移動の高速化が、空間を「抹殺」した
人間は、その歴史を通して様々な移動手段を開発してきた。紀元前4000年頃にはすでに中央アジアで馬の家畜化が始まったと言われており、荷物の運搬、そして乗り物として利用されていた。その後、車輪の発明とともに馬車が広まり、一般の移動や戦闘用としても用いられるようになる。さらに時代を下ると、鉄道、自動車、さらには飛行機など様々な交通手段は、人々が速く遠くへ移動することを可能にしてきた。今回は、人やモノの「移動」を通して、人々の五感体験やモノに対する認識がいかに変化したのか考えてみたい。
「時間と空間の抹殺、これが鉄道の働きを言い表す19世紀初期の共通表現であった。」
文化史家のヴォルフガング・シヴェルブシ ュは、『鉄道旅行の歴史』の中で、18世紀後半以降急速に技術開発が進んだ鉄道についてこのように述べている。鉄道の誕生により、短時間で目的地まで移動できるようになると、出発地と目的地の間の空間が圧縮、または「抹殺」され、二つの場所は接近する。シヴェルブシュによると、「互いに衝突し合うほどに近づき、両方の場所は、その旧来の特色を失う」のだという。二つの場所の間に十分な空間が存在する時には、空間的隔たりがそれぞれの地点を「孤立」させ、それによってその土地の「個性」が保たれる。つまり人々は、時間をかけてその空間を移動することによって、両地点を異なる場所として認識することができ、それぞれの場所の特色を知覚できるのだ。したがって「移動」とは、ただ単に一つの地点から別の地点に、まるでワープするように身体を物理的に動かすということだけではなく、両地点を結ぶ—移動している—時間・空間にも重要な意味が潜んでいるということだ。
鉄道のスピードが上がり、人間は荷物になった
シヴェルブシュは、ステファヌ・マラルメの文章(1874–75年)を引用して、冬のパリから列車で温暖な地域に向かう旅行者についてこう書いている。
「寒さにふるえ、黙りこくって、着ぶくれしている旅行者たちは、目にとまらない車窓の景色には、目を向けようともしない。彼らが夢見るものは、パリを離れて、空の明るい場所に到達することだけだ。」
鉄道のスピードが速いためにそもそも移動する車窓の景色をゆっくり楽しむことができない。だがそれだけではなく、出発地にいる時点で人々の意識はすでに到着地にあり、移動の プロセスはさほど重要ではなくなっている。こうした人々は、「パリで乗せられたままの形で目的地に輸送される、人間の形をした鉄道小荷物と同じ」だとシヴェルブシュは述べる。これは例えば、真冬の東京からハワイに向かう旅行者が飛行機に乗る前にすでに真夏の格好で空港を闊歩している様子と似ているかもしれない。シヴェルブシュの例とは逆に、人々は、出発地点での格好のまま運ばれるのではなく、目的地に到着する時の「形」で「荷造り」されているわけだが、自分の身体が置かれた物理的場所と移動後の場所とが溶解し、その間にあるはずの空間が「抹殺」されているという点では共通しているだろう。もちろんこれは、旅先での時間を心待ちにする人々の心理の表れでもある。だが同時に、移動手段の変化に伴う時間と空間のあり方、そして人々の知覚の変化もみてとれるのではないだろうか。
交通機関の機械化により、利用者は新しい知覚を開発した
移動手段の変化は、人々の五感にも大きな変化をもたらした。例えば、馬車と列車とでは、乗車時に体が感じる振動が異なる。また、馬とともに旅をしていればその鳴き声を聞き、一方、蒸気機関車であれば煙のにおいを感じるであろう。現代では、飛行機に乗った時に感じる細かく調整された温度や湿度、機内のにおい、BGMの音など、様々な感覚刺激が移動体験と結びついている。さらに感覚は、移動する時間や空間の知覚とも関係している。再びシヴェルブシュの議論に戻れば、かつて人々は、五感を通して「踏破した空間の隔たりを感知」した。例えば、馬車で移動していた際には、時間が経つにつれて馬が汗をかく様や、その呼吸が早くなり、息づかいが変化する様子を感じることができる。これにより人々は、いかに遠くまで移動したかを認識できたのである。だが、鉄道、さらには飛行機で移動する場合には、馬の身体的変化のように、時間や空間を直に五感で感じることはほとんどなく(自分自身の疲労はあるにしても)、出発地と目的地があるだけだ。「交通機関の機械化は、急速に交通利用者の意識のなかに確かな地歩を固め、利用者は新しい知覚を開発する」のだとシヴェルブシュは述べる。そして、列車の「均一で速い動き」は、人々にとって「新しい自然」となり、「輓馬たちの自然がかえって危険な混沌」のように感じられるようになるのである。
移動によりモノは故郷を失い、経済的価値のみを認識されるようになった
「 交通機関の機械化」は、人の移動だけでなく、モノの移動にも大きな影響をもたらした。先述したように、鉄道やそのほか現代の交通手段は、人々を速く遠くに移動させることで、時間と空間を抹殺し、二つの地点を「接近」させた。だが、モノの移動の場合には、この時間と空間の抹殺は、二地点の「断絶」としても理解できる。それは商品としてのモノが生産される場と消費される場の接近であり、同時に断絶でもある。近代輸送技術の発達以前から、長距離移動を伴ったモノの移動、商品の売買は行われていたものの、それまでは生産と消費が同じ場所に結びついていることが多く、そこで生産されたモノが同じ場所で消費されていた。だが、特に19世紀以降の長距離鉄道網の拡大や海上輸送の発達、さらには冷蔵技術などの発展により、従来よりも多くのモノが生産地から遠く離れた場所に運ばれ消費されるようになった。つまり、生産地と消費地は分断され、シヴェルブシュの言葉を使えば、モノが「故郷喪失者」になったのである。
生産地と消費地の分断は、単に商品の地理的拡大を意味するだけではない。カール・マルクスは『資本論』の中で、商品の「場所的定在が変えられ、それとともにその使用価値にある変化が生ずる」と述べ、輸送手段の変化によって生じた空間的隔たりが、人々の商品に対する認識にいかに影響するかを論じている。生産地から別の場所へ運ばれることによって、ヴァルター・ベンヤミンに倣えば、商品は、その土地と結びついたある種の「アウラ」を失うのである。シヴェルブシュは、こうした生産地と消費地の分断が人々の知覚にもたらす影響を次のように論じ る。モノが「地方の特色、地方との一体性」を失い、「労働過程の結果として(または天産物の場合には、天然の生育の結果として)生産地で体験される、産物の具体的感覚的な特性」が、遠く離れた市場では「消費の対象」または経済的価値としてのみ認識されるようになるのだ。
特定の地域と結びついた商品が価値を持つ
さらに付け加えれば、空間的隔たりは、商品と特定の地域との繋がりが失われるだけではなく、そのモノを価値づけている判断基準も変化するといえるだろう。例えば生鮮食品などの「新鮮さ」という価値観・概念がそうである。野菜や果物は、生産地から遠く離れた市場に運ばれ消費者の手元に届く頃には、収穫されてから時間が経つことで、その「新鮮さ」を失うことになる。だからこそ「採れたて」であることが価値を持つようになるのだ。さらには、冷蔵・冷凍技術や加工技術の発達によって食品の品質管理ができるようになると、新鮮さの価値判断は、収穫されてからどのくらい時間が経ったかという時間的基準だけではなく(むしろそれ以上に)、どれだけ「新鮮そうな」味や香り、見た目を維持できるかということが重要となる。そして、「新鮮さ」を保てる・保ちやすい食品が優先的に栽培・生産され、世界市場を席巻するようになるなど、農水産業や小売のあり方にも影響を与えてきたのである。
また、アン・フリードバーグが論じているように、ある固有の地域と結びついたモノの「アウラ」は、商品化され、交換価値の増大に寄与するようにもなる。「〇〇産の野菜・果物」のように、生産地の名は宣伝文句として使われることも少なくなく、効果的なブランド戦略となりうる。いわゆる「地理的表示(通称GI)」は、生産地域や生産物の保護なども目的とされており、単なるブランド価値向上のためだけに利用されているわけではない。だが、多くのモノがかつてないほどの距離を移動し、販売・消費される今日、商品が移動するからこそ、すなわち生産地と消費地が分断しているからこそ、「故郷喪失者」ではない、特定の地域と結びついた商品が価値を持つのである。ただこの地理的結びつきは、その商品がどこで作られたのかを示す情報に過ぎないのかもしれない。それが生産された土地の気候や空気感など、生産地とモノの関係を感覚的に知覚することは難しい。また、スーパーマーケットやオンラインストアで、様々な商品を手軽に購入できる今、それらのモノがどのように移動してきたのかは見えづらい。人々は、長距離移動が自由にできるようになった一方で、遠隔地から運ばれてくるモノの消費を通して、そこに行かずしてその地の「アウラ」の残滓ともいえるものを味わうのである。
参考文献
『鉄道旅行の歴史—19世紀における空間と時間の工業化 新装版』ヴォルフガング・シヴェルブシュ 加藤二郎訳(法政大学出版局 2011年)
『ウィンドウ・ショッピング—映画とポストモダン』アン・フリードバーグ 井原慶一郎・宗洋・小林朋子訳(松柏社 2008年)