藤田盟児

藤田盟児

銀閣寺の東求堂。日本最古の書院造の建物として知られている。

(写真:analoger / shutterstock

上座とは、時間を流す装置である

和室の成り立ちについて研究をしてきた藤田盟児氏は、前回、東アジアの人々は空間よりも時間を重視する傾向があることを解説した。今回は、そのなかで浮かび上がってきた中国と日本の建築の違いに対する疑問を紐解くとともに、ローカリティがどのように文化を育むのかを分析する。あらゆるものがグローバル化された時代に豊かな文化を育むためのヒントを得よう。

Updated by Meiji Fujita on May, 12, 2022, 9:00 am JST

現代の意味とはややずれる上と下の概念

建築において、日本は中国とは違う国から深い影響を受けている。私はこれを言葉の来た道から考察してみた。
例えば、“上” と“下”という言葉。これには、ウへとシタ、カミとシモという2つの読み方があるが、平安時代までの言葉の意味を調べられる『上代用語辞典』という辞書によると、“ウヘ”という言葉の意味は1番目に上部と書いてあるが、2番目には表面とある。カミも1番目は土地の高いところで、2番目に川の上流と書いてある。他にもいくつか意味はあるが、解説を見てみると、「ウヘ・シタのほうがものの表・裏を表すのに対して、カミ・シモのほうはひと続きのものの初めと終わりを意味する点において異なる」とあり、ともに1番目の意味である上部と高いところが入っていない。

これはどういうことかを探るために、奈良時代の記録である古事記、日本書紀、万葉集、風土記、それから幾つかの宣命体から、ウヘ・シタとカミ・シモという言葉を使っている例を探し出し、それぞれの言葉がどのような位置関係を表しているのかを調べてみた。すると見つかった202例の「ウヘ」のうち、9割がものの表面か、見えるところで、上部を示す確実な例はなかった。シタのほうは、裏面のことを指しているのが3割弱。6割近くが見えないところをシタと呼んでいる。カミ・シモのほうは、川や潮流の上流と下流のことを指しているのが8割程度で土地の高いところを示す例はなかった。すると、ともに2番目に書かれている意味こそが本来の意味ではないのかという気がしてくる。

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高野山の蓮華定院。真田幸村が蟄居していた。ここから大阪夏の陣へ向かったという。世界遺産で泊まることができ、屏風も当時のままだ。

私の推測では、ウヘ・シタに使われる漢字、すなわち、上と下という漢字はもともと中国において基準よりも高いところや低いところを指していたから、天は高いところにあり、地は下にあるというような上下の感性は、上下という漢字の中に反映されていた意味が後から入ってきて、それまでの日本で使われていた言葉の意味に乱れを生じさせたのだと考えている。

日本語とタミル語の間には共通点が多すぎる

言語学の世界では、縄文時代の日本人が使っていた言葉には母音が4つしかなかったといわれている。
4母音の言葉というのは、オーストロネシア語といい、太平洋の周りの地域で使われている言葉だ。北のほうでは台湾やハワイ、南のほうではマレー半島の周辺やフィリピン、ニュージーランドあたりの地域である。

大野晋氏の『日本語の起源』によれば、BC500年ごろに、稲作とともに日本に入ってきた稲作、古墳、金属器、機織りといった文明と共にタミル文化が入ってきているという。タミルというのはインドの南、セイロン島と向かい合っている地域だ。そこで使われていたタミル語の古い文献を調べていくと、日本の古い文献に出てくる言葉との間に500語もの対応関係のある語があるそうだ。

日常的に使われる単語の数は通常2000~3000語であるから、500語も共通するというのは大変なことである。古い日本語とタミル語には他にも共通点があり、和歌の形式や助詞や助動詞の使い方が通じているという。つまり基層言語であるオーストロネシア語の縄文語の中に、あるときに稲作や古墳、金属器の文明を持ったタミル文化の人たちがやってきて、500語にも及ぶ言葉や文明を縄文人の中に残したということが考えられる。その後にやってくる平安時代に使われるヤマトコトバは、基層言語である縄文語にタミル語が入った状態なのではないかというのが大野氏の考えなのである。この対応関係は『日本語の起源』の巻末に表が載っているのでぜひ見ていただきたい。「森」「原」「町」「田んぼ」などがタミル語だと書かれていて、本当に驚くことになると思う。

それを見てみると、“ウハ”という言葉はどうやらタミル語から来ているようだ。ただ、タミル語には下(シタ)がないので、“ウハ”とウへが本当に対応しているかについてはやや疑問が残る。
しかし「裏」は、内部や心のことを言うul(ウル)が対応し、「内(うち)」「中(なか)」「縁(へり)」と「高い」「天(あま)」もタミル語に見つけることができる。
つまりこれらの言葉は、縄文時代のオーストロネシア語にはなかったというのだ。オーストロネシア語には、中心や高いところを示す言葉はなかったのではないか。
まとめると、ウヘ・シタというのは、オーストロネシア語では見えるところ、見えないところという意味。表、裏というのは、タミル語が入ってきてからの捉え方ではないかと推測する。

ちなみに建築用語の「梁」「畳」、日本独自とされることのある「さび」「わび」もタミル語からきている。これはなぜかというと、ケルト語に俗ラテン語が入ってフランス語ができたときに、ラテン語のほうが観念言語として使われたように、進んでいる文明の言葉を積極的に使おうとしたからではないか。観念言語としてのタミル語が中世の美学用語として用いられるようにはなったが、それに対する基層言語のオーストロネシア語は、ウへ・シタやカミ・シモのような感性の基本形式である空間と時間を表す言葉として使われて、日本美学というのができたのではないかと考える。この点は、大野晋氏も似たことを指摘している。

上座と下座は時間的な性質に由来する

これらの概念を用いて、古代の建物の形式を考えてみよう。
フィリピンのトラジャ族の建物伊勢神宮はよく似ている。どうやら古代の高床建築が建てられたころには、そのあたりからの影響も受けているようだ。フィリピンを含めた太平洋周辺は平たい島が多く、高低差を表現する必要があまりない。海に囲まれているとウヘこそが見える世界で、シタは見えない海中の世界だ。そこは人間にとっては死の世界、黄泉の世界である。だから、ウヘというのは開放的で人がいる空間というイメージとなる。
さらにカミ・シモは、何か一続きのものの始まりと終わりを意味するものだ。海で暮らしている人にとって、一番注意を向けなければいけないのは海流と風向きである。潮や風に逆らったり流されたりするということは、もう死ぬことになるからだ。それがカミ・シモという概念を生んでいるのではないか。潮や風は動くものであり、動くものには始めと終わりがある。

我々が、例えば座席を決めるときに、上座、下座を気にする理由は、初めと終わりという時間的な性質をもつことに由来する。上座が年長者、下座が年少者となる由縁である。
そして、ウヘという平面的で方向性のない場所に対して、上座や下座をつくると始まりと終わりができ、それによって別の“ウヘ”とつながる。カミがシモに、シモがカミにつながることで、複数の空間がつながり、全体構成は線形的になる、ということになる。
それで生まれたのが、座敷をつないでいく書院造の雁行形という形だ。
左右対称と言われる寝殿造の中でも、日本人はずっとウエ・シタ、カミ・シモの空間概念で、知覚と行為の体制化をしてきた。それによってクネクネとした雁行形のような使い方をしていたので、それに建築のほうを合わせたのが桂離宮のような書院造だ。

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日本庭園で有名な桂離宮は、部屋のデザイン性でも人気がある。茶屋の市松模様は、ユニークでモダンな雰囲気だ。

左右対称の中国的な住宅観念を持ち込んでいた寝殿造の時代には、感性による行動と建物が合っていなかった。だからウエ・シタ、カミ・シモによる雁行形の使い方に合わせた書院造が形成された。人間の行動のほうが変わらずに残り、建築がそれに応じて変化した。桂離宮は客と亭主の空間がそれぞれ雁行形になり、それが組み合わさったV字型であるが、そうなる前に単純な一方向の雁行型になっているのが、南北朝期の住宅建築のつくり方である。大体、4回から5回、折れ曲がるというのがルールのように体制化されている。こうやって一つ一つのウエが組み立てられていくのだ。

もちろん、体制化された知覚と行為というものは、当然ながら住宅建築の中にとどまるものではない。丹下健三氏や磯崎新氏のグループが日本の都市空間を分析した際には、都市空間もまた雁行形に組み合わさっていることを指摘している。

多様性が重要である理由

時間と空間の性質というものは、その人たちが直面している環境から決まっていく。そして、その時間と空間の世界の捉え方が言語になり、遺伝子のように今の我々にまで残っていて、その感性に基づいて我々は知覚をしたり行動したりしている。

日本文化というのは海で生まれた文化と言語が伝わってきて、それに日本独自の環境による影響が重なり、ある文化的な型となった。同じ時間中心文化でも、大陸の中国は空間的な感性が異なるために、違う型をつくる。各文化にはそれぞれの感性に基づくクオリアというものがあって、これがローカリティをつくっている。次回に述べるように、ローカリティ同士がぶつかることで創造が生まれる。だからローカリティを含んだユニヴァーサリティを構築していかなければいけないというのがこれからの社会であり、コモングラウンドには多様な感性を入れていかなければならないと私は考えている。