小松原織香

小松原織香

パキスタン・北部のペシャワールの街。アフガニスタンとの国境に近い。ソ連によるアフガン侵攻まで、街の人々は国境を気ままに行き来していた。

パキスタン・北部のペシャワールの街。アフガニスタンとの国境に近い。ソ連によるアフガン侵攻まで、街の人々は国境を気ままに行き来していた。

人を傷つける行為は、
語れないときに加速する

インターネットの普及は人と人との関係を確実に変えてきた。今や、ネットがなかった時代に比べ、赤の他人を傷つけ、また傷つけられる機会は格段に増えている。ではそれによって心に傷を負ってしまったとき、あるいは負わせてしまったときの対処方法は充分に示されているだろうか。もしかしたら「修復的正義」がそのようなときに適した処方箋になりうるかもしれない。「修復的正義」の研究者である小松原織香氏が紹介する。

Updated by Orika Komatsubara on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

賛同を得にくい「加害者の声を聴くこと」

これらの抽象論を並べると美辞麗句の机上の空論のように聞こえるかもしれないが、修復的正義は世界中で実践されてきた。この連載の次回以降では、具体的な修復的正義のプログラムを紹介したい。今回はその前に、修復的正義の哲学のなかで最も受け入れるハードルが高いと思われる「加害者の声を聴くこと」について、掘り下げて考えたい。

列車から顔を出す人
ナイロビとモンバサをつなぐ鉄道。2017年に中国が別ルートで新しい鉄道を建設するまで、二つの街をつなぐ主要な交通手段だった。イギリス統治時代のものを使っていたと言われる。寝台車の主な利用客は白人、その他の一般席には黒人が多かった。2000年頃撮影。

暴力や差別の「被害者の声を聴くこと」に賛同する人は多いだろう。1990年代以降、殺人被害者遺族の尽力もあり、マスメディアの報道でも被害者の苦しみが伝えられることが増えた。かれらの言葉にするのも困難なほどの苦しみを人々は受け入れようとしている。他方、加害者はときに暴力や差別を正当化する思想や自分勝手な言い訳を語る。そのとき多くの人は加害者の声に耳を塞ぐ。また、罪をおかしたものは罰を受けるのが当然であり、話を聞く必要はないと考える人もいる。特に、殺人や性暴力の加害者、苛烈ないじめの加害者に対しては、問答無用で被害者と同じ苦しみを与えるべきだという人もいる。欧州では死刑は廃止されているが、日本では2014年の世論調査で8割以上の人々が死刑の存続を支持している。死刑は加害者を沈黙させる、究極的な方法である。加害者に対しては、声をあげるより黙って死ぬことを求める人々が多いということだ。では、なぜ修復的正義の哲学は、罪を犯した者の声を聴く必要があると考えるのだろうか。

小説『祖国』にみる加害者の声の実態

そこで今回は、小説作品を通して「加害者の声を聴くこと」について考えたい。取り上げるのは、フェルドナンド・アラムブル『祖国』(木村裕美訳、河出書房新社、2021年)である。『祖国』は、スペインのバスク地方の小さな村が舞台になる。ある日、村でチャトという男性が武装集団ETAに殺された。ETAは、バスク地方の分離独立を訴える政治組織で、チャトはテロの犠牲になった。20年以上が経っても、彼の妻は「夫を撃ったのは誰なのか」を知りたがっている。当時、村の人々はETAの過激な政治行動に熱狂していた。加害者と目されるのは、同じ村のホシェマリ。彼はETAの活動家になり触法行為を繰り返していたため逮捕され、刑務所に収監されている。彼がチャトを殺したのか? 物語は殺人事件後の被害者家族と加害者家族のそれぞれの人生を描き、過去と現在を往復しながら進んでいく。

この小説が秀逸なのは、どの登場人物も美点と欠点を併せ持った、ごく平凡で、市井を生きる個人であることだ。被害者の妻は、娘にとっては抑圧的な母でもある。被害者の娘は、過去にあったことをひた隠しにして事件から逃げ出すことで生き延びようとするが、うまくいかない。被害者の息子は心を閉じて他者と繋がることができない。加害者の父は、チャトの友人だったのに彼を庇わなかったことを悔いている。加害者の母は、息子の正義を信じ抜こうとする。加害者の姉は脳炎になり、重い障害を持ちながら弟を案じている。加害者の弟は、兄からいじめられておりETAの活動にもなじめなかったので、村から脱出して作家になった。そして、加害者(と目される)ホシェマリは、組織から末端の活動家として使い捨てられたと悟っているが、刑務所で黙秘し、強靭な活動家としての自己を貫こうとしている。かれらの人生は、殺人事件をきっかけに大きく変わってしまった。しかしながら、かれらの生きていくうえでの困難は事件によるものだけではない。独立運動や殺人事件といった、大きな社会的な出来事を物語の中心に据えながらも、あくまでも個別の人々の生き様を描き出すことができるのは、文学の力だろう。
この小説は、被害者の妻が、加害者と対話を試みて手紙のやりとりをするなかで、謝罪と赦しに至るプロセスを物語の軸に据えている。短く区切られた章によって、タペストリーのように織り上げられた二家族の物語は、以下の私の文章に進む前にぜひ実際に作品を読んで確認してほしい。ここでは、最も核心部分であるホシェマリはチャトを殺したのかどうかの箇所を紹介する。

ホシェマリの真実が明らかにされるのは、翻訳版下巻の160ページから始まる「最愛の息子」の章である。彼は、チャトの妻が、自分が彼を撃ったのかどうかを知りたがっていると、母親から聞かされる。彼は母親に「クソでも食らえって言ってやれ」と啖呵を切るが、ひとりになってから独房のなかで記憶をたどり始める。彼は組織の仲間達と計画し、チャトを殺害するはずだった。その日は雨が降っていた。チャトに会ったときには銃を握りしめていた。ところが、向こうはホシェマリに気づき親しげに話しかけてくる。
「やあ、ホシェマリ、帰ってきたのか? 会えてうれしいよ」
そう言いながら、チャトが近づいてくる。ホシェマリは混乱する。彼の脳裏に子ども時代の記憶がよみがえり、「あの日、あの大きな耳、あの人なつこい顔つき。うちの親父の友だち、おれが子どものころアイスキャンデーを買ってくれた人」だと思い出す。そして教会の鐘の音を聞いたとき、彼の頭のなかで「やめろ、殺すな」という言葉が響く。本当なら、ホシェマリはETAの活動家だと名乗り、相手を処刑すると宣言するはずだった。彼の心情はこんなふうに描かれている。
「教会の鐘が高みから“ノー”と打ったのだ。だって、チャトじゃないか、ちくしょう。彼の目、彼の耳、彼のほほ笑み。」
このあと、ホシェマリは――。

私はこの箇所を読み、本を閉じてしばらく目をつぶって動けなかった。この場面こそが、私が修復的正義に惹かれ、十年以上、研究を続けてきた、その原初の感覚に触れるからだ。ホシェマリの回想はドラマティックではない。彼は反省や後悔をうまく語れない。ぎこちなく自らのおかした過ちを認め、平凡な言葉で謝罪することしかできない。実際、彼がもたらした結果には政治的な意義も、独自の思想性もない。彼にとって、語るべきものも、語りたいものもないだろう。だからこそ私はこの場面で、ホシェマリという人間の生に触れた気がして打ちのめされた。