井山弘幸

井山弘幸

(写真:WindAwake / shutterstock

集めることを、知ること、創ることにつなげるためには

ものを集めるということは知識の獲得の手段になりうる。「もの集め」をざっと一覧して、もの集めが、知ることや、創る行為とどのように関わりをもつのか考えてみよう。

Updated by Hiroyuki Iyama on April, 17, 2023, 5:00 am JST

化石のメアリーの時代には、一部から全体を構想する想像力が働いた

同じ石でも化石を集めることに熱中したメアリー・アニング(Mary Anning,1799 – 1847)の場合は事情が異なる。メアリーはイギリス南部沿岸ドーセット州のライム・リージス沿岸で、子供の頃から懸命に化石を探しては収集した。この地域は現在ジュラシック・コースト(Jurassic Coast)と呼ばれ、2001年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された化石ハンターの聖地である。中生代のジュラ紀の地層であると後に比定されるが、好事家相手に化石を売ることで生計を立てていたアニング家では、そんなことはどうでも良かった。メアリーは貧困のため学校に行けずに、半ば家業であった化石収集をしていたのである。18世紀末頃より化石は富裕層の骨董趣味のために宝石に匹敵する貴重で高価な商品アイテムとなっていた。

メアリーは12歳の時にイクチオサウルスの全身化石を発見する。これは中生代に巨大な爬虫類である恐竜が棲息していたことを示す、重要な発見であった。彼女は更に別の恐竜イクチオサウルスの化石も発見している。収集行為が端的に発見に結びつく例である。

(写真:Alizada Studios / shutterstock

鉱物の収集とは対照的に、この時期の古生物学は一部の身体器官の化石から全体像を想像し、復元することに関心があった。即ち、分析よりは綜合に興味がもたれた。たとえばイグアノドンIguanodon)は当時化石が見つかった恐竜だが、この名前は文字通りトカゲ(Iguana)の歯(don)に由来する。1822年頃に化石マニアのギデオン・マンテル医師(Gideon Algernon Mantell、1790 – 1852)が工事中の道路で巨大な歯の化石を発見したことが事の始まりである。一本の歯の化石から全体を構想する想像力は、執念を感じるほどの凄まじいものである。全身骨格は1878年にベルギーのベルニサール炭鉱で発見された。