松村秀一

松村秀一

カシミールのダル湖。ホテルの船が浮かんでいる。豊かなヒマラヤの伏流水が流れ込む湖は美しい。あちこちでタクシーや物売りの小船が行き交っていく。1980年代撮影。

(写真:佐藤秀明

DIYが開く、建築業界の未来

担い手の減少により将来が危ぶまれる建築業界だが、東京大学で建築学の特任教授を務める松村秀一氏は、「DIYが新たなものづくりへの可能性を開く可能性がある」という。その理由とは。「趣味とプロの仕事は違う」と考える人にこそ、お目通しいただきたい。

Updated by Shuichi Matsumura on June, 27, 2022, 9:00 am JST

自由と責任を直感させる「do it yourself」

私がまだ中学生か高校生だった頃、小学校からずっと使ってきたノートというものが型通りで窮屈に感じられ始めた時期があった。もう大学生だった兄の影響だったかもしれないが、いわばノートの1頁1頁がバラバラになり、左端に連続的に穴があいているルーズリーフとそのバインダーという組み合わせが、自由でより大人びていると感じた。最初に手にしたのは、半透明のプラスチックカバーの中に、黒地に白抜きで大きく「do it yourself」と書かれた紙が差し込まれているものだった。今検索してみると、スケッチブック等で知られるマルマンという文具メーカーが、1971年に発売したルーズリーフバインダーだったようである。

私が手にしたのは、この発売の1〜2年後だっただろう。「do it yourself」という言葉もロゴも印象的だった。「自分でやれよ」。自由と責任の両方を直感させるものだった。実際には、この「do it yourself」と書かれた紙の代わりに、自分の好きな絵や写真を差し込むという、このバインダーの使い方自体をも意味していたのだと思う。私も慣れてくると、「do it yourself」と書かれた紙を抜き取り、代わりにデビューしたてのオリビア・ニュートンジョンの写真など差し込んでみたりしていた。型通りのノートの世界からは、随分と自由な世界にステップアップしたような気がしたものだった。「do it yourself」のお陰で。

「自分でやろう」の精神を産業化したアメリカ

この「do it yourself」という言葉は、第二次世界大戦後の荒廃したロンドンで、故郷の復興を望む元軍人たちが、「何でも自分でやろう」と声を掛け合い、再建のために働いたところから出てきた言葉だと言われている。その言葉(D.I.Y.あるいはDIYと略されることも多い)とそれが表す「自分でやろう」精神は、その後欧州とアメリカに伝わっていったのだそうだ。

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テキサス州都オースティンの街を歩いてゆく中で出会った建物。

アメリカの動きは速かった。例えば、1954年8月2日号の“Time”誌の特集タイトルは“DO.IT.YOURSELF  The new billion-dollar hobby”(DIY  新たな数千億円趣味市場)。芝刈り機に載った男性(お父さん)が、様々な工具を手に、自動車を直し、庭木の枝払いをし、家の壁を塗り替え、木材の加工をし、釘打ちもしているというような、いわばDIY千手観音的なマンガが表紙を飾っている。このマンガが表現しているのは、DIYが趣味としてのめり込める分野であることだけでなく、多くの工具(その多くが電動工具)の需要の大きさである。遅くとも1954年のアメリカでは、「自分でやろう」精神を趣味の領域に持ち込み、いわば産業化する動きが始まっていたのである。そして、このマンガを見る限り、最も多くが期待されていたのは、家の模様替えや修繕といった分野のようだ。つまり建築のものづくり世界にDIYという新しい生活文化が少なからず関わり始めたのである。

アメリカのホームセンターには家を建てるのに必要なすべてのものが揃っていた

アメリカにおける住宅建築分野でのDIYの産業化とその規模の大きさを、私自身が肌で感じたのは、1990年代にアメリカ人に連れていかれた全米に展開する巨大ホームセンター“Home Depot”の1店舗においてだった。広大な駐車場。巨大倉庫そのもののような建屋。中に入ると、合板、セメント、便器、ドア、規格製材、キッチン、洗面化粧台、床仕上げタイル、ペンキ、瓦、窓、建具金物、電動工具等々、数えればきりがない程の種類の建材や道具が置かれている。およそ家を建てるのに必要なすべてのものは売っている。今でこそ、日本にもこういう品揃えの大規模なホームセンターが見られるようになってきたが、1990年代は比較すべき店が日本には全くなかった。見たことのない大きさのカートに、客達が選んだ建材を入れてレジに持っていく。大きさは違うが、ここはスーパーと同じ。皆カードか現金で支払いを済ませ、自分の車のところまでカートを押していく。

ここで面白いのは、日本で言えば工務店にあたるビルダーも同じようにホームセンターで建材を購入しているということ。プロ向けの割引位はあるのかもしれないが、基本的にはDIYで工事をする素人と、業務として日々工事をしているビルダーが、同じものを同じ価格で買っている。日本では考えられないことだった。日本では、プロ向けの流通、決済のシステムは、DIY向けの流通、決済のシステムとは全く異なるものだった。DIYがアメリカのように生活文化として定着し大きな市場を形成すると、プロのものづくりの世界のあり方自体が大きく揺さぶられる予感に、とても興奮したのを覚えている。

出口を出て振り返ると、DIYをする人向けの実践講座の案内が出ていた。基本的には、毎日、皆が仕事を終えた19時~で、曜日によって「月曜日:あなたは床のビニルタイルを貼ることができるようになる」というように、講座内容が決まっている。おそらく、この講座を受ければ、自分の家を自分で模様替えをするのに、どういう材料をどの程度購入すれば良いかも明確になり、必要な工具も含めて手に入れて家に帰ることができるのだろう。

ホームセンターを案内してくれた友人の家に行ってみると、地下に彼自慢の作業部屋があった。電動工具が揃っていて、壁には、日本に行った時の土産で買ってきたという大工道具が誇らしげに飾られていた。まさに趣味の城。多くのアメリカ人が、DIYという趣味のためのこういう空間を持っているのだろう。1954年にTimes誌が予言した「数千億円趣味市場」は、その規模を超えて現実のものになっていた。

広がる日本のDIY市場とYouTube

1990年代にはアメリカのそれとは随分違っていたが、今では日本でも大規模なホームセンターが各地で身近なものになりつつある。実際日本DIY・ホームセンター協会の調べによると、ホームセンターの数は右肩上がり、2019年の時点では4,800店を超えた。ただし、その売上げ高の総計は21世紀初頭から横這いで、概ね年4兆円というところである。

このところの目立った動きと言えば、自ら発信するDIYerの動きだろう。今からもう10年程前のことになるが、北九州で開催した「リノベーションスクール」の中に「DIYリノベ」のコースが初めて用意されたことがあった。そのコースには、私の知っている神戸芸術工科大学の女子学生が参加していたのだが、4日間続いた「リノベーションスクール」の最後の打上げ時に、私のところにやってきて
「あの『クメマリ』さんが来てるんですよ。本当の『クメマリ』さんが。私、感激で涙が出ちゃいました」
と言うのである。その人物を全く知らなかった私は
「『クメマリ』?誰?」
と聞き返した。
「そこにいらっしゃいますよ」
ということで、その知らない「クメマリ」さんと初めて挨拶を交わした。関西に住む若い女性だったが、色々聞いている内に、様々な部屋の模様替えの方法をネット上で紹介しているDIY界のカリスマ「久米まり」さんだということがわかった。それから動画を観たが、賃貸マンションの契約の中に含まれる原状回復の約束を守れるように、元の内装や設備を一切傷つけずに、新しい仕上げ等を施していく工夫等には、驚くべきノウハウとデザイン力があった。

今では、久米まりさんと同様に、かなりのフォロワー数を誇るDIYインスタグラマーやDIYユーチューバーが何人も出てきている。男女は問わないが、女性の発信者が多いのも事実だ。多くが、自分自身の生活空間を変える、或いは作り込んでいくと言った方がより適当かもしれないが、その様子をリアルに発信している。それらの映像を見ていると、DIYが料理などと同じように、暮らしの大事な一部になっていることに気付かされる。自分と家族のためのものづくり。それは今では、ごく自然な行為になりつつあるのかもしれない。

DIYで目覚めた関心を、趣味のその先へ

もう15年程前のことになるが、DIYの腕を磨き、DIYアドバイザーという日本DIYホームセンター協会の認定資格を持っているある男性にお話を伺ったことがある。数年前に、何か月もかけてDIYでリノベーションした6畳の部屋を見せて頂いたが、その後はどうも十分な活躍の場がないらしい。それ以外の部屋に手を付けようとすると、奥さんの許可が出ない。まして、頼まれてもいない他人様の家をDIYの対象にすることはできない。仕方なく何をしているかと言うと、近所に捨てられていた椅子を拾ってきて、それを直し、新しい仕上げも施して生まれ変わらせるという作業。2脚程やったが、その後は適当な椅子が見つからず、先の2脚の椅子の1/10のミニチュア模型を製作して遊んでいると言って、その椅子の模型を見せて下さった。

ナポリの街
ナポリの一角。家々のあいだには細道や坂道が伸びる。建物の上と下で喧嘩する声が聞こえた。2000年ごろ撮影。

この時に、DIYの趣味としての限界に気付かされた。普通趣味と言えば、やりたい時にできるものだが、自分の家のDIYリノベーションということになると、やるべきことがなくなってしまうことが一般的にあり得る。趣味としては大きな欠点である。この欠点を補うには、他人様の家を対象とすることの可能性の検討が早道ではないか。つまり、DIYを入り口として、新しいものづくり人の世界に入っていく形の追求があって良いと考える。DIYで目覚めたものづくりへの関心を、技能を高める方向に結び付ける教育・訓練の場や、或いは仲間とのチームワークで実践を積み重ねる継続的な場の形成等が考えられると良い。

ものづくり未来人の世界には、DIY精神の持つ自発性が欠かせない。その意味でも、今後増えていくであろうDIYerをものづくり未来人の世界に導くことは、大きな可能性を持っている。