仲俣暁生

仲俣暁生

成田闘争。穏健派も過激派も入り混じったデモ隊が進んでいく。学生が多く、デモの最中にそれぞれ喧嘩していた。

(写真:佐藤秀明

自分の頭で考えることは、なぜ難しいのか

文筆家・仲俣暁生氏が橋本治の著作から未来のヒントを読み解いていく企画第5弾。
今回は『宗教なんか怖くない!』を題材に、忌まわしい事件が起きた背景の「核」を見つめていく。

Updated by Akio Nakamata on May, 20, 2022, 9:00 am JST

オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫と、同教団幹部の計13名に死刑が執行されたのは2018年7月のことだ。1995年3月の地下鉄サリン事件からはすでに23年の歳月が経っていた。平成年間(1989年〜2019年)を象徴する最大の出来事ともいうべき一連の「オウム真理教事件」は、この元号が幕を下ろすのとほぼ同時に決着がつけられ、その後は忘れられるがままになっている。私たちは(あるいは日本という国家は)早く忘れたいのだ。不愉快で無様で、しかもよくわからないままだったあの事件を。

橋本治が『宗教なんて怖くない!』をマドラ出版(のちにちくま文庫)から刊行したのは、地下鉄サリン事件とその直後に行われた教団施設への強制捜査から間もない1995年7月である。同事件を受けての書下ろしであり、緊急出版ともいうべきスピーディな対応だった。

この本の冒頭で橋本はこう述べている。

「”地下鉄サリン事件” ”松本サリン事件” “假屋さん拉致事件”という刑事事件に関する名称はあるが、どうやら”オウム真理教事件”という名称はまだあまりポピュラーになっていないようだ。私は、そうしたオウム真理教の引き起こした数々の刑事事件も含めて、”オウム真理教事件”という名称を使いたいし、そのことによって「オウム真理教の存在そのものが事件である」という、日本の問題を扱いたい。これは、そういう本である。」(「introduction」)

もっとも、この本で橋本が熱心に論じているのはオウム真理教という教団やその教義自体ではない。あくまでもそれを生み出した「日本の問題」が主題である。オウム真理教事件を語る際には当然のように、「オウム真理教」という宗教の問題が議論された。だが当時もいまも、一般の日本人は宗教についてほとんどなにも知らない。橋本は、そもそもこれは「宗教によって起きた事件」だったのだろうか、という疑問を提示するのである。

オウム事件は本当に「宗教」が問題だったのか

宗教とは何か。そしてオウム真理教とは何か。この二つについて、橋本はこの本の早い段階でさっさと定義してしまう。「宗教とは、この現代に生きている過去である」。なぜなら、「宗教とは、近代合理主義が登場する以前のイデオロギー」だからであり、したがって「近代合理主義が登場した段階で、宗教の生命は終わる」からだ。

エベレスト街道
右手の山の後ろにエベレストが聳える。エベレストの登山者はこの道を通る。積み上がった石は高山病などで命を落とした人々への弔いだ。

他方、オウム真理教事件については「遅れて来た田中角栄信仰とオタク予備軍のしでかしたバブル末期の犯罪」である、と橋本は即座に断じた。この事件は「宗教」という要素を排除しても十分に理解できる世俗的な要素に満ちている。にもかかわらず、多くの者はそこに宗教という余計な要素を入れずにはいられない。橋本はそちらの側、つまりこの事件を宗教的なものと考え、それゆえに難解だと捉える側にこそ問題があると論じたのだった。

ここで『宗教なんて怖くない!』の議論は二つに分岐する。一つは、1990年代の日本になぜ、まだ「生きている過去」としての宗教を信じる人々がいたのか。もう一つは、なぜ私たちはそのことを「難解」だと考えてしまうのか、である。

江戸時代の段階で政教分離と世俗化が十分に進んでいた日本では、明治維新の際にあらためて、西欧におけるキリスト教に代わるものとして国家神道という「支配的かつ一切の宗教の上に君臨する強大な宗教」が人為的につくられ、そのもとで近代国家の建設が進められた。大日本帝国が崩壊し、新憲法が発布された第二次世界大戦後の日本では、信教の自由が認められいくつもの新興宗教が花開いたが、基本的には宗教色の薄い社会になった。もはや宗教は、社会を維持するためのものとしては必要とされず、人は誰からも信仰を強制されることはない。

それでもなお、宗教を信じる人がいるのはなぜか。問題は宗教ではなく、「信じる」という行為をする人の側にある。とりわけ問題なのは、知識人と呼ばれる、「自分の頭で考える」べき者たちである。当然ながら大衆と知識人とでは、宗教に対する捉え方は異なる。前者が信心というかたちでまるごと教義を受け入れるのに対し、後者は頭で信仰をとらえようとする。内村鑑三白樺派を始めとする明治や大正の知識人も、そのようにキリスト教に向かった。戦後に信教の自由(あるいは「信教しない自由」)を得た後も、知識人のなかには「信仰を理解できない劣等感」のようなものが育っていたのではないか、と橋本は指摘する。

「学習」しすぎた者たちが起こした事件

事実、オウム真理教のなかに不気味さ、あるいは恐怖を見出し、それゆえに深淵なる謎をもつ難解なものとして捉えてしまった知識人は多い。オウム真理教の荒唐無稽な教義や異様なイニシエーション、そして様々な犯罪への関与が明らかになると、多くのメディアは、高学歴だったり社会的地位のあるエリートがなぜ、このような教義をもつ宗教やその教祖を信じたのか、と疑問を呈した。だが橋本によれば、オウム真理教事件はむしろ実行犯となった信者たちが「高学歴だったり社会的地位のあるエリート」だからこそ起きた事件だった。

「宗教はismだから、その教義を学習しなければならない。だから当然、その”信仰する心の態度”もまた、学習しなければならない。なにしろそれは、”まだ学習途中で分からないもの”なのだから、当然のことながら、「この信仰態度=学習態度は正しいのか?」という疑問が信者の間で起こる。「こう信仰するのが正しい、こう学習するのが正しい」という”指導”が生まれて、そこに指導者の絶対性が付与されるのなんかは、当然の道筋だ。」(「7. 「”信仰”といえばキリスト教」の錯覚」)

オウム真理教以前にも、「ism」が多くの「高学歴だったり社会的地位のあるエリート」を惹きつけた時代が日本にはあった。明治・大正時代のキリスト教、大正から昭和における社会主義がそうである。オウム真理教の事件から、マルクス=レーニン主義という「教義を学習」することに熱心だった革命党派(セクト)が、拙劣な指導者の「絶対性」のもとで悲惨な同士殺しを繰り返し、最終的に自滅した事件のことを連想した者も多かった。1972年の連合赤軍事件である。

もともと「セクト」という語は「支配的かつ一切の宗教の上に君臨する強大な宗教」に対する異端、分派のことだ。宗教という要素を抜きにしてもオウム真理教のことを理解できるのは、宗教(ism)を”信仰する心の態度”というものが、結局のところは「自分の頭で考える」ことの放棄を意味するからだ。「宗教とは、近代合理主義が登場する以前のイデオロギー」である、という冒頭の定義を敷衍するなら、日本では社会主義も、あるいはそれ以外の多くの思想や哲学も、「近代合理主義」以前の”心の態度”によって信仰されたのではないか。そのように橋本治はこの本で論じていった。

ここまで来れば、『宗教なんて怖くない!』という本の主題が、前回までに論じた『江戸にフランス革命を!』と通底するものであることが理解できるだろう。なぜ日本では、国家神道という「支配的かつ一切の宗教の上に君臨する強大な宗教」が去った後も、近代合理主義のもとでは当たり前の「自分の頭で考える」ということが行われないのか。近代合理主義のなかから生まれたはずの社会主義思想でさえ、特定の主義(ism)を”信仰する心の態度”を、「指導者のもとで学習する」ということになってしまうのか。

デモ隊と機動隊の衝突
機動隊と衝突するデモ隊。かつての日本にもこのような時代があった。

「日本は、原則として、「自分の頭でものを考えなくてもすんでいる」という国だから、「自分の頭でものを考えるのも自由」だし、「自分の頭でものを考えないのも自由」なのだ。つまり、この国では”考える”ということに関しての対立が、原則として起こらない。起こるとしたら、”対立”ではなく”排除”が起こる――「あいつはものを考えられないバカだから仲間はずれにしよう」とか、「あいつはヘンなことを考えている気持ち悪いやつだから仲間はずれにしよう」とか。」(「16. 大人と子供は、大人の側から見れば「対立しない」が、子供の側から見れば「対立」する」)

だから日本では思想的対立は、基本的に「思想的に似たような人達」=同志の間だけで起き、「絶対に外には漏れないようになって」いる――すなわち内ゲバである。東大紛争をはじめとする1960年代末の学園紛争を間近で経験した橋本治が、当時の出来事について直接に語ったことは少ない。だがオウム真理教事件を通じて「日本の問題を扱いたい」と宣言したこの本のなかで、橋本はあの時代についての考えを十全に述べているように私には思える。

「自分の頭で考え」たら、「救い」が欲しくなった

日本の社会にはいつの時代も、”自分の頭でものを考えない大人”と”自分の頭でものを考えようとする子供”の対立が、隠されたまま存在してきた、と橋本は言う。日本社会における大人とは「ものを考えない」ままでいることを許された、既得権をもつ者たちのことだ。日本では「”考える”ということに関しての対立」が原則として起こらない結果、どうなるのか。

「「日本の近代における青年達の”主張”というものがどれほど若く未熟なものだったかという検討がされないまま、”近代は壁にぶつかった”と言われる」ということになる。日本近代の思想も文学も主義運動も、実はとっても未熟なもんでしかないのだが、「それを主張する以上、扱いは”大人”」ということになっていたのだから、可哀想に、背伸びした子供の”背伸び”は、見えなくなっているのだ。」(同前)

日本の近代化のなかで、既存の社会に異議申し立てをしようとした青年たちは、青年であるがゆえに「未熟」だった。彼らは同志のなかでは「考え方をめぐる対立」(内ゲバ)を起こしたが、既存の社会に既得権をもつ「自分の頭で考えない」大人たちからは、既存の社会と彼らとの間にはいかなる「対立も存在しない」ものとされ、挫折を余儀なくされた(戦前の社会主義者の「転向」もそのようにして起きた)。橋本治はそれを別の言葉で、こう述べる。彼らは”孤独に陥った”まま、誰からも愛されなかったのだ、と。

「日本人に一番必要なことは、”自分の頭でものを考えられるようになる”ことである。にもかかわらず、自分の頭でものを考えようとすると、いつの間にかふっと宗教が忍び寄って来てしまうことがある。それがなぜかと言えば、”個人の救済”とか”個人の内面に語りかける”ということに関する思想が、日本の場合、ほとんどが鎌倉時代の宗教関係者によって考え出された思想だからである。だからすぐに『歎異抄』とか『教行信証』とか『正法眼蔵』とかに行ってしまう。『聖書』と『歎異抄』の間を、行ったり来たりする、とか。」(「13. ”内面に語りかける宗教”と、”社会を維持する宗教”――あるいはその抜けている”何か”」)

自分の頭でものを考えようとした日本の孤独な青年たちは、社会主義を始めとする思想や哲学といった「ism」のなかにさえ、宗教に似た「個人の内面に語りかける」ものを見出した。しかしその際に”信仰する心の態度”を学習しすぎた者は、「自分の頭でものを考えている」つもりが、自身の孤独を受け入れ、愛してくれる=救済してくれる(と思えた)「指導者の絶対性」に寄りかかってしまった。

橋本治は日本の近代を、「孤独な青年」たちによる未熟なプロジェクトであったと考えた。そのことは日本の近代文学について論じた、のちの『失われた近代を求めて』(朝日出版社)のなかでいっそう徹底的に論じられていくことになる。

参考文献
宗教なんか怖くない!』橋本治(筑摩書房 1999年)
江戸にフランス革命を!』橋本治(青土社 2019年)
失われた近代を求めて 上』橋本治(朝日出版社 2019年)
失われた近代を求めて 下』橋本治(朝日出版社 2019年)