今井明子

今井明子

南米・ギアナ高地の付近を流れるオリノコ川。写っているのはクルーズ船とその船長。川にはタイガーフィッシュと呼ばれる鋭い歯を持つ巨大魚が泳ぐ。唐揚げにすると美味。

気象予報士の頭の中には何が入っているのか

複雑に絡み合う情報を読み解かねばならない学問の一つが気象学だ。衛生が映像を送信し、センサーが発達した今日においても気象の世界は謎が多く、未だに天気予報は当たらないことがある。相関関係を読み解くことが至難なら因果関係はわからないことも少なくない世界で、気象学は一体何を明らかにしてくれているのだろうか。
それを知るためには一度気象予報士の頭のなかを覗いてみるのがいいかもしれない。気象予報士がどのような知識を基に気象を読み解き、複雑な現象に向き合っているのかを知れば、情報処理の世界の深淵を覗くことができるだろう。
解説してくれるのは気象予報士資格を持つサイエンスライターの今井明子氏だ。

Updated by Akiko Imai on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

学科試験では硬派な数式から法令まで学ぶ

気象予報士試験は毎年8月下旬と1月下旬の年回行われる国家試験だ。受験資格に制限はなく、ときには中学生が合格してニュースになったりもする。しかし、合格率は約5%と低く、難関資格として知られている。
試験の科目は、「学科一般」「学科専門」「実技」の3科目あり、それらを1日で受験する。学科試験(学科一般と学科専門)はマークシート式で、実技試験は記述式だ。

学科一般の内容は、気象学の基礎である。
つまり、「雨はなぜ降るのか」「気温はなぜ上がるのか」「風はどのように吹くのか」という理論を学ぶ。物理の基礎知識が必要で、数式も出てくる。「自然が好き」「空を見上げるのが好き」という理由で気象予報士試験の勉強を始めると、いきなり硬派な数式が登場するので心が折れる人は多いはずだ(かくいう私もそうである)。
かと思えば、学科一般では気象業務法や災害対策基本法などの法令についても出題される。しかも、この法令の問題の出題比率は15問中4問と高いため、なるべく間違えないようにしなければいけない。数式に慣れてようやく理系頭になってきたかと思ったら、今度は法律も覚えなければいけないので、これがまたきついのだ。法令の内容は、要するに「民間人(気象予報士)が観測や天気予報をするときの決まり」や、「災害発生時に関係省庁や自治体、報道機関などはどういう動きをするのか」ということである。気象予報士は、資格を取ったら研修を経なくても気象予報士として名乗ることができるため、合格した時点で予報業務に関する最低限のルールを頭に入れる必要がある。だから法令の問題が出題されるのである。

「学科専門」では、おもに気象庁の業務についての内容だ。観測の方法や予報の作り方、予報の種類とその特徴について盛り込まれている。これについては、気象庁の尽力によってより精度の高い予報や、減災を目指した情報伝達の方法がアップデートされ続けているので、最新ニュースと気象庁ホームページのチェックが欠かせない。

そして「実技試験」では天気図を書き、データを読み込んで予報を行い、それによってどんなことに気をつけるべきなのかを考察する。この実技試験は時間が短く、全問回答するのは至難の業だ。実際の予報業務では時間の制約がある中で迅速かつ正確な判断を下さなければいけないため、短い時間での回答を求められているのだという。

まわる風車
1995年ごろパタゴニアで撮影。吹き付ける強風を利用し、風力で水を汲み上げている。

実技試験は試験が始まると、問題用紙をミシン目で切り離す音が会場中にビリビリと鳴り響く。問題用紙を切り離さないと、ものすごく解答しにくいからだ。これは初めて受験する人にとってはびっくりする風景であり、NHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」でもヒロインがあっけにとられるシーンがしっかり盛り込まれていた。ちなみに、実技試験には色鉛筆やデバイダー(両方が針になっているコンパス)など必要な道具がたくさんある。受験会場が大学の大教室の場合、机が斜めになっていて道具が落ちやすいので、集中力が乱れがちである。
学科試験は市販の参考書や気象庁ホームページを見て独学で勉強することが可能だが、実技試験ともなると独学は難しい。専門のスクールに通い、講師に回答を添削してもらうのが合格への近道である。

現場を知りすぎると正解できない

気象予報士試験では、「学科一般」「学科専門」は両方合格しないと「実技」は自動的に不合格となる。しかし学科一般か学科専門のどちらかが合格していれば、1年間は学科試験で合格した科目の受験は免除になる。つまり、「1回目の試験で学科一般に合格し、2回目の試験で学科専門と実技を受けて学科専門に合格したものの実技は不合格。そこで、3回目の試験では実技試験だけ受けて合格する」という合格パターンもあるということだ。逆に1回の試験で3科目いきなり合格することはごくまれだ。気象予報士試験は1日で3科目受験するのだが、若くないと最後のほうまで体力がもたない。私も1回目の試験では午後の実技で目が霞んで頭がぼーっとしたので、不合格だった。そんなわけで、「学科の合格を少しずつ揃えて複数回の受験で合格」というパターンで合格する人がほとんどである。
なかには、「1回目で学科一般が合格、2回目で学科専門が不合格、3回目も学科専門が不合格、4回目は再び学科一般を受験する必要があったので再受験し、今度は学科専門のみ合格…」という感じで、「学科不合格」のループにはまり、なかなか実技試験の合格にまでたどり着けないことも決して珍しくはない。
そんなわけで、合格までは通常数年かかる。逆に、数年かけて粘り強く勉強を続ければ、合格への可能性は上がっていくともいえる。合格率5%と聞くととても低い数字に思えるかもしれないが、そこまで無謀な挑戦というわけではないのである。

なお、面白いことに、気象予報士試験は気象庁の予報官にとってはかえって難しいときく。そもそも、気象予報士資格というものは、気象庁の予報官以外の人が予報業務を行えるようにするためのものなので、気象庁の予報官が予報を行う分には気象予報士の資格は不要だ(そのかわり、気象大学校などで高度な専門知識をみっちり学んだうえ、必要な研修を受けて天気予報に関する業務を長年経験する必要がある)。そして、現場で長年予報業務を行っていると、気象予報士試験で求められるような「正統派の回答」以外のケースもよく知っているため、問題を前にあれこれ深読みしてしまい、かえって「正解」を回答できなくなることもあるようなのだ。

そのような話を聞くにつけ、気象予報士試験の勉強で気象や予報業務に関する専門知識は学べるものの、たとえ合格したとしても実際に予報業務を行うのにあたっての知識や経験は不十分なのだと実感する。

変わりつつある「食えない資格」の環境

では、気象予報士の進路はどうなのだろうか。意外なようだが、気象予報士の資格を取ったからといって勝手に天気予報をしてもいいわけではない。これは「気象業務法」違反となる。

マグマがのぞくハワイの火山
マグマが滾るキラウエアのプウ・オオ火口。自然はときに甚大な被害をもたらすが、一大観光スポットにもなる。

なぜ、気象予報士なのに勝手に予報ができないのか。それは勝手に適当な予報をして、人を混乱させてはいけないからである。天気予報を行いたいなら、気象予報士の資格を取り、ある程度の質が担保された予報を出すために必要な人員や施設などの環境を整備したうえで、気象庁の許可を受けなければいけない。個人が許可を受けることはできるものの、1人で24時間365日勤務をするわけにはいかないので予想を行う日数や時間は限られるし、なにより申請までの準備が大変である。だから天気予報をしたいと思うのなら、すでに気象庁から許可を得た事業者(民間気象会社)に就職するのが王道である。
しかし、このような「王道」の仕事ができている人はほんの一握りである。そもそもこの試験の受験資格は問われないこともあって、多くの人は「天気が好きだから」という理由で資格を取り、気象業務とはほとんど関係のない仕事をしている「ペーパー予報士」なのだ。

先ほど、研修を受けなくても試験に合格すれば気象予報士と名乗れると述べた。しかし、私自身の実感としては、気象予報士試験に合格しただけの知識ではとても「気象予報士です」と胸を張ることはできかった。日々予報業務を行っていれば予報のスキルは身につくのだろうが、そうでなければ実技試験のために学んだことはすぐに忘れてしまう。また、学科試験で学んだことも、試験勉強だけでは理解が浅かったと実感した。現在自分自身は気象学の研究者に取材をしたり、一般の人に向けて防災講座やお天気実験講座を行ったりする機会に恵まれて「再学習」できるため、そこで学科試験の範疇の知識はかろうじて補強されてきたと感じている。

ただ、気象予報士試験のために身につけた「データの見方」は、予報業務に携わらなくても力になる。災害がせまっているときに、自治体や報道機関からの「お知らせ」を待つのではなく、自分で情報を取りに行き、自分の置かれている状況をもとにどう行動すべきか判断することができる。
また最近で、気象データをビジネスに活用する動きが出てきており、気象データアナリストという新しい職業も登場して、気象の専門知識が役に立つ場が増えていると感じる。
今までは「気象予報士は難しいけれど食えない資格」といわれていたが、予報業務にこだわらなくても、気象の専門知識は日常やビジネスの場で生かせるのである。