松浦晋也

松浦晋也

アメリカ・フロリダ州にあるケネディ宇宙センターの展示物。1969年撮影。当時、アポロ11号が月面着陸に成功し、現地は沸きに沸いていた。

巨大な宇宙から持ち帰れるものは情報だけである

残されたフロンティアである宇宙。なぜ、人は莫大な予算を使い、ときには人命を賭して宇宙へ向かうのだろうか。今、宇宙へ向かうことの意味をノンフィクションライターで科学ジャーナリストの松浦晋也氏が読み解く。

Updated by Shinya Matsuura on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

加速する宇宙ビジネス

2022年の初頭、様々なメディアが年頭に出した記事を横断検索すると、意外な位に宇宙とビジネスを結びつける記事が多かった。曰く「宇宙旅行元年」「宇宙旅行目指す」「宇宙空港に期待」「民間人も続々宇宙へ」「衛星データ利用で新たな動き」などなど。
正月のメディアは景気づけに宇宙の話題を扱いたがるのは事実だ。が、単なる宇宙ネタではなくビジネス絡みというのは、2021年の宇宙を巡る活況に刺激された結果とみて間違いない。2021年、世界の衛星打ち上げロケット打ち上げ機数は145機と過去最高となった。この活況を引っ張るのは、宇宙への巨額投資で成長著しい中国(55機)と、世界各国のベンチャーだ。宇宙ベンチャーのトップに立つ米スペースXは「ファルコン9」ロケットを31機打ち上げた。小型衛星打ち上げ用ロケットで始めてサービスインした同じくベンチャーのロケットラボも7機を打ち上げた。

2021年に複数の有人商業飛行が実施されたことも、メディアの耳目を引くことになった。9月16にはスペースXが同社製「クルー・ドラゴン」有人宇宙船で、世界初の民間人のみ4名が搭乗した打ち上げ「インスピレーション4」を実施。4名は3日間の地球周回飛行の後、大西洋に着水して帰還した。12月8日には、実業家の前澤友作氏と前澤氏マネージャーの平野陽三氏が、ロシアの「ソユーズMS」宇宙船に搭乗して国際宇宙ステーション(ISS)に向い、12日間の滞在の後に12月20日に帰還した。これらは商業契約による宇宙飛行。インスピレーション4では米決済代行会社のシフト4社のジャレド・アイザックマンCEOが、スペースX社との契約で飛行を企画し、自らもクルー・ドラゴンに搭乗して宇宙を飛んだ。前澤氏の飛行はソユーズの座席を宇宙観光として販売するアメリカの宇宙旅行会社スペース・アドベンチャーズ社との契約に基づくもの。前澤氏はこの飛行で2人の搭乗とISS滞在のために100億円を支払ったという。
また、高度100kmほどの宇宙空間に到達し、数分間の無重力体験の後に地上に帰還する弾道飛行でも大きな進展があった。ジェフ・ベゾス・前AmazonCEOが率いる宇宙ベンチャー、ブルー・オリジンは7月20日に弾道飛行宇宙機「ニュー・シェパード」で初めての有人飛行を成功させ、さらに21年末までに2回の有人飛行を実施した。初回飛行にはジェフ・ベゾス本人も搭乗した。同じく弾道飛行を狙う英ヴァージングループのヴァージン・ギャラクティックも7月11日に、同社の弾道飛行宇宙機「スペースシップ2」に6人が搭乗し、初の乗客も乗せた弾道飛行に成功した。この飛行にはヴァージングループのリチャード・ブランソン総帥も搭乗した。

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2020年秋、調布飛行場近くでの撮影。夕方の空に巨大なかなとこ雲が発生している。かなとこ雲は発達した積乱雲が衰弱するときに見られる。危険な雷雨のサインであるため、見かけたら安全なところへ避難を。

現実は死屍累々

人間は、人間に関するゴシップが大好きだ。「誰それが宇宙を飛んだ」という話が重なれば、その方向で耳目を集める記事を書きたくなるのは理解できる。
が、宇宙ビジネスはそう簡単なものではない。宇宙をビジネスの場とする取り組みは1981年の米スペースシャトルの就航から始まったが、そこから現在までの40年の道のりは、死屍累々といっても良い。これまでに、ビジネスとしての離陸に成功したのは、第一に通信衛星に放送衛星。そしてここにきて地球観測衛星がビジネスになりつつある。これらの進展によって、ロケットによる衛星打ち上げビジネスも軌道に乗った。今、ビジネスになっている、あるいはなりつつある分野に共通しているのは、「宇宙から持ってきているのは情報だ」ということである。

では、なぜ情報だけなのか。
1981年4月、最初のスペースシャトルが打ち上げられた。運行ナンバーSTS-1、オービターは「コロンビア」。この時点で、スペースシャトルは宇宙への輸送コストを低減する画期的な宇宙輸送システムだと考えられていた。
スペースシャトル以前の、アポロ計画に代表される宇宙計画は米国とソビエト連邦との「刃を交えない戦争」だった。東西冷戦の代理戦争だったといってもいいだろう。戦争である以上勝利することが至上命題であり、そのためにはどれだけコストをかけても許された。が、それは国家の論理であって経済原理に従う民間の論理ではない。民間セクターを宇宙分野に呼び込んで、宇宙産業を育成するにはどうすればいいか。宇宙へのアクセス手段である宇宙輸送システムの運航コストを下げて、「安く宇宙に行けるようにする」ことだ。
そのためのスペースシャトルだった。シャトル運航開始と共に、米国は様々な宇宙産業育成策を打ち出した。
しかし、シャトルは1986年1月の「チャレンジャー」爆発事故で、その問題点が明らかになった。宇宙へのアクセスコストを安くするはずだったシャトルは、安くなるどころか使い捨てのロケット以上にコストの掛かる失敗作だったのだ。
同時期、米レーガン政権は様々な規制緩和策を打ち出して経済を活性化させようとした。その中に、それまで国家機関の独占だった国際衛星通信事業への民間資本の参入を認めるという政策があった。政策に応じて、いくつもの事業者が国際衛星通信事業に参入したが、それらの事業者の衛星をどうやって打ち上げるか——当初はシャトルで打ち上げるつもりだったが、シャトルは民間の事業者が利用するには高価かつ危険すぎるものであることが明らかになってしまった。すると旧来の使い捨てのロケットを使うしかないが、この時米国は輸送系をスペースシャトルに集約する決定をしていた。「デルタ」「アトラス」「タイタン」という既存の使い捨てロケット3機種は、製造を中止してしまっていたのだ。チャレンジャー事故を受けて生産再開を決定したものの、これら3機種の運用が再開できたのは1989年に入ってからだった。

その隙を突いて、一気に衛星通信事業への参入者たちからの契約を取り付けて、立ち上がりつつあった商業打ち上げ市場のトップに躍り出たのが、欧州のアリアンスペース社だった。アリアンスペースは、欧州宇宙機関(ESA)が開発する「アリアン」ロケットを使って商業打ち上げを行う商社兼打ち上げ事業者として1980年に設立された。ESAのアリアンロケットは1979年に最初の「アリアン1」ロケットの打ち上げに成功し、その後「アリアン2」「アリアン3」と能力増強を進め、1988年には商業打ち上げに向けた真打ちというべき「アリアン4」ロケットの打ち上げを開始した。アリアン4はコストと性能、そして成功率のバランスが取れたロケットで、衛星事業者から歓迎された。

1990年代、商業打ち上げ市場は、一強のアリアンスペースに、復活したアメリカのデルタ、アトラス(タイタンは米官需打ち上げのみの運用となった)。旧ソ連崩壊後にダンピングに近い低価格で商業打ち上げ市場に進出してきたロシアという三つ巴の様相となった。そこで基準になったのが、アリアン4の価格だった。1回の打ち上げでおおよそ1億ドル。アリアン4は、当時標準であった軌道上初期重量1トン級の静止衛星を2機同時に打ち上げることができた。つまり衛星1機あたりの打ち上げ価格は約5000万ドルだ。

ここで、衛星側に目を向けてみよう。この時期の商業衛星は、あらかたが静止衛星だった。
静止衛星というのは静止軌道で運用する衛星。静止軌道というのは、赤道上空3万6000kmの円軌道だ。この軌道に入る衛星は、24時間で地球を一周する。つまり地上から見ると空の一点に静止して見えるわけだ。衛星の移動に合わせて地上局のアンテナの向きを変えなくてもいいし、衛星側もアンテナを動かして地上局を指向し続ける必要がない。通信と放送には大変都合の良い軌道だ。
しかし、静止軌道は軌道力学的に完全に安定というわけではない。地球が完全な球ではなく少し歪んでいるために、静止軌道の衛星は放置するとどんどん位置がずれていく。このため静止衛星は時々、小さなロケットエンジンを噴射して位置を保持する必要がある。この姿勢維持のための推進剤が枯渇すると、それが静止衛星の寿命となる。1980年代から90年代にかけて、静止衛星の寿命は10年程度で設計されていた。
つまり、民間の衛星事業者としては、衛星の価格(ものにもよるがだいたい1億ドル)、打ち上げ価格(アリアン4なら約5000万ドル) 、そこに打ち上げに失敗したり軌道上で衛星が故障した時の保険、10年分の運用コストなどを足し合わせた以上の収益を、10年であげることができる用途でしか、ビジネスを展開できないということだ。

宇宙で採算がとれるのは情報だけ

もう少し抽象化しよう。「衛星など宇宙機の調達・運用コストに打ち上げコストと足した額以上の収益を、運用期間中に挙げること」が宇宙でビジネスを展開する用件となる。
こうなると、まず、「宇宙空間でなにか宇宙でしか作れない有用なものを生産して地球に持ち帰る」というビジネスが脱落する。地上と宇宙の間で、質量を持つ物質を動かすのには莫大な運航コストがかかるからだ。

スペースシャトルの就航当時、NASAはさかんに「無重力環境の宇宙で新材料や新たな医薬品を作る宇宙工場」という宣伝を行った。が、スペースシャトルの運航費の高騰に伴って、この目は消えた。
なにより新材料や新医薬品の開発には、莫大な回数の実験と試行錯誤が必要となる。最大でも2週間しか軌道上に滞在しないシャトルでは、この試行錯誤ができなかった。本格的な試行錯誤が始まるのは2011年の国際宇宙ステーション(ISS)が完成してからであり、しかもISSの運用が10年以上続き、様々な実験が行われた現在でも「どうしても宇宙でなくては製造できない、宇宙での製造コストに見合うだけ有用な物質・医薬品」は開発されていない。

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2010年頃撮影。建造物は羽田空港の滑走路進入灯。

地上-宇宙間で物質を動かすビジネスが不可能なら、物質以外の質量を持たない付加価値を動かせばいい。具体的には情報だ。
こうして、まず静止軌道を使った衛星通信事業、及び衛星通信事業者に打ち上げ手段を提供するアリアンスペースのような商業打ち上げ事業者が、宇宙ビジネスとして成立したのである。1990年頃からは、衛星放送事業も成立するようになった。もともと「宇宙から電波を降らせる」という点で衛星通信と衛星放送は共通である。ただ通信が1対1で双方向であるのに対して、放送が1対多で一方通行であるところのみが異なる。

1960年代から70年代にかけての通信衛星は搭載する通信機器の出力が10W程度しかなく、受信には大きなパラボラアンテナを必要とした。これでは家庭の受信機に直接情報を届ける衛星放送には使えない。しかしその後衛星搭載通信機器の出力が100W、200Wと大きくなり、また家庭に設置する受信機の側もHEMT(High Electron Mobility Transistor:高電子移動度トランジスタ)に代表される低雑音の電子部品が実用化したことで、高感度化が進み、通常の通信衛星でも一般向けの放送が可能になった。結果、現在のスカパー!のように直径数十cmのパラボラアンテナを設置するだけで数百チャンネルの衛星放送を受信できるサービスが宇宙ビジネスとして実用化することになった。
その後、アリアン4が新型でより大型の「アリアン5」ロケットに更新されたり、衛星メーカーが標準品として製造している静止衛星のサイズがロケットに合わせて大型化し、設計寿命も15年に延びたりという変化はあった。が、基本的に「割に合う宇宙ビジネスは、通信・放送と、商業打ち上げだけ」という状況は2010年代前半ぐらいまで、つまり20年以上続いた。

宇宙で採算が取れるのは情報だけ——それなら、通信・放送以外の情報はビジネスになるかどうか。まず、地球観測という分野がある。衛星から地表を観測して、観測データを地表に送信する。宇宙と地球の間を行き来するのは情報だけだ。
もうひとつは物質であっても、うんと特別で膨大な情報を乗せた物質を宇宙と地表の間で往復させるということだ。具体的には人間である。つまり、人間が宇宙に行って宇宙空間を体験する、宇宙観光はビジネスになるのではないだろうか。

実際、この2つは1980年代から次世代の宇宙ビジネスとして、随分と期待されていた。が、一筋縄ではいかなかったのである。(続く)

参照
SpaceX:https://www.spacex.com/
Space Adventures:https://spaceadventures.com/
Virgin Galactic:https://www.virgingalactic.com/
SpaceShuttle(NASA):https://www.nasa.gov/mission_pages/shuttle/main
/index.html
Arianespace::https://www.arianespace.com/