安岡宏和

安岡宏和

ナミビアの国立公園は密猟の取り締まりがしっかりしており、ゾウの天国だ。写真は単独のオス。若くて気が荒いので望遠にて撮影。

(写真:佐藤秀明

バカに学ぶ、不幸を回避するソリューション

カメルーンの熱帯雨林に暮らすバカという人々は、日本で暮らしている私たちにはなかなか理解しがたい独特の論理を持つ。それはもしかしたら、DXによる新しい社会のあり方を模索する私たちに、新しい人間関係や経済を考えるためのヒントを与えてくれるかもしれない。生態人類学者の安岡宏和氏にバカの論理を紹介してもらう。

Updated by Hirokazu Yasuoka on September, 16, 2022, 5:00 am JST

バカという人々

中部アフリカ、カメルーンの熱帯雨林に、バカという自称をもつ狩猟採集民が住んでいる。かれらはコンゴ盆地各地に離散的に分布している「ピグミー」とよばれる10あまりの異なる民族のひとつである。遺伝的研究によれば、コンゴ盆地の東西のピグミーは数万年前には分岐しており、言語の系譜も民族間で大きく異なっている。それにもかかわらず、小柄であるなどの身体的形質、狩猟採集に重きをおく生業、ポリフォニーと森の精霊に特徴づけられる歌と踊り、近隣農耕民との緊張感を孕んだ共生関係など、共通点も多い。

カメルーンでは、フランス統治時代の1930年頃から近隣農耕民が定住化・集住化しはじめ、1960年の独立以降、バカの定住化がすすんだ。今日では大半のバカが道路沿いの集落を生活の拠点にしている。ただし、1年のうち数カ月から半年程度を森のキャンプですごす人も多くいる。私は、2001年から2003年に約2年にわたってカメルーン東南部の小さな村でフィールドワークをおこない、その後も訪問をつづけてきた。本稿ではそのなかで経験した狩猟にかかわるタブーを紹介し、その背景をめぐる考察を述べてみたい。

卓越した技能をもつ男は、外部にとっては特別

カメルーン東南部に「ゾウは倒れない」という現地の言葉に由来する、ヨカドゥマという町がある。私がフィールドワークをしてきたZ村は、そこから南西に100キロあまりのところに位置している。私がはじめてZ村を訪れた2001年には、まだ村まで道路が通じていなかった。7キロほど手前の村で車を降り、カヌーで川を渡って、そこから歩いてたどりつく必要があった。ところが2002年に木材会社が道路を整備して車でアクセスできるようになり、肉を買いつける商人や象牙をもとめてゾウ狩りを依頼する人などが頻繁にやってくるようになった。

現在のバカの狩猟は、体重5〜20kgの森林性アンテロープ(ウシ科の哺乳類)を狙う、くくり罠猟が主流であるが、伝統的には、20〜50kgのアカカワイノシシを狙う槍猟がさかんだったようだ。いまでも男たちは、森に行くときは槍を携え、機会があれば槍猟をおこなう。また、狩猟団を編成して1〜2週間にわたって移動しながらゾウやイノシシを狙う、バカ語で「マカ」とよばれる狩猟行がある。かつては槍だけでおこなわれたことも多かったと思われるが、2000年代初頭にZ村でおこなわれたマカは、外部者からライフル銃を委託された「ゾウ狩り」であった。

バカたちのなかでも卓越した狩猟の技能をもつ男は「トゥマ」と称される。それぞれの村のトゥマは、近隣農耕民や出入りする商人たちにも知られている。ゾウ狩りの銃が委託されるのは、たいていはトゥマである。農耕民や商人との関係においてトゥマはバカのなかで特別な立場にあるが、バカたちのあいだではトゥマであるからといって特別扱いされることはない。

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フィールドワークをおこなう筆者。(本人による提供)

狩りに参加する人数は、依頼主の気前のよさにおうじて、数人のこともあれば20人をこえることもあった。依頼主は銃を委託する男のみに謝礼を渡し、狩猟団に食料を提供する。通常、依頼主は象牙のみを取り、肉はバカに残す。この場合にはたくさんの男が参加する。しかし、がめつい依頼主は肉の半分を取ることもあったし、パトロールが厳しくなったときには肉を放棄して象牙だけを持ち帰るように指示することもあった。そうなれば参加者は少なくなる。いずれの場合も銃を委託されるのは1人であり、他の男たちは槍をもって参加していた。また、10歳前後の少年が同行することも多く、森の生活や狩猟行に親しむ機会となっていた。

ゾウを狩り、肉を喰わない男

ゾウ狩りは、延々と森を歩きながらゾウの痕跡を探すことからはじまる。探索するのは、たいていは村から30キロくらいの範囲だった。もってきた食料は数日でなくなり、以降、蜂蜜採集やイノシシ猟をしながらゾウを探すことになる。蜂蜜だけを食べて数日過ごすこともあった。バカたちはゾウの足跡や糞を一瞥してその日のものかどうかを判別でき、当日の痕跡であればそれを追跡する。第一の標的となるのは「カンバ」とよばれる、大きな象牙をもつ成熟オスである。

追跡したゾウを発見するのは、森のなかに点在している「バイ」とよばれる湿潤草原であることが多い。ゾウを見つけると、すこし離れたところに静かにキャンプをつくり、夕暮れを待つ。ゾウに接近するのは、銃撃する男だけか、多くても数人である。ゾウの斜め後方、数メートルの位置まで近づき、脇腹から心臓を狙撃する。ときには頭を狙うこともあるようだ。一撃で仕留められることもあるが、致命傷にならずに反撃されると危険なので、弾丸に余裕があれば二発、三発と追撃する。

私自身も何度かゾウ狩りに同行した。銃をもつ男がゾウを撃ちにむかうと、他の男たちと共に私はキャンプに残った。各々寝床をつくり、食事の用意をしながら、結果を待った。何度か失敗したこともあったが、その場合には、何もなかったかのように淡々と作業をつづけていた。首尾よくゾウが倒れたことがわかると、皆、はじけるような笑顔になった。しかし、ゾウを殺した男は、キャンプにもどってきた後もいつもと同じそぶりで静かに座っていた。狩りの成功を誇るような言動は微塵もなかったし、皆から称賛や感謝の言葉をかけられることもなかった。

翌朝、倒れたゾウの近くにキャンプを移し、各々、肉を燻すための台をつくって解体をはじめた。誰がどの部位を取るかという規則はなく、各々、自分の肉を切り出して台に運ぶ。結果的に、ほぼ同量の肉が手に入るようだ。狩りに参加していた若者の数人は、女たちを呼びに村へ向かった。森のなかでは「ホォー、ホォー、ホォー」「カーン、カーン、カーン」という音が響きわたっていた。森の精霊ジェンギの声だという。女たちはジェンギを恐れ、20人以上が一団になってやってきた。

かくして、村からやってきた人々が合流し、キャンプはゾウ肉の饗宴の場となる。ただ1人、ゾウを殺した男を除いて。

ゾウとイノシシの狩猟にかかわるタブー

ゾウを殺した男は、どうしてゾウ肉の饗宴に参加しないのか。

なぜなら、彼はその肉を食べることができないからである。槍であれ銃であれ、致命傷となる第一撃をあたえた男は、その肉を食べることができない。ゾウを殺した男の父母や兄姉も肉を食べることができないが、そもそも彼らは解体キャンプにこないので、その場にいながら肉を食べられないのはゾウを殺した男だけである。

ゾウとイノシシにのみ適用されるこのタブーを、バカたちは墨守している。ちょっとくらい食べても大丈夫だろう、と考えるバカは、私の知るかぎり皆無であった。バカの伝統的な猟法は槍猟だと述べたが、ゾウは槍で狙う最大の動物であり、イノシシは槍猟でもっとも頻繁に仕留められる動物である。したがって、このタブーはバカの狩猟の伝統に深く根ざしていると考えられる。なお、十分な数の獲物を仕留めるとこのタブーから解放されるのだが、Z村では、イノシシについては既婚男性の多くがタブーから解放されていた一方で、ゾウについては誰もいなかった。

このタブーを犯したら、どうなるのか。その男は二度と獲物を仕留めることができなくなる、とバカたちはいう。なぜか、と私はいろいろな人に尋ねたのだが、その理由を聞くことはついにできなかった。この疑問が意味をなさないほどに、彼らにとってこのタブーは「あたりまえ」なのである。そこで私は、このタブーの背後に隠されたロジックについて、あれこれと考えたのだった。

〝メ〟と関係した人間は死んでしまう

バカたちは、ゾウ狩りに出る前夜、好猟を祈念して「ベ」をおこなう。「ベ」では、女たちによるポリフォニーの合唱のなかで、森の精霊〝メ〟がダンスをする。〝メ〟は一般的な名称で、いろいろな種類がいる。なかでもジェンギやモコンディは、獲物の位置をバカに教えてくれる〝メ〟で、狩猟と深く結びついている。一方で、人間が死ぬと〝メ〟になることがあるとバカたちは考えており、〝メ〟は死を連想させる不気味な存在でもある。たとえば「リカノ」というバカの民話に登場する〝メ〟たちは、バカと性交したり、食事を共にしたり、結婚を迫ったりするのだが、そうして〝メ〟と関係した人間は、たいてい死んでしまうのである。このような〝メ〟の両義性が、ゾウ狩りとの関係において描写されている民話がある。以下はそのあらすじである(この民話は都留泰作が採録して『森と人の共存世界』に掲載されているが、私もほぼ同じ話をZ村で採録した)。

ある男が結婚して姻族すなわち妻の家族のキャンプに住んでいた。ある日、実家を訪ねた後、森を歩いて姻族のキャンプへもどっている途中で〝メ〟に出会った。〝メ〟は男の皮を剥いでそれを被り、自分の皮を男に被せた。二人がキャンプに到着すると、姻族たちは男の皮を被った〝メ〟を、その男だと思い込んだ。〝メ〟は男の妻と寝て、〝メ〟の皮を被った男は妻の妹と性交した。翌日、〝メ〟は男の姻族たちとゾウ狩りにでかけた。〝メ〟の皮を被せられた男は妻の母親に事情を話し、ンガンガの術によって〝メ〟の皮を剥ぎとってもらった。もとの姿にもどった男はゾウ狩りに行き、みごとにゾウを仕留めた。〝メ〟と姻族たちは何も捕れないままもどってきた。姻族たちは〝メ〟をつかまえ、男から剥ぎとられた〝メ〟の皮で殴りつけた。すると〝メ〟はもとの姿にもどり、森に帰った。〝メ〟の皮を被った男と性交した妻の妹は、死んでしまった。

私は、タブーの背後にあるバカたちの〈生きる世界〉のなりたちを解き明かすヒントが、この民話に含まれているのではないかと考えた。民話では、①ゾウ狩りの前夜、男と〝メ〟が入れ替わったこと、②ゾウを殺したとき男と〝メ〟が同じ姿(男の姿)をしていたこと、③〝メ〟と関係した女が死んだこと、が述べられている。ふだんからバカたちは「森のなかで〝メ〟と出会ってしまうと、自分も〝メ〟になってしまうかもしれない」という漠然とした不安を抱いているし、姻族たちがあっさりと男と〝メ〟を取り違えたことが示唆するように、人間のなかに〝メ〟が紛れこんでいるかもしれないと考えるようである。しかも、男がもとの姿にもどってゾウを殺したとき〝メ〟はまだ男の姿をしており、ゾウを殺したのは男の皮を被った〝メ〟だったかもしれない、という状況が語られている。

ゾウを殺すことができるなんて、ふつうの人間ではないのでは?

ゾウは、バカたちの暮らす森のなかで、もっとも大きく、力強く、危険な存在である。ゾウが襲いかかってくると、人間は簡単に踏み潰されてしまう。大量の肉をもたらすゾウへの接近は、同時に、死の危険性への接近でもある。そんなゾウを殺すことのできる男はふつうの人間ではないのではないか、ひょっとして〝メ〟のように死を招く不吉な性質を帯びているのではないか、というバカたちの疑念をこの民話は反映しているように思われる。

では、ふつうの人間ではないかもしれないと思われている男が、もし皆と肉を分かちあって食べてしまうと、どうなるか。2つの可能性がある。

(A)肉を食べた人が死んだ場合。じっさいに死をもたらしたのだから、彼は危険な存在であることが明白になる。
(B)肉を食べた人が死ななかった場合。彼は危険な力をもたない、ふつうの人間であることが明白になる。しかし、それゆえ彼は(バカたち自身が語るように)二度と獲物を仕留めることができなくなる。

いずれも好ましい結果ではない。どうすればよいか。ゾウを殺した男がその肉を喰わなければよい。世の中には白黒はっきりさせるべきでないことがあるのだ。

三者関係としての狩猟

むろん、民話に登場する〝メ〟のイメージだけが、タブーのリアリティを基礎づけているわけではない。ゾウ狩りのとき(またそれ以外のときにも)じっさいに〝メ〟が姿を現してダンスをする。とくにジェンギは、あらゆる〝メ〟の父であり、暴力的で、女性や子どもにとって危険な存在であるが、イニシエーションをうけた男たちにとっては、狩猟のときに獲物へと導いてくれたり、さまざまな危険から保護してくれたりする頼もしい存在である。私がZ村にいた2003年には、3月末から9月までジェンギのダンスが催された。とくにゾウ狩りがさかんにおこなわれたはじめの3か月は、ほぼ毎夜、ときには早朝にも「ベ」がおこなわれた。

じつは、2003年初頭には、モコンディという〝メ〟がダンスをしていたのだが、2月から3月にかけてゾウの狙撃がたてつづけに失敗した。そこでZ村のバカたちはジェンギを招いたのである。そして、成功率は飛躍的に向上したのだった。ゾウを狩ろうとする男は、この森でもっとも危険な動物であるゾウにぎりぎりまで近づき、興奮と恐怖のはざまで打撃をくわえねばならない。ジェンギと共に踊り、その恐怖を克服した男は、大胆にゾウに接近して、冷静に急所を狙うことができた、ということなのだろう。

このようにバカたちの〈生きる世界〉においては、狩猟は、人間と動物の二者ではなく、人間と動物と〝メ〟という三者の関係のもとで実践されている。この世界のなりたちやタブーのロジックを、バカたち自身が言葉にして解説してみせることはない。しかし彼らは、この三者関係を、ジェンギと共に踊り、森を歩き、獲物を仕留め、そしてタブーによって生じる「空腹の男」と「満腹の人々」のコントラストをとおして、身をもって経験してきたのである。

次回は、このタブーのもとで実現している肉の分配について、狩猟採集民にしばしばみられる「平等社会」との関連を念頭におきながら、考察を述べてみたい。

* 本稿で述べたゾウ狩りの事例は2000年代初頭に私が観察したものであるが、現在、この地域では国立公園の設置にともなってパトロールが強化されており、ゾウ狩りは以前のようにはおこなわれなくなっている。なお本稿は『絶滅危惧種を喰らう』所収の拙稿の一部を再構成したものである。

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参考文献
森棲みの生態誌:アフリカ熱帯林の人・自然・歴史Ⅰ』木村大治・北西功一 編(京都大学学術出版会 2010年)
森と人の共存世界』市川光雄・佐藤弘明 編(京都大学学術出版会 2001年)
絶滅危惧種を喰らう』秋道智彌・岩崎望 編(勉誠出版 2021年)

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