井山弘幸

井山弘幸

地平線に伸びるシルクロード。中国の新疆ウイグル自治区にて。2006年撮影。

(写真:佐藤秀明

『君たちはどう生きるか』が大間違いである理由

数々の著名人が絶賛し、宮崎駿も次回作の原案にすることを公言している小説『君たちはどう生きるか』。コペル君と呼ばれる少年が叔父との対話を通じて成長していく物語であるが、実はこの小説は大前提となるコペルニクスへの理解が事実とは異なっている。もちろん小説である以上、物語を創造していくことは自由であるが、それを「事実」として受け取れば物事への理解は歪む。「わかりやすい物語」に潜む問題点を紐解く。

Updated by Hiroyuki Iyama on August, 3, 2022, 5:00 am JST

「君たちはどう生きるか」は本当にコペルニクスに肖っているのか

物語は真実として語られる。「これは作り話だけど」と語り始めたら、誰も聞く耳をもたないだろう。「本当の話」であることを前提にして聞くものだ。すぐに思いあたるのが、西暦2世紀に書かれたルキアノスの『本当の話Vera Historia。世界初のSFとも言われるこの作品の表題が真実であることを訴えている。もちろん聞き応えのある面白い話ならば、その真実性は棚上げしても愉しむことに問題はない。だが調べれば分かるような重要な事実が隠されていたり、生きるうえでの大切な知恵が語られていなかったりすれば、決して看過することはできない。今なお生き続けるコペルニクス神話のことを考えてみたい。

吉野源三郎が戦時中に書いた教養小説「君たちはどう生きるか」は、『日本少国民文庫』の最終刊として1937年に刊行された。主人公本田潤一君が、人間社会の成り立ちや人の生き方について、叔父さんから色々と教えられながら成長してゆく物語で、近年マンガ版で復活し、一時期ブームになり、2017年には宮崎駿が同名タイトルの映画の制作を発表している。この物語では、叔父さんは潤一君をコペルニクスにあやかってコペル君と呼ぶ。だが肖って欲しいそのコペルニクスの理解がどうも事実と違うように思う。科学史が研究分野として成熟する前の時代で、読むことのできる参考文献がきわめて少なかったこともあるだろうが、それだけではない。以下に示す叔父さんの語るコペルニクスは、こうあって欲しいという筋書きをなぞっているように思える。現在なおも多くの人に共有されている、このコペルニクス神話の一つひとつを、専門書を繙かなくとも一般の読書からでも分かることを念頭に検討していこう。

「地動説」は通俗コード。学術コードでは「太陽中心説」となり、地球が動いていることは強調されない

君はコペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人はみんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これは、一つは、キリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩突きいって考えると、人間というものが、いつでも自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。(吉野源三郎、29頁)

地動説という訳語は江戸時代中期の蘭学者でニュートンの紹介者、志筑忠雄によるもので結構古くからある。元の言葉は「太陽中心説」、英語では heliocentric theoryが対応する。西欧の文献では文字通りの意味で、地球が動いている、と殊更に強調する学説はない。地球が動くことを一部に含む学説があるに過ぎない。earth movingという表現はあるが、それは別の意味「土の運搬」だ。地動説という表現は誤解を招きやすい。地球と夜空の星とどちらが動いているか、という問題が、暗に天文学の重大な問題であったかのように錯覚させる。コペル君の時代にも「地動説」と言い表され、悩ましいことに今でも使われる。

北海道の士幌線
北海道の士幌線廃線跡。終点にはターンテーブルが遺されている。1980年代撮影。

知識の受容の方式を、学者が相互に理解し合う学術コード scholarly codeと、大衆が知識を読み取るときの通俗コード popular codeと二つに分けるとすると、太陽中心説は学術コード、地動説は通俗コードの表現に該当する。古式ゆかしい天動説は geocentric theory地球中心説 が本来の表現。どちらも実際に太陽と地球のどちらが動いているのか(あるいは両方が動いているか)は、後のガリレオを除けば当事者たちのあいだでは、さしたる問題にはされていないし、学術コードにおいては、空間内の力学、とくに慣性の理論を確立しなければ、問うても意味のない問題だった。座標系の取り方の違いにすぎないことは、それぞれの著者本人の言葉から分かる。天動説のプトレマイオスは…

地球を中心にするか、太陽を中心にするかは、あくまでも数学計算上の問題にすぎず、実際に世界がどうなっているかには、関係がない。

とはっきりと書いているし、その約千四百年後のコペルニクスは

過去および未来にわたって(天球の)運動が幾何学の諸原理から正確に計算されるような前提ならどんなものでも、考案し構築することが求められている。…なぜなら、その仮説が真である必要はなく、また本当らしいということさえ関係なく、むしろ観測に合う計算をもたらすかどうかという事で十分だからである。

と語っている。観測に合う計算かどうか、という問題は学術コードの問題だ。これは素人には判断がつかない領域に属する。

序文を読む限りにおいて、二人ともこの世界がどうなっているか、どこが中心か、は天文計算、そして惑星の動きの予測のための仮説にすぎない。コペルニクスが重視したのは、理論が観測データに合致するかという点であった。ただ、地平線からの俯角を太陽中心の角座標に換算するには、幾何学あるいは三角関数による厄介な計算が必要となる。地球中心の方が、正直言って計算はし易い。

「真理を追究するものが弾圧される」というフィクションに利用されたコペルニクス

もう一つの点「キリスト教の教会の教え」とは何を指して言っているのだろう。地球中心説は古代ギリシアでは洗練された天文学理論であり、キリスト教成立以前からある。紀元前四世紀のプラトンの弟子のエウドクソス Eudoxos は星々を天球の殻に封じ込め、天球全体の回転によって現象を説明する、天球理論(もちろん地球中心の)を残している。天動説はキリスト教成立よりも古いし、聖書のどこをみても天文理論は見つからない。あえて探せば「ヨシュア記」に太陽の動きをとめる一節があり、地動説はこれと相いれないという指摘はされたことがある。ここのくだりは、「真理を追究するものは、権力者から弾圧される」という物語の定型からの要請で生み出されたフィクションである。

他の文明圏でも同様で、地球中心の宇宙象は古代世界ではどの文明圏にもみられる普遍的なモデルだった。世界創造の記述のある「創世記」を(カトリックではないキリスト教系の)教義の中心にしたのは、むしろ二十世紀に活発になる創造科学 creation science 以降だ。

もっとも最後の一文は説得力がある。人間はいつも自らの存在を中心におきたがる。ただしコペルニクスはそうした人間の傾向については一言も語っていないのである。

ところでコペルニクスは、それではどうしても説明のつかない天文学上の事実に出会って、いろいろ頭をなやました末、思い切って、地球の方が太陽のまわりをまわっていると考えてみた。そう考えてみると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。(29頁)

この時代の天文観測では、地球から惑星や恒星までの距離を直接測定することはできないし、間接的な方法でも容易には分からない。太陽と地球のどちらを中心にしようと、中心から円軌道に沿って惑星が動いていると(誤って)考える限り、計算と実測値にずれが生まれるのは当然だ。この食い違いは「地球の方が太陽の周りを回っている」と考えたコペルニクスでさえ克服することはできなかった。つまり、コペルニクス理論の方が正確な予測を引き出せたわけではないのである。

通俗コードでは善玉悪玉がはっきりしている。善玉は何かについて優れていなければならず、コペルニクスの学説の優秀性を語るために「きれいな法則による説明」という表現が用いられた。もちろん「きれいな法則」は通俗コードの用語である。

コペルニクスでさえ古代以来の迷妄から逃れることはできなかった

現在でも、高校生は地学でケプラーの法則を習う。ケプラーはコペルニクスの死後28年後に生まれた哲学者であり、数学者でもある。ケプラーの法則は忘れても、惑星の軌道が円ではなく楕円とされていたことくらい覚えているだろう。あるいは大学の解析力学で、ニュートンの古典力学第二法則から、面倒な微分方程式を解いて、自分で楕円軌道の数式を導いた学生ならば、太陽系の惑星の軌道が同心円ではなく、太陽を焦点とする楕円であることは十分に分かっているはずだ。コペルニクスを語る人のほとんどは、結果的には間違っていたこの虚しい円へのこだわりを語らない。「コペルニクスでさえ古代以来の迷妄から逃れることができませんでした」とは言わない。なぜかケプラーは過小評価されている。

天文学は「円」への執着を捨てることで発展した

地球中心にこだわっていたことよりも、天球あるいは円軌道という考えに捕らわれていたことの方が重要であった。円(球体)への執着こそ、打ち破るべき古き陋習だったのだ!だからエイトンは『円から楕円へ』という本を書き、学者たちが、完全なる図形、永遠の象徴である円への妄念を捨てて、現象を正確に予測する手段として対称性に劣る不完全な楕円を選んだことに、大きな発想の転換があったことを伝えようとしたのである。

ということで、「いろいろなことが、きれいな法則で説明される」ようにはならなかった。むしろ周転円 epicycle を補助的に組み合わせて、何がなんでも円だけで星の動きを説明しようと無理をした二千年ほどの歴史があって、もちろんコペルニクスもその歴史のただ中にいた。彼もこの周転円という補助的な技法をふんだんに使っているのである。残念なことに周転円は学術コードの言葉で、なかなか通俗コードに変換できない。だから一般向けのコペルニクス物語では触れられていないのだ。

なぜ円に固執したかは説明できる。夜空の星は中空に浮かんでいる(あるいは真空のなかを運動している)と考えなかったからである。通俗コードでは「支えのないものは落ちてくる」ことになるからだ。中国の故事、天が落ちてくる杞憂の話を思い出そう。天球という水晶のようなもの(地上界の四元素とは異なる元素でできている)で固定されている、と考えられ、それならば落ちてこない。透明で球体のゼリーのなかに果実がとどまっているような景色を想像してみると良い。同心球で半径に応じて入れ子構造になっていると仮定すれば、天球が回転することで惑星の運動を説明できる。ところが、楕円(楕円体)だとこうは行かない。球体だと回転軸の数は無限だが、楕円体だと長軸か短軸に限られてしまう。ケプラーは円を捨てたために、虚空のなかの楕円運動を可能にする力学を考えねばならなかったのであり、それを成功させたのがニュートンである。

そして、ガリレイとかケプラーとか、彼のあとにつづいた学者の研究によって、この説の正しいことが証明され、もう今日では、あたりまえのことのように一般に信じられている。小学校でさえ、簡単な地動説の説明をしているようなわけだ。(29頁)

英雄は一人でなければならない。排除された重要な学者、ティコ・ブラーエ

「ガリレイとかケプラーとか、彼の後に続いた学者」という記述に、一人の重要な学者の名前がおそらく故意に省かれている。ティコ・ブラーエである。ティコは水星と金星は太陽の周りを回転し、二つの惑星を従えた太陽と他の惑星は地球の周りを回転するモデルを考えた。謂わば地動説と天動説を折衷したような考え方だ。イタリアのイエズス会士リッチオーリは、コペルニクスの著書の出版後百年を過ぎても、ティコの学説の方が優れていると書いている。

なぜティコが言及されないのか、は容易に説明がつく。通俗コードでは真理を発見する天才や、新しい時代を切り開く英雄は一人の人物に限られるためだ。あたかも源頼朝が鎌倉幕府を一人で開いたかのように語られるのと同様である。奈良の大仏を聖武天皇は(発願したが)造象したわけではない。蒸気機関の開発もウォット一人の手によるものではない。 

クルアネ氷河 カナダ・アラスカ
カナダ・アラスカにまたがるクルアネ氷河。雄大な雪と氷の景色が広がる。

実際の歴史では徐々に改良が加えられ、発想の転換が起きても、もとのモデルが見直され復活することもあり、一筋縄ではゆかない複雑な洗練化の過程がある。吉野源三郎はカント純粋理性批判」の序文にあるコペルニクス的転回Kopernikanische Wendeからコペル君の着想を得たのだろう。だがカントにしても、ティコ学説による地球中心説への揺り戻しを語っておらず、コペルニクスを通俗コードで理解していたのである。

それぞれの学説の書かれた書物を出版年代順に並べると以下のようになる。真理の道をまっしぐら、ではないことは一目瞭然だ。アーサー・ケストラーは、プトレマイオス、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオの宇宙観の変遷を「夢遊病者」 sleepwalkers の足取りに譬えている。単線的な物語ではなく、足元の覚束ない千鳥足の歴史として。

[天文学説略年譜]
1498年レギオモンタヌス&ゲオルク・プールバッハ『アルマゲストの要約』(天動説)
1543年コペルニクス『天球の回転について』(地動説)
1588年ティコ・ブラーエ『天界における最近の現象について』(折衷説)
1609年ケプラー『新天文学』(楕円説)
1632年ガリレオ『天文対話』(地動説・円軌道)
1651年リッチオーリ『新アルマゲスト』(折衷説)

レギオモンタヌスはコペルニクスが学生時代に読んだものであり、千年以上昔の元祖プトレマイオスの学説に改良を加えた書である。ガリレオによって復活されるまで、コペルニクスの地動説は、ルターに貶されたりして一般には影を潜めていた。いずれにしても、一人の俊秀が困難に打ち勝って真理を発見した、という物語は現実には成り立たないのである。

コペルニクスは迫害など受けていない

しかし、君も知っているように、この説が唱えはじめられた当時は、どうして、どうして、たいへんな騒ぎだった。教会の威張っている頃だったから、教会で教えていることをひっくりかえすこの学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方する学者が牢屋に入れられたり、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。(29-30頁)

コペルニクスは37歳の時に地動説の梗概を記した小冊子コメンタリオールスComentariolusを印刷して知人に配布したが「たいへんな騒ぎ」にならなかったし、主著『天体の回転について』の出版を知るのは、彼が死の床に就いていたときであった。現存するこの書物は約六百冊で、ラテン語で書かれていることもあり、一部の学者が読んだ形跡はあるものの一般の読者を得ることはなかった。つまりガリレオがイタリア語で書いた1632年の『天文対話』で地動説を支持し、通俗コードで紹介するまで民衆の話題になることはなかったのである。

コペルニクスの死後数十年は、キリスト教会から学説を批判されたことも、ましてや危険思想と見做されることもなかった。もちろん民衆の快哉を得たこともなかった。例外は、賞賛の手紙を寄越した枢機卿がいたことくらいである。教会からは、概ね、天文学の数学的な理論として受け入れられていたのである。牢屋に入れられた(自宅に軟禁された)のは、通俗コードで挑発的なことを書いたガリレオであり、1600年に書物どころか火あぶりで処刑されたのは神の唯一性を否定する無限宇宙論を唱えたブルーノであり、これらの話が混同され、あたかもコペルニクスが迫害されたように書かれている。

地動説を唱え始めたのはコペルニクスではない。コペルニクス自身、1543年の著書でこう書いている。

私は入手しうる限りすべての哲学者たちの書物を読み返して…キケロにおいて、ニケタスが大地は動くと考えていたことを私は発見した。その後、プルタルコスにおいても、幾人かの他の人々が同じ見解であったことを私は発見した。…他の人々は、太陽は動かないと考えた。…ポントスのヘラクレイデスとピュタゴラス派のエクパントスは大地を動かしたが、それは並進運動ではなく、むしろ車輪のように、縛られて西から東へとそれ自身の固有の中心の周りにであった。

そして、サモスのアリスタルコスが彼の1800年前に太陽中心説を唱えていたことを知っていた。知的な革命の物語の中心は「最初に提唱した人」でなければならない。上記の先駆者はすべて天動説のプトレマイオスよりも前になって都合が悪い。故に無視される。アリスタルコスに至っては「古代のコペルニクス」と呼ぶ者さえいる。本末転倒で、コペルニクスこそ「ルネサンス時代のアリスタルコス」とすべきだろう。

まったくのフィクションであるコペルニクス革命

困ったことに現在の天文学では、宇宙の中心は太陽ではない。迷信から真実へと短絡的に進む単線的なコペルニクス革命は、まったくのフィクションである。あえて言えばビッグバンの発火点が宇宙の中心なのだろうけれど、そこまで引き延ばすともう「革命」などではなくなってしまう。

もう一つ較べると面白いのが、安野光雅の絵本『天動説の絵本 てんがうごいていたころのはなし』である。安野さんは旧説では地球は平たいと考えられていたことにしている。絵本をめくっていくと、最初は平たかった大地がだんだんと曲率を変え、丸みを帯びてきて、最後の頁では完全な球体となる。楽しい絵本だが、文字通りの意味で絵空事である。

最後に叔父さんに代わってコペル君にメッセージを送ろう。

デパートの屋上から見た世界を思い出してごらん。この世界は実に大勢の人がさまざまな仕事をすることで成り立っている。皆がめいめい自分の役割を果たしている。知識についても同じことが言える。この世界の知識は、大勢の人が知恵を絞って考え出し、互いに伝え、切磋琢磨して長い時間をかけ得られたものだ。コペルニクスはその知恵の大河の流れの一翼を担ったに過ぎない。だから君もね、心を開いてたくさんのことを学んで、たとえどれだけささやかなものであれ、この世界について得た自分の知識を、友達やつぎの世代の人びとに伝えていったらどうだろうか。

参考文献
本当の話─ルキアノス短篇集』ルキアノス 呉茂一訳(筑摩書房 1989年)
君たちはどう生きるか』吉野源三郎(マガジンハウス 2017年)
円から楕円へ』エイトン  渡辺正雄監訳、 高橋 憲一他訳(共立出版 1983年)
天動説の絵本 てんがうごいていたころのはなし』安野光雅(福音館書店 1979年)
アルマゲスト』プトレマイオス 藪内清訳(恒星社厚生閣 1993年)
天体の回転について』コペルニクス 矢島祐利訳(岩波書店 1953年)
天文対話』ガリレオ 青木靖三訳(岩波書店 1959年)
Sleepwalkers : A History of Man’s Changing Vision of the Universe Arthur Koestler (Penguin Books 2014年)

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