対自然に留まらない、宮崎駿のアニミズム
ーーその者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地に導かん……
青いワンピースを身にまとった女の子、ナウシカ。金曜ロードショーで繰り返し放映される、アニメ「風の谷のナウシカ」の主人公である。特別に漫画やアニメが好きな人でなくても、このアニメ作品を視聴したことのある人は多いはずだ。
アニメ版「風の谷のナウシカ」のストーリーはシンプルだ。大昔の人類の戦争により、世界が徹底的に破壊されたあと、荒廃した大地には「腐海」と呼ばれる森が繁茂した。腐海から吐き出される胞子による健康被害を避けるために、人々はいつもマスクをつけて暮らしている。また、蟲と呼ばれる凶暴な生き物たちが人間に襲いかかる。

辺境の地、風の谷で生まれ育ったナウシカは、草木や動物を愛し、人々の忌み嫌う蟲ともコミュニケーションが取れる。彼女は腐海が、人間が汚染した土壌を浄化するエコシステムの一部であることを発見した。戦争で殺し合い、この世界を破壊し続ける人間たちを止めるために、ナウシカは立ち上がる。アニメでは、ナウシカは人間と自然の共生を訴える、エコロジストのようなヒロインだった。アニメ版ナウシカは、中高生向けの環境教育で教材として使用されることもある。
この作品を監督した宮崎駿が、アニミズム的な感性を持っていることは公然の事実だろう。批評家や研究者もこぞって宮崎のアニミズムについて論じてきた。宮崎自身もアニミズムが好きであると明言し、森の中には立ち入れない深遠の世界があるという感覚について語っている。目に見えない、「なにかがいる」という直感。科学的には観測されない、人の認識を超えた世界こそが、アニミズムの世界だという。そして、人間がその超越的な世界への繋がりを失うと、自分の存在そのもの が薄っぺらいものになると述べている。(宮崎駿『出発点』徳間書店、1996年)
宮崎は、自然との関係を通して神々や精霊の世界を見出すことを通じて、自己を豊かにできると考えているのである。
私も、宮崎駿のアニミズム的感性が「風の谷のナウシカ」にどう反映されているのかについて、大きな関心を抱いてきた。この作品を読むことを通して、人々がアニミズムの世界を直感的に知覚する力を取り戻せるのではないかと考えたのだ。
ところが実際に、研究者として「風の谷のナウシカ」を分析し始めると、宮崎駿のアニミズムの射程は、人間と自然との関係にとどまらないことに気づいた。
作者自身も戸惑った「巨神兵」の振る舞い
「風の谷のナウシカ」には漫画版がある。もともとこの作品は、1982年から雑誌「アニメージュ」で連載漫画として始まった。その途中の漫画版の1-2巻を中心に再構成されたのが、1984年公開のアニメ版ナウシカだ。漫画版が完結したのは1994年で、ワイド版のコミックス7巻、1000頁を超える大作となった。
漫画版とアニメ版は、世界観や登場人物の設定は共通しているが、物語のテイストは全く異なる。アニメ版では、ナウシカがヒロインとなって世界を救済する一直線の物語が描かれるのに対して、漫画版ではナウシカが「なぜ、この世界はこのようになっているのか」「生命とはなにか」といった問いの探究に入っていくため、ストーリーラインはぐねぐねと混線している。それにともなって、読者はナウシカとともに思索の海に入る。つまり、 漫画版は非常に哲学的な作品なのである。

なかでも、最も大きな違いは「巨神兵」の位置付けだ。巨神兵は、かつての人類(古代人)が発明した、巨大な人型の殺人兵器である。世界を破壊し尽くした元凶でもあった。アニメ版では戦争のために巨神兵は封印を解かれて復活させられるが、途中で腐り落ちて崩壊してしまう。このとき、巨神兵は人間の科学文明の限界を暗示している。
他方、漫画版でも、巨神兵は復活させられる。ナウシカは世界の破滅を止めるために、巨神兵を破壊しようと向かっていった。ところが、巨神兵はナウシカに向かって「ママ」と呼びかけた。彼はナウシカを害するものを光線で焼き尽くし、守ろうとする。その姿は、まるで母親を追い求める子どものようだ。
このような巨神兵とナウシカの出会い方を、作者の宮崎自身も「どうすればいいのだろう」と戸惑いながら描いた。
破滅的な力を持つ巨神兵から「ママ」と呼び掛け られたりしたら、いったいどうするんだろうと考えるだけで頭がクラクラするんです。だから、ナウシカ本人の当惑はそのまま僕の当惑なんです。(宮崎、1996年、前掲署、524頁)
意思を持った「核兵器」を慈しむナウシカ
巨神兵は、明らかに核兵器の隠喩である。世界を破滅させるほどの破壊力を持ち、常に毒の光を出して、人間の健康に害を与える。前回も書いたように、宮崎は幼少期の強烈な戦争体験を持っている。また反戦主義者であり、どれだけ核兵器が罪深い存在であるかはよく理解しているだろう。それにもかかわらず、巨神兵、つまり核兵器が意思を持ち、自分を慕ってくるようなストーリーを展開させたのである。
ナウシカは、巨神兵の自分に対するまっすぐな思慕の念に直面して、葛藤する。彼女の目的は、巨神兵を再び封印することだ。その意図を隠して、母親のように振る舞って巨神兵を目的地に誘導する。幼子のように無垢な心を持つ彼に対して、ナウシカは「自分は生まれてはいけなかった」と知ったらどんなに傷つくだろうかと心を痛める。それと同時に、巨神兵が弱っている時にも、自分のことを守ろうとする姿を見て「やさしい子」だと涙を流す。
巨神兵は生命破壊への罪悪感はなく、全てのものを敵・味方にわける。ナウシカを害するものは容赦無く焼き殺し、それを楽しむ。だが、ナウシカが動揺し、彼女が自分へ怒りを向けると思うと、弱って震えてうずくまる。ナウシカは、自分が巨神兵を見捨てれば誰からも愛されない子になってしまうことを悟る。そして、覚悟を決めて、巨神兵にこう語りかける。