井山弘幸

井山弘幸

(写真:WindAwake / shutterstock

集めることを、知ること、創ることにつなげるためには

ものを集めるということは知識の獲得の手段になりうる。「もの集め」をざっと一覧して、もの集めが、知ることや、創る行為とどのように関わりをもつのか考えてみよう。

Updated by Hiroyuki Iyama on April, 17, 2023, 5:00 am JST

「ただの石ころ」は永遠に石ころだが……

歴史に残る精緻な建築作品を残したシュヴァルと比べては申し訳ないのだが、ただ集めるだけでは収拾がつかなくなった滑稽な例をここで補っておこう。竹中直人監督・主演で1991年に映画化された「無能の人」である。原作はつげ義春の漫画で「石を売る」に始まる連作だ。物語を簡単に説明すると、主人公の助川は、あれこれと商売に手を出すが、ことごとく失敗してしまう。中古カメラ業や古物商、どれもうまく行かない。挙げ句の果て、多摩川の河原で拾った石を掘立て小屋に陳列し、石を売る商売を始める。シュヴァルのような人目を惹くような美術品のような石とは全く違う。ただの河原の石である。もちろん売れることなく、挙げ句、風吹ジュン演じる妻に馬鹿にされるも、諦めない根性だけは持ち合わせている。石を売ることは助川の夢であった。渡し船を営業し、河原では店を出し飲料や甘酒を売りながら、好きな石を並べることは彼なりの多角経営だった。挫折した助川は「美石協会」のオークションに出品したが、とうとう売れずに終わる。

墓石だとか庭石ならば実際に流通しているのだから、河原の石を拾い集めて売るという発想は決して悪いわけではないし、単に市場が開拓されていなかっただけの話とも受け取れるけれど、「無能の人」のタイトルが意味深長に響く。ただの収集に何らかの知恵を施さねば、「ただの石ころ」は永遠に石ころのままなのだ。

落語の三代目桂米朝の名演が懐かしい「はてなの茶碗」はこれに重要な示唆を与える。江戸落語では「茶金」である。京都清水寺の音羽の滝のほとりで、油屋が茶屋で休憩しているとそこに有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が腰かけているではないか。見ると茶金は茶碗のひとつをひねくり回し、しきりに「はてな?」と首をかしげる。これを見て何かあると早とちりした油屋は、あの茶金が注目したのだからさぞかし値打ちがあろうとその茶碗を買いいれる。嫌がる店主に大枚二両を払う。鑑定を頼もうと茶金を訪れると、何のことはない「はてな」の理由は茶碗から湯が漏れ出ることにあった。三両もらって慰められ油屋が帰ると、この一件、京の街の噂となり実見した関白鷹司公が「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」と歌を詠む。とうとう時の帝の知るところとなり、帝が手にとると、やはり茶碗から湯が滴る。御裾を濡らしたのを興じて、茶碗に帝御自ら「はてな」の箱書きを加えると、しまいには好事家の鴻池善右衛門が千両の値をつける、という噺である。

量産品の二束三文の茶碗であっても、由来と権威が加わると名品となる。収集品に加える理論的解釈の一つの例である。