岡村 毅

岡村 毅

North French|Death of the Virgin|ca. 1450–1500

(写真:メトロポリタン美術館 / The Metropolitan Museum

「医療では死は敗北なのです」。まだデータ化されていない看取りの現場で起きていること

医療はデータサイエンスがその力を大きく発揮できる分野ではあるが、同時に人間と人間の営みであるがゆえにデータ化されにくい事象が多い領域でもある。老年精神医学会専門医が終末ケアを担う人々の声を拾い、その実情を探った。

Updated by Tsuyoshi Okamura on May, 16, 2023, 5:00 am JST

死が近い現場で、死はどのように語られるのか

しかし私は、死が近い現場で死がどのように語られ、あるいは語られないか、知りたくて仕方がなかった。幸い素晴らしい仲間との知遇をえて、少しだけ迫ることができたので最後に紹介したい。

私たちは、僧侶かつ研究者という人々と、医学や心理学の研究者で研究チームを組み、死が近い高齢者をケアする病院や施設のスタッフにインタビューをするという研究をした(引用2,3)。

私たちはいくつか仕掛けをした。

1. 死を扱うことに慣れており、また人に安心感を与える僧侶がメインインタビュワーになることで、死について本音で話せるのではないかと考えた
2. 医師はサブインタビュワーになることで、現場の実情をそこまで知らないメインインタビュワーを補佐した
3. 医師が後景にいることで、こんなことを言ったら「正しくない」などと言われるのではないかという、ケアスタッフが持つかもしれない医療スタッフへの遠慮が生じないようにした
4. 僧侶も医師もいるし、僧侶も医師も「研究者」でもあることを示した。これによりインタビューが行われている空間が多声的な場であり、自分の意見を遠慮なく言ってよいのだと感じてもらうようにした
5. インタビューの場所は、仏教系大学の美しい土壁の会議室とした。座り方の配置なども精神科医がセンチ単位で準備し、リラックスできるようにした。

さて、何が語られたのであろうか。

医療において、死は敗北。けれど「あなたもいつかは行く場所」

まず、高齢者が亡くなった際に、周囲の高齢者にどのように伝えるかという点で病院と施設は大きく異なった。

 病院スタッフ「亡くなった人がいた場合、説明はしません。聞かれても『退院された』とだけ答えます。個人情報なので伝えられないという面もあります」

 施設スタッフ「同じユニットの人に、あの人最近みないけど、どうなったのかと聞かれたら、亡くなったことははっきり伝えます。自分もあなたもいつかは行く場所だと伝えます」

また、医療が死を敗北とみなすことに対する葛藤がともに語られた。

 病院スタッフ「病院では……亡くなることはよいことではありませんから……」

 施設スタッフ「医療では死は敗北なのです」

死にゆく人のケアが尊い営みと認識されていることも語られた。

 施設スタッフ「人は愛されて生まれてくる。そして人々に愛を返し、この人生を卒業していく。ここに立ち会えることに神聖さを感じる。」

 施設スタッフ「高齢の方は赤の他人で、亡くなるまで2~3週間しかお会いしていない方とかもいるんですけれども、全然そんな気はしないのです。ずっと一緒に過ごしてきたような。2~3週間が2~3年に感じられてしまうぐらい(中略)その終末期の数時間、数日間ケアすることでその人のことを最も深く知るのです」

 施設スタッフ「高齢者は、最後まで生き抜いた方が多い気がします。頑張って生きた結果が死なんです。怖いという気持ちはありません」

 施設スタッフ「最後は、ありがとうと言ってくれる人が多いですね。自分の時間がもうこれ以上ないとき、振り返ったとき、感謝なのです。そういう姿を見せていただき学ばせていただくことがやりがいです」