Jonathan Gottschall

Jonathan Gottschall

ギリシャのシープハーダー(羊飼い)。

(写真:佐藤秀明

フェイスブックで物語を共有することは、世界に幸せをもたらすと考えられていた

SNSの台頭により、私たちはごく個人的な情報にも気軽にアクセスができるようになった。それは、他人との相互理解を促し、より共感に満ちた世界を作りだしていった……ように見えるかもしれない。事実はどうだろうか。『ストーリーが世界を滅ぼす』(2022年 東洋経済新報社)から本文の一部を紹介する。

Updated by Jonathan Gottschall on September, 8, 2022, 5:00 am JST

ザッカーバーグが夢見た、共感しあえる幸せな世界

レフ・トルストイは芸術、なかでも自分の芸術形態である物語芸術を「人々の気持ちを一つにし、生きるうえでも個人および人類の幸福をめざす進歩のためにも不可欠な、人と人を結ぶ手段」として称賛した。

その100年後に、マーク・ザッカーバーグが同じような夢に熱中した。フェイスブックがハーヴァード大学の女子学生を魅力度で格付けする手段として、学生寮のザッカーバーグの部屋で立ち上げられたことは悪い意味で有名だ。しかし数年後、この幼稚で失礼なテクノロジーは改善され、家族や友人の橋渡しをするテクノロジーとして生まれ変わった。まもなく、ザッカーバーグは自分のサイトについてあからさまに理想主義的な言葉で語り始めた。フェイスブックが一つのウェブで全人類をつないで、物語、思想、感情を共有できるようにすることで、私たちは互いに共感できるようになり、かつての偏見や誤解がなくなり、それとともに調和と幸せが世の中に満ちていくはずだと。

夕焼け雲
空に立ち昇る夕焼け雲。

この中でザッカーバーグが表明していたのはトルストイの見解だけでなく、マーシャル・マクルーハンの「グローバル・ヴィレッジ〔地球村〕」の21世紀版でもあった。マクルーハンはマスメディア――ラジオ、映画、テレビ、電送される活字情報――という驚くべき新テクノロジーが世界中の市民に同じ価値観と物語を浸透させ、全員を一つの人間集団にまとめると述べた。

そしてしばらくの間、何千万人もの人々が日常的に同じテレビドラマを観て、ラジオで同じニュースや歌を聴き、同じ映画の前に座っていた放送メディアの最盛期には、マクルーハンの描いたヴィジョンが実証されるかに思われた。同じマスメディアを消費することで、私たちは両極端からその中間に引き寄せられた。そのため、放送メディア時代のストーリーテリングは恐るべき画一化のテクノロジーであると多方面、特に左派の知識人たちから非難された。とりわけテレビは人々をゾンビ化し洗脳して中流白人の慣習に染めると言われた。批判した人々の懸念が間違っていたわけではない。彼らにはそれに取って代わるテクノロジーが輪をかけて悪質である可能性を見抜けなかったのだ。

ストーリーバース:個人仕様版の現実

放送メディア最盛期でさえ、私たちは同じバーチャルな村に住んではいなかった。しかし同じ普遍的な「ストーリーバース」の中に住んでいて、そこから抜け出すのは難しかった。「ストーリーバース」とは私の造語で、子供時代に枕元で聞いたお話からネットフリックス、インスタグラム、ケーブルテレビのニュース、礼拝の場で聞く説教まで、あらゆるメディアで私たちが消費する物語が作り出した、心と感情と想像の中の空間を指す。ストーリーバースは「現実」ではなく、個人仕様版の現実だ。このストーリーバースの法律はひとかたまりのマスター・ナラティブ(たった一つのこともある)によって定められることが多い。これが、暗号化されたデータを元に戻す復号キーのように、私たちが周囲の世界をどう理解するかを決めている。

気づいている人は少ないが、私たちのほとんどは自分のストーリーバースというねばつく網に絡めとられた状態で生きている。自分の物語を現実に合わせるのではなく、現実を自分の物語に合わせて念じ曲げている。さらに困ったことに、人間は物理的にはまったく同じ現実を生きていても、異なるストーリーバースの中で暮らせるものだ。難しく思われるかもしれないが、しばらく右派系のFOXニュースを視聴した後でもう少し長く左派系のMSNBCを視聴した人にはわかってもらえるだろう。私たちは皆、正常な側で生きていると思っているが、意外に多くの人がどこかしら異常なのだ。

ネガティブな要素の爆発的な増加

世界支配を企む小児性愛者や食人種の悪魔の軍勢と善の勢力が戦っているというQアノンの陰謀物語の集団幻覚にとらわれている知り合いと話したことがあれば、ストーリーバースの概念をさらによく理解できるだろう。今挙げたいずれの例でも、互いに接点のないコミュニティが独自のストーリーバースの中にあって、それぞれは異質な物理法則に支配され、違う悪者に脅かされ、違う英雄が助けに来る。

ザッカーバーグのテクノロジーは国境を超えたつながりと親交を広げることによって、マクルーハンのグローバル・ヴィレッジ実現の兆しとなるはずだった。しかしそれが実現したのはどうやら逆の何かだった。データが相関するというだけでは絶対的な証明とはなりえないが、アメリカだけでなくほぼ全世界でソーシャルメディアの台頭が二極化および社会不安の大発生ときれいに重なるのは偶然ではないと私は思っている。ザッカーバーグのテクノロジーは、インターネット上の他の多くのテクノロジーとともに、協調よりも反目を生む――橋を架けるよりも橋を爆破する装置になってしまった。コンピュータサイエンティストのジャロン・ラニアーが言うように、ソーシャルメディアの台頭は「人間の営為におけるネガティブな要素の爆発的な増加」と符合している。

デンマークの真冬
デンマークの真冬の風景。

その一つの理由を示そう。過去数十万年間に、もし地球を上空から見ることができたら、人々が、一緒に物語を楽しんでいる姿が見えたはずだ――サバンナの焚火や、劇場の舞台や、音を流すラジオや、光を放つテレビを囲んで。一方、現代の住宅地を上空から(屋根を透視して)見ることができたら、以前に比べてはるかに多くのストーリーテリングを消費する人々の姿が見えるはずだ。ただしその消費はもっぱら単独で――画面を見つめたり、イヤホンでポッドキャストを聴いたりして行われているだろう。物語は地球全体どころか、もはや一家庭すら結びつけていない。

三大テレビ局(ABC、CBS、NBC)がテレビ制作を牛耳っていた、いわゆるテレビネットワークの時代には、番組は多種多様な嗜好に合わせなければならなかった。そのため『アルフ』や『Touched by an Angel(天使が触れた)』のような「大衆受けする」B級番組が不可欠な市場ができた。しかしこれらはくだらないにせよ、人々を結びつけていた。

物語は、大いなる結合者から大いなる分断者へ

正式なストーリーテリングの大多数が少人数の集団に共有される形で消費されていたグーテンベルク以前の時代から、大勢の視聴者に向けられた放送メディアの時代へ、さらに物語が限られた視聴者向けに放送される新しい時代への移行は、人間の生活の大きな変化である。それはあらぬ方向に向かう危険な社会実験になりそうだ。物語はジェームズ・ポニウォジックの言う、大いなる結合者から大いなる分断者になった。物語はかつて私たちを中道に引き寄せて似た者同士にした。今、私たちはそれぞれの小さなストーリーバースの中にいて、物語は私たちを似通わせるかわりにそれぞれの自分らしさを先鋭化させている。物語は自分の偏見に疑問を覚えるよりもむしろそれを強める物語世界に私たちを住まわせている。その結果、私たちのストーリーランドで消費されるものはすべて私をより私らしく、あなたをよりあなたらしくする一方だ。また「私たち」をいっそう極端なバージョンの「私たち」に、「彼ら」をいっそう極端なバージョンの「彼ら」にしている。

アメリカのリベラルと保守の激しい分裂――市民間の協調と国の結束に深刻な影響をもたらしたは、主にそれぞれが左派か右派のストーリーバースの中だけで暮らすことができるせいで起きた。

『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』
東洋経済新報社
ジョナサン・ゴットシャル 著
月谷真紀  訳
2022年07月刊
なぜ私たちはあの人の論破にだまされるのか。
事実と物語は混ぜるな危険!
陰謀論とフェイクが溢れる世界で生き抜く「武器としての思考法」。
文明を築くのに一役を買ったストーリーテリング。その伝統あるストーリーテリングが近い将来文明を破壊するかもしれない。
ストーリーテリングアニマルである私たち人間の文明にとって、ストーリーは必要不可欠な道具であり、数え切れない書物がストーリーの長所を賛美する。
ところが本書の著者ジョナサン・ゴットシャルは、ストーリーテリングにはもはや無視できない悪しき側面があると主張する。
主人公と主人公に対立する存在、善と悪という対立を描きがちなストーリー。短絡な合理的思考を促しがちなストーリー。社会が成功するか失敗するかはそうしたストーリーの悪しき側面をどう扱うかにかかっている。
陰謀論、フェイクニュースなど、SNSのような新しいテクノロジーがストーリーを拡散させ、事実と作り話を区別することはほとんど不可能になった。人間にとって大切な財産であるストーリーが最大の脅威でもあるのはなぜなのか、著者は説得力をもって明らかにする。
「ストーリーで世界を変えるにはどうしたらいいか」という問いかけをやめ、「ストーリーから世界を救うにはどうしたらいいか」と問いかける書。
スティーブン・ピンカー、ダニエル・ピンク絶賛!
https://str.toyokeizai.net/books/9784492444696/