小松原織香

小松原織香

(写真:日帰り温泉研究所 / photoAC

研究の効率を求めた瞬間に見失うものがある。哲学研究者による水俣病の運動史の紐解き方

仮説を立て、データを集めて検証するのが、研究の基本的なプロセスだ。しかし環境哲学の観点から水俣病の運動史を紐解いている小松原織香氏は、それでは「見失うものがある」と感じている。独自の調査を重ね、緻密な論考を発表しつづけている小松原氏の調査方法を紹介する。

Updated by Orika Komatsubara on May, 19, 2023, 5:00 am JST

効率を求めた瞬間に見失うものが水俣にある

結局、2月の調査はほとんど何も見つからずに終わり、4月に再調査を1ヶ月ほどした。少しだけ進展はあったが、まだコレというものは見つかっていない。だから困る。

「水俣でなにをしているんですか?」

なにをしているのだろうか。そう思いながら、日々は過ぎていくのだ。私はもう覚悟を決めて、自主交渉の研究は、半年や一年ではできないかもしれないと思い始めている。1971年10月11日から1973年7月9日までの、たった1年9ヶ月。この間に、運動に関わった人たちの内部で渦巻く感情はあまりにも濃密で、簡単に外からやってきた私に触れるものではない、ということは、調査のなかでわかってきた。だからこそ、研究を進めたいし、論文を書きたいと思っている。ここで起きたことは、人間の営みのなかで生じる普遍的な「なにか」がある、という予感がする。

私の調査は、高度に発展した現代のアカデミズムにおける科学的調査とは相容れない。仮説を実証するわけでもなく、ランダムサンプリングをするわけでもない。ただ、現地で聴こえてくる声に耳を傾け、埋もれた資料を紐解く。
「こうすればもっと効率的に調査ができますよ」
アドバイスをもらうこともある。でも、効率を求めた瞬間に見失うものが水俣にある。そう思っているからこそ、60年以上も経った公害事件の〈その後〉を私は追い続ける。

本文中に登場した書籍一覧
『水俣病誌』川本輝夫(世織書房 2006年)
水俣病の民衆史』第四巻 岡本達明(日本評論社 2015年)
『苦海浄土』第三部「天の魚」 石牟礼道子(筑摩書房 1974年)