池上高志

池上高志

目つきが鋭い野生のハイイロオオカミ。カナダにて撮影。

(写真:佐藤秀明

身体をもたないAIは、人工生命化する技術の中のひとつに過ぎない

《3月28日配信》シンギュラリティはすでに起きている? 予想を越えているAI技術とその空洞の中身」では、AIの発展が人間の脅威となりうるのかどうかが論点となるかもしれない。おそらく、池上高志氏はこの論点には反対の立場をとることになるだろう。その根拠を過去の著作『人間と機械のあいだ』から紹介しておこう。

Updated by Takashi Ikegami on March, 16, 2023, 5:00 am JST

ALIFE研究者である飯塚博幸とエゼキエル・ディ・パオロもまた、コンピュータによる進化ロボット実験でスピノザ的な考えを実証した(Hiroyuki Iizuka & Ezequiel Di Paolo, “Towards Spinozist Robotics”, Adaptive Behavior, 2007)。神経細胞同士の結合強度には「可塑性」があり、神経細胞が発火しすぎたり静かになりすぎたりすると、その結合の強さが変化して、神経細胞の発火頻度を一定の範囲内に保とうとするという。これもまた、ホメオスタシス原理と考えることができる。このホメオスタシス原理を使って、例えば自分のエネルギー源のある場所へ向かって運動すると、ホメオスタシス的に優利であれば、その行動が促進される。こうしたロボットは、スピノザ的なロボットと言える。

ALIFEでは、ロボットの運動のメカニズムを、「センサー”モーター・ループ」によって理解する。例えばブライテンベルクは、外を感覚するセンサーから、外に働きかけるモーターへと伝わる回路があり、そのモーター出力の結果をセンサーが環境を通して受けとり、モーター出力を変化させてゆく……これを繰り返すことで、「適切な」行動が組織化される生命の行動原理は電気回路的に説明がつく、という(Valentino Braitenberg, Vehicle, 1984)。「身体性」の中には、運動パターンが幾十にも埋め込まれている。それを意識的に引き出すのではなく、身体にパターンが立ちあがり、そこに「心」が後付けされる。スピノザの考えと、この「センサー=モーター・ループ」の考えは呼応している。つまり運動は、ホメオスタシスにある。スピノザは、「身体のもろもろの受動と能動の秩序は、本性によって、精神のもろもろの受動と能動の秩序と連動する」という。だとすると、ALIFEが世界に身体を持って現れた瞬間から、そのあとの進化と共に倫理もまた自己組織化した結果と考えてもいいのだろう。

行動の選択は「無意識」が決めてしまう

僕は人工生命化される技術に新しいユートピアを見ている。そこには「新しい人間」の創造があるべきだ。ホメオスタシスを保つために感情による判断があると言ったのがダマジオだ。考えや行動のパターンは次々に更新され、新たなホメオスタシスのための形質、例えば言語が生まれてくる。自然言語だけではない。コンピュータの言語や数学の言語も生まれてくる。認識や判断も生まれてくる。

論理的判断は、意識のたまものである。科学技術もまた意識の産物だ。しかし元々ホメオスタシスには、スピノザ自身が言うように「無意識の技術」の寄与するところが大きいと思えてくる。たしかに、実際のところ行動の選択は、無意識に決まってしまうことも多いのだ。果たして無意識の技術なんてものがあるのか?知らずに積み上がって過剰にあることが作り出す構造と力。進化と経験が自己組織化する無意識のパターン。そうしたものにもっと目を向けていかなくてはならない。

*この本文は『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(池上高志・石黒浩 講談社 2016年) の一部を抜粋し、ModernTimesにて若干の編集を加えたものです。

イベント情報

この本の著者である池上高志氏が登壇するイベントが、2023年3月28日にオンラインにて配信されます。タイトルは「シンギュラリティはすでに起きている? 予想を越えているAI技術とその空洞の中身」。参加費は無料。どなた様もお気軽にご参加ください。お申し込みはこちらのフォームからhttps://forms.gle/5tu8okUpbQq4uxMV6