強固な絆で結ばれた同胞が広い地域に住んでいることの利点

セファルディムはマイノリティーであり、信頼できる人々とはユダヤ人しかいなかった。そのためファミリービジネスを選択し、同胞内部では契約書も作らないほどの信頼関係があった。もしも、あるセファルディムが詐欺的行為をしたとすれば、それはたちまちのうちにヨーロッパ全土に広がるセファルディム共同体に広まり、評判を落とし、取引を続けていくことは不可能になった。

セファルディムがすべての構成員が無限責任を有する合名会社を選択したのは、無限責任を受け入れられるほど互いの信頼関係が強かったと考えるべきであろう。

それに対し、異邦人に対してはきちんと契約を交わした。これは、ユダヤ人(セファルディム)同士ほどには異邦人との取引に信頼性がなかったということであろう。セファルディムはマイノリティな人々であり、だからこそ家族間での事業を選択したと考えるべきではないか。

ディアスポラの民であるセファルディムは、地理的に拡散しており、地域横断的な家族の紐帯があった。したがって、セファルディムは、地域を超えた取引をおこなうことが比較的容易だったのである。

ヴェネツィアとリヴォルノでは、ユダヤ人と非ユダヤ人間のパートナーシップ形成に関する法的禁止は存在しなかったが、ユダヤ人とキリスト教徒間の婚姻関係がなく、二つの集団間で社会的距離があったために、二つの宗教間のパートナーシップはほとんど考えられなかった。

娘を嫁がせ、ネットワークを拡大

セファルディムのあいだで支配的であった婚姻スタイルは、合資会社が必然的に伴うリスクの大部分を相殺した。血縁関係同士の婚姻、持参金と寡婦産、レビラト婚は、小さな同族集団内部の商業資本流通を促進した。利益をもたらす取引の遂行が通信伝達のスピードが遅いために致命的打撃となりうる世界において、家族からなる合資会社は、相互に代理商を務めることで、すばやく行動することができたのである。さらに、家族からなる合資会社は、企業寿命が比較的長くなった。ファミリービジネスが短期的危機を乗り越え、信頼と評判を長期的に強化することになった。全体として、これらの利点は、永続的リスクを大きく減少させる点で、非常に魅力的であった。そのリスクとは、一人の不正直で専門知識がないパートナーのせいで、他のすべての人々が企業活動を続けられないかもしれないということであった。

カメラの前に集まる家族
1972年ごろ撮影。ギリシャの田舎。当時日本人は非常に珍しく、行く先々で写真家は村人に取り囲まれ、家へ招待された。冷蔵庫の中を見せられて「何が食べたいか」と聞かれることもあったという。

セファルディム商人は、非ユダヤ人とのパートナーシップを、たとえ有限責任でさえ形成することはほとんどなかった。彼らは、血縁関係にある人々に依存することになった。セファルディムの家長は、ことファミリービジネスのことになると、決して革新者ではなく、たまたま好都合な社会規範を再生産したのだ。それは、彼らが娘たちを使って(嫁がせて)ネットワークを拡大し、商業資本を確保することができたからである。

かといって、セファルディム商人の活動が、自動的に、血縁と同一宗派を信じる人々の小さな集団に限定されてしまったわけではない。多くのセファルディムは、たとえ非ユダヤ人とのパートナーシップにサインする気がなくても、非ユダヤ人を現実に委託代理商として雇用した。そうして彼らは活動範囲を、同一宗派を信じる人々が住んでいなかったり、市場で強い力をもっていなかったりした場所にまで広げたのである。そこに、セファルディムの強みがあった。

無形資産が最重要視した近代の商人たち

近世世界において、取引相手に関する情報はなかなか入手できなかった。遠隔地との取引には時間がかかり、出費を回収することは難しいこともあった。しかし彼らは、できるだけ正確な情報を得ようとし、商業を続けたのである。そのときに重要であったのは、評判reputation、信頼trust、信用creditであった。

商人の世界では、良い評判を得ることが重要であった。さもなければ、商売を続けていくことは不可能であった。良い評判がある商人が信頼を勝ち取り、信用を勝ち取ることができる。近世世界では、固定資本は少なく、直接投資はあまりない。遠距離貿易では、投下資本の回収にはかなりの時間がかかった。こういう社会では、資産として、固定資産ではなく、無形資産が重要になる。

無形資産とは、技術や情報、ノウハウなどの目に見えない資産のことをいう。現在膨大な利益を計上しているGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などのIT産業では、貸借対照表に多額の無形資産がある。それは、製造業を中心とし、無形資産をほとんど資産として計上しない日本の企業とはまったく異なる姿である。

近世の商人世界では、無形資産が最重要視された。そして商人は、利潤の最大化ではなく、商会の永続性を望んだ。それは、一族が長期間にわたり生き延びなければならないからである。そのため商人は、取引相手の無形資産を適切に評価し、本当に取引すべき相手かどうかを判断した。ヨーロッパ近世の商業世界を理解するためには、このような点を理解する必要がある。

経営と所有の分離はアングロサクソンモデルに偏った考え

近世の商人には、いうまでもなくインターネットはなく、電信も電話もなく、もっとも頼りになる情報の伝達手段は商業書簡であった。商人は、仲間にせっせと手紙を書き、必要な商業情報を伝えた。そうすることで、事業遂行に必要なリスクを可能なかぎり削減しようとした。近世の資本主義とは、まだまだパーソナルな関係に依存したネットワークをベースとして機能していたのである。

ファミリービジネスは、どの時代、そしてどの地域においても、ビジネスの基本単位である。われわれは経営と所有の分離こそが近代的経営だと思いがちであるが、現実には、それはアングロサクソンモデルに偏った考えであり、たとえ大企業であっても現在もなお家族経営の企業は多い。

企業は短期的な利潤を追求し、さらに利潤の最大化を図るというべきだというのが、現在の経営学、経済学の主流の見方であろう。だがこのような観点に立つなら、ファミリービジネスの重要性は見えてこない。経営者が従業員ではなく株主の利益を重んじ、短期的に利益を獲得し、会社を他者に売ってもかまわないなら、ファミリービジネスは成り立たないだろう。

企業の価値は短期的な利潤追求だけではない

キリスト教徒に取り囲まれた世界で、セファルディムは、家族の絆を大切にして事業を遂行した。このような絆の重要性は、どの地域、どの時代にも当てはまるはずだ。

企業の価値は、単に利潤獲得にあるわけではない。企業が長期的に存続しようとすれば、短期的に利益をあげるのとは違った戦略が必要とされる。とりわけファミリービジネスにおいては、親族の中から優秀な者を選び、財産を分散させずに済む方法を考案しなければならない。しかも、親族だけで商売が続けられるわけではない。このような状況において、セファルディムは委託代理商を利用することで、異邦人と通商関係を保ったのである。

私たちは、ファミリービジネスの重要性を見直すべき時期にきている。それは企業が短期的利益を重視するのではなく、長期的に人々が安心して働ける環境を提供すべきであるという私自身の主張にとって、ファミリービジネスが貴重な事例を提示してくれるからである。さらに長年教員をしていて、学生を安心して送り出せる企業とは、利潤の追求ではなく、従業員を大切にし、できるだけ長く働いてもらおうという意思のある企業だと実感しているからだ。