佐藤秀明

佐藤秀明

気仙沼の港で開かれていた市場。2000年ごろ撮影。活気のある栄えた港であった。

(写真:佐藤秀明

11年前のことと、さらに少し前のこと

あの日から11年の歳月が過ぎた。今や膨大な量の瓦礫は被災地から姿を消し、一部の街は新しくなった。災害直後から「復興」の名のもと、街はより安全で快適な場所へと変貌する計画が立てられたのだ。

確かに、あまりにも多くのものを失った街には希望の道筋が与えられなければならなかった。前を向いて進める目標が必要だった。しかし、それは過去の思い出に浸りたいという人々を強制的に連れ出すものではない。ここでは、写真家・佐藤秀明氏の作品を通して11年前と、さらにその少し前の東北を振り返る。

Updated by Hideaki Sato on March, 10, 2022, 8:50 am JST
wp-image-2048
内陸まで打ち上げられた「第一八共徳丸」が月明かりに照らされる。船は後に震災遺構にすることを検討されたが、2013年に解体された。

写真家・佐藤秀明氏が被災地へ向かったのは、すでに震災から2カ月が経とうとする2011年の5月だった。東京では夏日を記録する日もある時期だが、東北の風はまだいくらか冷たい。写真家は被災直後の混乱が収まったころを見計らって訪れたつもりであったが、現実の光景は厳しいものだった。

「現地へは車を走らせていった。被災地に近づくほど道路の傷みが酷くなっていくのが目につく。美しかった風景がすっかり荒れていて、酷いことが起きたのだと実感した。進入禁止のエリアがいくつもあった。福島は特に。5月になってもヘドロの匂いが鼻についた」
自家用車で夜を明かした佐藤氏だが、その日は過酷な現実を前に眠ることができなかったという。

wp-image-2050
宮城県石巻市の間垣地区。北上川の河口近くに位置しており、震災前は住宅が建ち並んでいた。
wp-image-2052
同地区の残った建物。
wp-image-2054
日々、重機が瓦礫を運び出していく。
wp-image-2056
三陸海岸にて撮影。風光明媚な海岸だった。
wp-image-2058
後ろを振り向くと瓦礫の山。
wp-image-2060
奇跡の一本松は三陸にて5月ごろ、夕方に撮影。松は後に枯れてしまった。

母親の知人が住んでいたことから、石巻周辺は写真家にとって馴染み深い場所であった。美しかったころの景色を何枚も写真に収めていた。

wp-image-2062
かつての石ノ巻。2009年頃撮影。間垣地区周辺だと思われる。鮭を捕るための網が張られている。
wp-image-2140
かつての気仙沼。地元の人々が楽しそうに野菜や植木を選んでいる。

震災の前にも後にも、写真家はこの地で大量の写真を撮影している。しかし、なぜだかデータがみつからない。新たな記録がみつかればModern Timesではこの「懐かしい場所」の景色を紹介していく。

(文:大川祥子)