暮沢剛巳

暮沢剛巳

オーストラリアにて撮影。驚きに満ちた大地。

(写真:佐藤秀明

思考探索の時間を最適化していく?美術館のデータ利用

NFTの広がりにより、データと美術は新しい関係を構築し始めているようである。そもそも近年、美術界においてデータはどのように利用されていたのだろうか。ここでは「展示」に焦点を当てて紹介する。

Updated by Takemi Kuresawa on October, 19, 2022, 5:00 am JST

美術とデータの相性は変わりゆくか

近年、データサイエンスへの社会的な関心が高まっている。その理由は、例えば来年開設が予定されている一橋大学のデータサイエンス系の新学部の以下の概要に明らかだろう。

近年の社会・自然環境の大幅な変化により、世界中で様々な課題が新たに発生しており、これらの課題の状況は刻一刻と変化を続けています。急速かつ複雑に変化する現代社会の課題を解決するためには、適切な課題を発見・定義し、必要なデータを収集・分析して、そこから得られた示唆を社会実装することが必要です ※1

むろんこのデータサイエンスの潮流からは美術も無縁でいられるはずがない。データサイエンスという観点から美術について考えると、ある面では非常に相性がよく、逆に別の面では非常に相性が悪いことが分かる。
美術とデータの相性の良さは、何といってもミュージアムの存在によって立証されている。ミュージアムとは多くの美術作品を収集・保管する施設であり、収集の対象となっている作品からは全て作家名、年代、素材、技法、ジャンル等のデータが採取され、個々の作品はそれぞれのデータに基づいて分類・整理され、他の作品と関連づけられている。そうした膨大なデータの蓄積は、単に個々の作品の属性を明らかにするだけではなく、美術史の体系化や美術市場の形成にも大きく寄与することになるだろう。ミュージアムという装置を管理運営する上で、データは不可欠な存在なのである。

ルーヴル美術館
ライトアップされるルーヴル美術館とルーヴル・ピラミッド。(写真:Sergii Figurnyi

一方、美術作品の価値判断に際しては、美術とデータの相性の悪さが不可避的につきまとうことになる。美術作品の価値の源泉は作家性とオリジナリティ、すなわち「この作品は誰々によって生み出されたものである」という唯一性にある。ベンヤミンが「アウラ」と呼んだこの唯一性の拘束力はことのほか強いものであり、複製の可能な写真や映像もその拘束から自由なわけではない。データは活用して初めて意味があるもので、それ自体は文字や数字の羅列に過ぎないため、データに変換された作品は他の作品との差異を喪失し、無味乾燥な文字や数字の海に埋没してしまう恐れを免れなかったからだ。だが長らく支配的だったこの常識も、アーティスト・コレクティブの台頭やNFTアートの出現によって急速に変わりつつある。
美術とデータの二面的な関係について考えるのが本稿の目的だが、今回はデータサイエンスとミュージアムの関係について考えてみたい。

アイトラッカーがミュージアムの形式を決定していく

世界には大小さまざまなミュージアムがあり、それぞれ館の方針に則って膨大なデータを収集・管理している。先ほどは作家名など作品の属性としてのデータを例に挙げたが、今世界各国のミュージアムが注目しているのは、観客のデータだろう。2020年以降のコロナウイルスの世界的な流行に伴い、多くのミュージアムは長期間の休館を強いられ、活動を再開した現在も、時間指定や人数制限などの様々な制約下での活動を余儀なくされている。万一館内でクラスターが発生したりすれば、そのミュージアムは再度長期の休館を強いられ、また予定していた展覧会の開催中止に追い込まれるなど、経営にも深刻な影響が及ぶだろう。そういう事態を避けるにも、多くのミュージアムは時間帯、年齢、性別などに基づいた観客の増減や比率、観客の館内での滞在時間や行動パターンなどの詳細なデータを知りたがっているし、また実際に多くのミュージアムではそうしたデータを採取するための実験にも着手している。

多くのミュージアムが導入しているのがアイトラッキング(視線計測)の技術である。これは、来場者がいつ、どこをどのように見ているのかを計測するもので、その目的のために開発されたデバイスをアイトラッカーという。例えば、2012年末に開館したルーヴル美術館のランス別館では、アイトラッカーを活用した実験の結果、観客の9割が右周りに館内を移動することが判明したため、右周りを前提とした順路を組んでいるという。大半の人間が右利きであることを思えば、この実験結果自体はさして驚くことではないのだが、奥行120メートルのだだっ広い空間に約250点の作品を配し、6000年の美術史を一望できるパノラミックな展示を見どころとする同館の常設スペース「時のギャラリー」が、観客のデータ分析によって構築されたものだというのはやはり驚きである。言うまでもないが、展示スペースの導線は、観客の利便性以外にも、作品の運搬や安全性、非常時の通路の確保といった要素も考慮しなくてはならない。私は過去に2度同館を訪れているが、迂闊にもそうした点には注目していなかっただけに、次回訪れる機会があれば、ぜひそうした点にも注意を払いながら館内を周回してみたい。

平均4〜5秒しか作品を見ていない

一方、イタリアのボローニャ美術館では、国の研究機関ENEAが開発したShareARTというデバイスによるデータ収集が試みられている。このデバイスは、標準的なアイトラッカーの精度をさらに高めたもので、観客がどの作品をどの程度の時間鑑賞していたのかを明らかにする機能があり、それによると、観客が1つの作品の前で15秒以上静止していることはほとんどなく、平均的な鑑賞時間は4~5秒程度だったという。大掛かりな宗教画には何十人もの登場人物が描き込まれているが、4~5秒で見られるのはせいぜい数名に限られる。個々の観客の信仰の有無や程度はともかくとして、その多くはそれこそキリストとマリアぐらいしか見ていないということなのだろう。この現代人の気ぜわしさ、集中力の乏しさは、自分自身の鑑賞体験に照らしても、なるほどと思われることである。

ウマイヤ・モスク
シリアの首都ダマスカスにあるウマイヤ・モスク。世界最古のモスクといわれている。(写真:佐藤秀明)

その他、ShareARTによる調査では、滞在時間以外にも、多くの観客が2枚組の作品の片側しか見ていないこと、主催者が展覧会の目玉として順路の最後に配置した作品が、実は大して見られていなかったことなどが明らかになったという。ボローニャは静物画家ジョルジオ・モランディの出身地であり、現地の美術館には彼の作品も多数所蔵・展示されているが、鑑賞時間がわずか4~5秒では、個々の作品の微妙な差異などあまり認識されていそうにない。いずれにせよ、このような鑑賞用のデータは、観客の満足度を高める展覧会の演出はもちろん、コロナウイルスの感染リスクを軽減する上でも、大いに有効活用したいところだ。

所持品や音声ガイドから収集できる観客の情報

もちろん、観客の動向についての情報を収集する方法はこれだけではない。以下、他のいくつかの方法についても簡単に記載しておこう。

まず1つが、入場時のセキュリティチェックである。日本ではまだまだ実施例が少ないが、欧米や中国のミュージアムでは、来場者の入場時にX線による所持品検査を行うことが一般的である。これはもちろん危険物の持ち込みを規制するためで、飛行機に搭乗するときの手続きと同じ原理に基づくのだが、所持品の情報が集積されれば、観客の嗜好や動向を知るうえで有力な手掛かりとなるだろう。

次に考えられるのが、音声ガイドを活用する方法である。日本でも近年、多くの企画展で音声ガイドが提供されるようになったほか、ポケット学芸員とよばれる広域なアプリサービスも実施されている。多くの観客は簡易な作品情報や、有名俳優や司会者による展覧会のナビゲーション目当てにサービスを利用しているが、その端末にGPS機能を実装すれば、来場者がどのような経路で移動していたか、また、どの作品の前でどの程度とどまっていたかといった位置情報を特定することができる。また、日本では一部の館で英語のガイドが提供されている程度だが、欧米の巨大ミュージアムでは、音声ガイドは5~6か国語で提供されるのが一般的なので、どの言語の利用者がどの程度を占めているのか、その比率もまた重要な情報となる※5

さらには、館内の通信インフラを活用する方法も考えられる。現在多くのミュージアムでは館内にwi-fiのホットスポットを設けており、多くの観客が手持ちのPCやスマートフォン、タブレットでこのサービスを利用している。メール等の通信記録はもちろん個々の観客の個人情報だが、どの作品の前にどの程度いたのかという位置情報をはじめ、館のサイトのどのページにアクセスしたか、どの言語のサービスを利用しているかなどの情報であれば、サービス提供者であるミュージアムが採取し活用することも許されるだろう6。いずれも、サービス向上のために有効活用したい情報ではある。

キュレーター、コンサベーター、レジストレーター、ライブラリアンなど専門職が細分化されている欧米のミュージアムだが、つい最近までデータサイエンスに関する専門職は存在しなかった。だがコロナウイルスのパンデミックを経験したここ数年で状況は一変し、多くのミュージアムがデータサイエンスの重要性を認識するようになった。おそらく現在では、多くの巨大ミュージアムがデータサイエンティストの積極的な登用に乗り出していることだろう。もちろん、データサイエンスの一番の意義がサービスの向上にあることは言うまでもない。今後の各館の意欲的な取り組みに期待したい。

次回は、情報としてのアート──NFTアートとキュレーションについて論じていく。

注釈 
1. https://www.sds.hit-u.ac.jp/#message
2. Mathias Blanc, Leitia Bayle,Nicolas Bremard, Julien Wylleman “Unfolding the museum space with or without augumented reality(山崎敬一ほか編『観客と共創する芸術Ⅱ』埼玉大学教養学部・人文社会科学研究科,2022所収)”
3. https://www.smithsonianmag.com/smart-news/while-you-look-art-camera-looks-back-you-180978400/
4.「朝日新聞」2017年8月4日付夕刊。なおこの記事の末尾には、私のコメントも掲載されている。
5. カトリックや正教会の教会には、信徒が聖職者に罪を告白して赦しを請う儀礼のための空間が設けられているが、なかには5~6か国語に対応可能なマルチリンガルな聖職者を擁する教会も存在した。ここにはヨーロッパにおける多言語サービスのルーツを認めることができる。
6. ルーヴル美術館では観客の携帯電話のBluetoothを用いた調査を行い、その結果短時間しか館内に滞在しない観客には、明確にルートの「最適化」という行動の傾向が見られたという。https://media.and-art.jp/art-market/data-driven_museums/