福島真人

福島真人

William McGregor Paxton|The House Maid|1910|Image via National Gallery of Art

(写真:National Gallery of Art / National Gallery of Art

生成系AIの論点は「見かけ倒しの真理」にある

chatGPTの利用拡大が止まらない。「便利さ」ゆえに今後も各所への導入は続いていくだろう。一方で、重要な問題が見落とされている。それは、人がテキストをどのように捉えているのか、使用しているのかという点に由来する。人が用いるテキストには生成系AIにはない要素が含まれている。科学技術社会学の専門家・福島真人氏が解説する。

Updated by Masato Fukushima on April, 24, 2023, 5:00 am JST

「真理がかくも真的ではないのはどうしてなのか、これが問題だ」

フーコー(M.Foucault)はその人生後半、いわゆる「性の歴史」に関する大きな研究計画の初期に、真理という言葉を前面に出した議論をしている。そのプロジェクトの内容は後に大幅に修正され、次の巻が出るのに8年もかかったというのは有名な話だが、この真理という言葉を聞いて、盟友であったドゥルーズ(G.Deleuze)は裏でかなり腹を立てていたという興味深い証言がある。真理という言葉は伝統的なカント的認識論の匂いがプンプンするため、そうした議論をフーコーは復活させようとしているのか、と怒ったという。その後色々あって二人の関係は決裂した。他方、フーコー本人は「真理がかくも真的ではないのはどうしてなのか、これが問題だ」といっていたらしい。

現実には存在しないものは「偽」なのか。信じるものたちにとっては「真」なのでは

この真理という話は、哲学その他でも様々な角度から論じられ、近年では脱認識論の流行もあり、多少忌避される傾向もある。文化人類学では、こうした話にはしばしばエバンス・プリチャード(E.Evans-Pritchard)が研究したアザンデ族(今では南スーダンと呼ばれる、奥まった地域に住んでいる)の信仰がよく参照されてきた。宗教人類学の「妖術」の説明には必ず参照される有名な話だが、ここでいう妖術とは、自分では気がつかずに他者を害する能力のことを示す。アザンデの人々は、何か自分に災いが起こると、それは他人に害をあたえる力(マングー)をもった妖術師によるものだと考える。本人はそれに無自覚で、災いが起きると村中でその犯人を探し、儀礼によってそのマングーを鎮静化するのである。

エバンス・プリチャードはあるところでこの信仰について、「間違った信念」(つまり現実には存在しないもの)と表現したため、哲学を含め、人類学内外で論争がおきた。マングーなるものは現実には存在しないから「偽」と呼んだのだが、批判者たちはこうした信念が、一つの完結した思考体系をつくっているなら、その内部においてそれを「真」と呼んでいいのでは、と反論したのである。