業務の境目をめぐる境界確定作業
つい先日まで、メディアでは21世紀の花形職業の一つとしてデータ・サイエンスの名が喧伝されていた。しかし最近、関係する記事を読むと、むしろその将来に暗雲が立ち込めているという不穏な予測がちらちらと目につく。膨れ上がる期待は急激に収束することもまた必定というのは既に何回も指摘したが、この場合、分かりやすい負の要因の一つは生成AIによる失業という、世間でよく聞く話である。それに加えて、データ・サイエンティストの現実の仕事が、単に現場へ赴いてデータを分析するという単純作業ではないという点も指摘されることがある。
別稿でも論じたが、かつて調査していた精神医療の現場は、医師、看護師といった医療系のスタッフに加え、患者の日常の活動を管轄する作業療法士や、地域との連係を図るソーシャル・ワーカー、更に薬剤師や管理栄養士も加わるチーム医療が前提である。彼らには当然自らの持ち場があるが、会議では時々面白いやりとりがあった。ある患者に対して、状態の改善が見られず、もう少し治療的な関与が必要かも、という雰囲気になった時に、医師が作業療法士に「期待しているよ」という内容でやんわりと圧力をかけることがあった。それに対して、作業療法士側が、「あまり我々の力に期待しないでほしい」と反論したりするような場面である。
STSには境界確定作業(boundary work)という概念があるが、科学 (即ち真)/非科学 (偽)という境界を作ることへの科学者の執着と努力を表現したものである。上記した業務の境界をめぐるやりとりは、こうした作業に似た行為の別の例といった面もある。他方、それとは逆のケースもしばしば目撃した。一般に開放病棟の医師は、患者の社会復帰のため、狭い意味での医学的知識以外の知見も必要とされる。実際、熱心な医師の中には、近隣の不動産について詳細な知識を持っている人がいて、驚いた経験がある。基本的にそれはソーシャル・ワーカーの役割だが、必要に応じて医師自身も、そうした詳細な実践的知識を持つようになることもある、という例である。
この話にはいくつかの解釈が可能だろう。その一つは分業とその限界である。分業を基礎とする組織では、前述した境界確定作業は日常茶飯事で、その悪 しき例が役所等での業務のたらい回しである。その案件はうちの担当ではない、いやうちでもない、という奴である。逆もまた真なりで、刑事モノの番組でよく目にする、このホシはうちの管轄だ、いやうちのだ、という例がそれにあたる。
高信頼性組織は、互いの知識がオーバーラップしている
この点からいうと、上述した異能の医師の博識は、業務分担の境界侵犯ともなりかねない面もある。しかしそれがそうでもない、と指摘したのは、これも前に議論した、ハッチンス(E.Hutchins)の分散認知(distributed cognition)の議論である。彼は海軍の協力を得て艦上での業務や意思決定の仕組みを現場で観察したが、そこでの任務は、厳密な分業よりも、むしろその担当範囲にかなりの重複があり、お互いに補充する形になっている。この背後にあるのが安全性への配慮であり、特定部門に欠員があっても、それを周囲がカバー出来るシステムである。言わば全体がリダンダントに構築されているのである。
高信頼性組織という、リスクのある環境で高い安全性を保つタイプの組織でも、こうしたオーバーラップによって危険因子を逓減させる工夫があることは夙に知られている。そうした組織的狭間においてこそ、危険因子が素通りし、大きな事故に結びつきかねないからである。不動産に異様に詳しい医師の存在が、こうした組織安全とどう関係するのかは微妙な面もあるが、少なくともそれによってソーシャル・ワーカーとの連係が難しくな るということはないだろう。
科学実験の実際は、論文に掲載されている手続きだけでは不可能
またここには別の意味合いもある。実験科学において、現場固有の知識・技能の重要性を強調したのがコリンズ(H.Collins)である。科学実験の実際は、論文に掲載されている手続きだけでは不可能で、そこに伴うありとあらゆるノウハウを習得する必要がある。それ故、実際に実験を行う場合は、既にそれを行っている実験室に言わば修行に行くというケースも少なくない。コリンズが暗黙知という概念に興 味を持ち、それについての著作を出版しているのもそのためである。
こうした言わば暗黙知的な側面に加え、特に実験科学においては、実験を行う対象や諸環境についても実践的な知識・技能が求められる場合も少なくない。ニューロンの機能を分析する際にヤリイカは重要な研究材料だが、人間に比べ、この生物は巨大な軸策を持っているからである。ある応用数学者の講演を聞きに行くと、必ず彼の師匠が、研究のため人工飼育不可能とされたヤリイカを飼育するのに成功した、というエピソードが紹介される。加えて、更なる利点は研究後に焼いて食える、というオチまでつくが。あるいは南米の高地に望遠鏡を設置する宇宙科学者は、そこでの地形や天候、場合によっては地域の文化的特性についても熟知する必要がある。実際、ハワイでは住民による新型望遠鏡建設への反対運動も起こっており、そうなると文化人類学者顔負けの、現地の文化社会への認識も不可欠になる。
暗黙知よりもさらに広い「パラ知識」「パラ技能」
実験室的な環境を超えて、目的の調査・研究のためには、一見その問題に直接関係ないように見えて、実は現場で大きな役割を果たすような知識や技能が必要となることがある。上に挙げたような、現地の自然、あるいは文化社会的な情勢の知識は、暗黙知という概念だけではうまく表現できない。私はこれを暫定的にパラ知識あるいは技能と呼んでいる。ここでいうパラとは、ギリシャ語で傍ら、という意味だが、ある中心に対して、それに付随したものという意味である。(以下略してパラ技能と呼ぶ)。
パラ技能はあらゆるところに顔を出す。例えば科学の巨大プロジェクトを運営する知識や技能は、日常的な研究活動からは単純には演繹出来ず、それなりの訓練、経験、そして才能を必要とする。しかし現実には、なかなかそうした形での専門性を持たないまま、プロジェクトを任されることも少なくない。その場合、こうした業務は一種のシャドーワーク、つまりはっきりとした評価の対象にならない仕事となる。かつて状況的学習論の名で、伝統的な徒弟制の仕組みが再評価された時、一部で議論になったのは、徒弟修行における曖昧な側面、例えば師匠の鞄持ちといった、中心的技能との関係がはっきりしない義務が、本当に有意義なのかという点である。批判者はそれを封建遺制的な弊害と考えたが、肯定者はそれにもポジティブな機能があるとした。
これをパラ技能論から見ると、新たな観点が見えてくるかもしれない。ラボの管理者である教授は、単に研究を立案し、指導するという本務以外の様々な業務(研究に直接関係するパラ技能的なものも含めて)が必要である。それらは研究のリアルという意味で、実践的に必要な知識や技能である。この話で思い出すのは、かつて構造人類学で人文系界隈を席巻したレヴィ=ストロース(C. Lévi=Strauss)の古典的議論である。曰く、現代の科学技術的思考が、抽象的な概念によ る論理操作を行うのが特徴なのに対し、野生の思考は、それを具体物で行う、という話である。神話やトーテムといった分野では、様々な動物や道具の話が登場し、一見したところその意味が分かりにくい。これらの背後に、レヴィ=ストロースは、具体物を使った論理操作があるとした。手近にあるモノを適当に利用しつつ、色々な論理を作り上げるのが野生の思考の特徴で、それを彼はブリコレール(フランス語で「何でも屋」)と呼んだのである。構造論的な議論の人気が衰え、二元論はけしからんという単純な主張が幅を効かす昨今でも、何故かこのブリコレールという話だけは生き延びて、色々な分野で応用、変奏されている。
複雑化した社会では、複パラ技能はどこでも必要である
ただしそこにはそれなりの展開もある。レヴィ=ストロースの構造論的な対比とは異なり、科学技術の現場ですら、ある意味ブリコレール的な面も少なくない、結構そうした即興性が随所に見られるという話が増えてきた。より正確には、別に望まなくても、制度的に複雑化した社会では、そうしたブリコレール的な能力がなければ、実験一つできないということでもある。パラ技能の議論は、ある意味この議論をもう少し丁寧にみた場合の言い方ともいえる。
その意味では、冒頭で議論したデータ・サイエンティストの将来に関する近年の一部の悲観論には、広い社会科学的な背景がありそうだ。どんな分野においても、その中核技能を超えた、多様なパラ技能が要求されるのは必定である。近年の生成AI開発をめぐる大騒ぎも、開発エンジニア達の無邪気な思い入れ だけではすまないという点がよく分かる筈である。自らが開発した技術が今後どのような社会文化的インパクトを持つのか、その負の側面も含めて理解することが、必須の社会的パラ技能として、彼らにも要求されるのである。
参考文献
『身体の構築学―社会的学習過程としての身体技法』福島真人編(ひつじ書房 1995年)
『暗黙知の解剖―認知と社会のインターフェイス』 福島真人(金子書房 2001年)
福島真人2020「データの多様な相貌―エコシステムの中のデータサイエンス」『現代思想(統計学/データサイエンス)』48(12):64-73
『野生の思考』クロード・レヴィ=ストロース 大橋保夫訳(みすず書房 1976年)
Harry Collins(2010)Tacit and Explicit Knowledge, University of Chicago Press.
Edwin Hutchins(1995)Cognition in the Wild, MIT Press.