小松原織香

小松原織香

パキスタン・北部のペシャワールの街。アフガニスタンとの国境に近い。ソ連によるアフガン侵攻まで、街の人々は国境を気ままに行き来していた。

パキスタン・北部のペシャワールの街。アフガニスタンとの国境に近い。ソ連によるアフガン侵攻まで、街の人々は国境を気ままに行き来していた。

人を傷つける行為は、
語れないときに加速する

インターネットの普及は人と人との関係を確実に変えてきた。今や、ネットがなかった時代に比べ、赤の他人を傷つけ、また傷つけられる機会は格段に増えている。ではそれによって心に傷を負ってしまったとき、あるいは負わせてしまったときの対処方法は充分に示されているだろうか。もしかしたら「修復的正義」がそのようなときに適した処方箋になりうるかもしれない。「修復的正義」の研究者である小松原織香氏が紹介する。

Updated by Orika Komatsubara on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

炎上リスクに怯えて暮らす現代人

今日も、インターネットでは誰かが炎上している。
2021年夏に行われた東京五輪では、開会式にかかわったアーティストたちの過去の問題行動がインターネットで告発された。かれらが過去に障害者をいじめていたことや、ナチスによるユダヤ人虐殺を揶揄していたことが暴かれたのである。TwitterやFacebookなどのSNSを通して、情報は瞬く間に広がっていく。それも新聞やテレビのようなマスメディアが主導するのではなく、一人ひとりの人々の手によってかれらの情報は拡散された。その結果、アーティストたちは仕事を失った。このように、インターネットの炎上によって特定の人たちが仕事を失うことを、「キャンセルカルチャー」と呼ぶ。日本だけではなく、世界中でキャンセルカルチャーが広まりつつある。

炎上するのは有名人だけではない。私自身、これまで何度も炎上したことがある。私の名前をGoogleで検索すれば、私の著作でのミスや失態、配慮のない発言への批判がいくつも見つかるだろう。もちろん非常に小規模な炎上ではあるが、罵倒に近いコメントが嵐のように襲ってくるのは精神的にこたえる。そうしたとき私はいつもインターネットの接続を切断して、外に散歩に行く。動揺してその場しのぎの対応をすれば、余計に事態が悪化することを知っているからだ。私はときに、沈黙し、反論し、謝罪し、無視しながら、いくつもの炎上をやり過ごしてきた。幸い仕事を失う事態に陥ったことはないが、明日は我が身だとも思う。

今では誰もが炎上の危険を抱えている。企業であれば、会社の運営方針や労働現場の状況、広告、取引先の不祥事など、何がきっかけで炎上するのかわからない。個人であっても、誰しも後ろ暗いことのひとつやふたつはあるだろう。若い頃の暴力的な行動、言葉が過ぎて相手を傷つけてしまったこと、親族内で秘密にされていること。それらがインターネットで公開され、自分の個人情報が晒され、バッシングによって仕事を失ったら? これらのリスクは現代社会で生きている上でもはや避けられない。今後も多くの人たちが炎上に怯え、そのストレスにさいなまされることになるだろう。

コミュニティを変容させる「修復的正義」

キャンセルカルチャーは良いものだろうか? 自分の過去が暴かれることにビクビクしながら生きるのは良いことだろうか? 他方、過去の行いをなかったことにはできない。差別や暴力が起きたあと、被害者が放置されることはあってはならないのである。私たちの社会は、加害者への「処罰」もしくは「寛容」のどちらの方向に進めば良いのだろうか?

私がここで紹介したいのが、「修復的正義(restorative justice)」の哲学である。修復的正義とは、1970年代に欧米を中心として広まった紛争解決のアプローチである。日本語では「修復的司法」とも訳される。修復的正義の哲学では、個人としての加害者ではなく、被害者と加害者の所属するコミュニティに光を当てる。第一に修復的正義では、加害者は自らの行為の責任を取らなければならないとする。一番重要なのは、「なぜ、自分がそのようなことを行なったのか」を周囲の人々に説明し、被害者へ真摯な謝罪と補償を行うことである。第二に、被害者が自らの経験を語る場が必要だとする。周囲の人々が被害者の苦しみを理解し、受け入れなければならないのだ。第三に被害者・加害者が所属するコミュニティの人々は、差別や暴力が起きる背景にある社会の構造や文化を見つめ直し、再発防止に努めなければならないとする。つまり差別や暴力が起きたことをきっかけに、コミュニティを良い方向に変えていくのである。