Modern Timesについて

データの民主化を基盤とするDXを実現するDX based on data democratixation

データ駆動型(data-driven)はデータを元に次のアクションが自動的に決まる計算モデルです。一方、イベント駆動型(event-driven)は人からの具体的な要求に応じたイベントが発生した時に計算プロセスが走ります。現在は「DX社会はデータ駆動型社会」という論調が主流のようですが、これは「どちらが正しい」という議論自体が不毛でしょう。重要なのは計算やデータ転送のプロセスが走る前に私たちの自由意志が起動することです。そしてその意思に沿った形でデータが縦横無尽に流通していくことこそがDXの基盤になるはずです。

DXとはその定義自体に「人々の生活をよくすること」という意味を含むことがありますが、テクノロジーの発展は常に光だけをもたらすものではありません。まして「変革」は必ずや負の面も持ち得るのです。つまり本当にDXを推進することで未来を変えていこうというのならば、その変革期においてより多数の人々が参加し知恵を絞ることが大切でしょう。端からその議論テーブルに就くことを避けていては、本来は選び得たかもしれない選択肢を手放し、未来の歩み方を他人の利益のために狭められるということだってありえるのです。

ところが現実には、ユーザーを囲い込もうとするベンダーのサービスにロックインされたり、転送しようとすると非常識なコストを要求されたりするということが既に起きています。そこではそもそもデータ所有者の主権がないがしろにされている。「データは誰のものか」という議論は未だ活発ですが、Modern Timesはこの状況を鑑みまずは「データの民主化」を標榜します。次世代のビジネスやライフスタイルはデータという資源が民主的に取り扱われてこそ、構築することが可能なのではないでしょうか。

ライフスタイルについては個人の価値観に依拠する点が多いため、ここではまずビジネスについて話しましょう。ビジネスであれば、その目的はほとんどの場合において同一だからです。それは「いかに稼ぐか」「どれだけ稼ぐか」。データが民主化された場合、その基盤の上で展開されるべき「経営」とはどのようなものでしょう。

企業経営の基本は売上や営業利益率ではなく粗利(あらり)率にあります。そして粗利の高い企業のサービスを利用しているユーザーほど満足度が高い、というパラドックス(Paradox)が生じることはよく知られています。粗利が大きくなる理由には競争分野でのシェアが高い、経営と資本が明確に分離していない、などのいくつかの要素がありますが、その源泉になっているのはおそらく当該企業が持つ文化でしょう。従って、DXにより経営のあり方を見直したいのであればトランスフォームすべきなのはおそらく個々の企業文化なのです。成長(=売上)を前提とした企業文化から、成熟(粗利)を促すための企業文化を再構築する。そのためにデジタルは強力なツールの一つになりえます。そしてそこは個人や企業の枠を超えて、あらゆるデータの自由な流通、結合、再構築、が縦横無尽に行われる世界のはずです。DXの本質はここにあります。

DXの最終的なゴールは国民一人当たりGDPを現在の2倍程度にすることとまずは設定しておきましょう。その時、私たちの原資になるのは企業文化のさらに源流にある日本文化です。日本文化が極めてパラドキシカル(paradoxical:逆説的)であることはみなさんよくご存知のはず。日本文化を再発見、再構築、そして熟成させていく時にデジタルが役にたつ局面はそれなりにありそうです。それは「デジタルで労働生産性をあげよう」というオールドファッションな態度ではなく、おそらく「デジタルを吟味して、折り合いをつける」という態度が求められるはずです。Modern Timesはそのための一助になる方法論を提供していこうと考えています。

編集長 大川祥子 (Twitter | Facebook


Modern Timesで使用している写真について

Modern Timesに使用している写真は写真家・佐藤秀明氏の作品群の一部です。半世紀上にわたり世界各国を飛び回って撮影された貴重な作品をお楽しみください。写真に添えられているキャプションはすべて写真に関するもので本文を直接説明するものではありません。