田原総一朗

田原総一朗

ジャーナリスト・田原総一朗が戦争とメディアを語る。

(写真:竹田茂

円安不況がくる?松下幸之助さん、盛田昭夫さんの覚悟

人々の生活を脅かすほどの円安が続いている。この危機に私たちはどのように立ち向かっていけばいいのだろうか。参考になる先人の知恵はないものか。長年メディアの第一線で活躍してきた田原総一朗氏が激動の時代を振り返りながら語る。

Updated by Soichiro Tahara on October, 18, 2022, 5:00 am JST

「好況よし、不況さらによし」

8月の終わり、京セラを創業し、第二電電により情報通信の規制緩和を進め、日本航空の再建を果たした稲盛和夫さんが亡くなられた。稲盛さんは「利他の経営」を貫かれ、日本のみならず世界中の経営者から尊敬を集めた。その稲盛さんが経営の師と仰いだのが、松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助さんである。

僕は松下さんとは何回も会っている。松下さんが次代の政治家を育てようと松下政経塾を始めることを決められたときも、直接相談をされた。松下さんは戦後、たった一人で会社を起こし、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた時代の代表的企業にまで成長させた。「日本的経営」が世界中から学ばれた時代である。その松下さんの言葉で今も印象に残っているのが、「好況よし、不況さらによし」である。経営者は不況のときこそチャンスなのだという、松下さんの面目躍如の至言だと思っている。

日本はこの30年間、全く経済成長していない。ヨーロッパの先進国、アメリカ、中国、韓国と全部経済成長しているのに、日本は全くしていない。30年前には、日本人の平均賃金は韓国の2倍だった。今は韓国に抜かれている。岸田首相が、新しい資本主義で経済成長していくという。30年間できなかったのに、どうやったら経済成長ができるのか。そして今、世界は猛烈なインフレに襲われている。世界中どこの国も、急激な物価高に対処することに政府はやっきになっている。アメリカは金利引き上げを継続することを表明した。日米の金利差は拡がり、円安が続くことで、さらに物価は上がる。しかし、賃金は上がらないので、生活はますます苦しくなる。経営者にとっても試練の時だ。

耕運機で畑へ向かう人々
耕運機で畑へ向かう人々。長野県にて1980年代撮影。

かつての日本は輸出大国だった。自動車をはじめとする日本製品が世界中に溢れ、日米経済摩擦はつねに政治課題となった。しかし、今の日本の輸出産業にその力はない。経済界が円安を歓迎した時代は、すでに終わっている。

第2次安倍内閣では、日銀総裁と組んで思い切った財政出動をすることで、内需拡大、経済成長ができると考えた。アベノミクスである。だが2018年、経済成長が全く出来ていないことがわかった。アベノミクスはうまくいっていない、失敗だと。そこで僕も加わり、いろいろ話し合って、2020年9月に中間報告をまとめ、当時の経団連会長、トヨタ社長、パナソニック社長らとこの線で進めようという話になったが、安倍首相が体調不安のため退陣、その後菅内閣となって、竹中平蔵氏、デービッド・アトキンソン氏らが新たな経済成長戦略を打ち出した。竹中さんともいろいろ話し、安倍内閣時のプロジェクトを推進させて具体的に構想をつくることになり、2021年6月、菅さんに話した。菅さんは快諾してくれて、コロナ問題が終わったらやると言ってもらったが、菅さんもそのあと辞めてしまった。

現代は、経済成長と地球環境問題のバランスが求められる。経済成長のためには、エネルギーをどんどん使わなければいけない。日本はエネルギーの半分以上を石炭火力、石油火力で賄っている。これは全部CO2の排出につながり、地球の気温を上げる。2015年のパリ協定での合意事項を、2030年までにどうするか。岸田内閣は火力発電や石油、石炭への依存を大きく減らす目標を掲げた。しかし、そのためには再生可能エネルギーの比率を高める必要があるが、太陽光も風力も日本は島国で平野も少なく、実現するのはいろいろと難しい。2030年には原発を30基稼働させる予定だが、再開を決めた7基すら問題があり、その見通しが立たない。原発問題については国民の意見も分かれ、内閣・与党への支持率に大きく影響する。政府、自民党は安全保障とエネルギーの問題からみんな逃げている。

では、岸田内閣でどうするか。2021年12月28日に岸田首相、嶋田隆氏(首席秘書官、元経産省事務次官)とお会いした。僕は嶋田さんとは20年以上の付き合いがあるから、話がしやすい。岸田内閣は成長戦略が重要であることは十分認識している。嶋田さんとは以前、株式会社ドリームインキュベータの堀紘一さんらを交え、経済問題を議論したことがあった。それから10年以上経ち、岸田さんが首相に就任した2、3日後、僕は嶋田さんと偶然、丸亀製麺のお店で再会した。そのあとすぐ、就任から10日以内に岸田首相と話すことができた。

人生120年時代の社会とは

松下幸之助さんが実践した「日本的経営」は終身雇用をずっと守ってきた。当時は60歳定年、今は65歳まで従業員の面倒を見てくれる。しかし、日本社会の高齢化はどんどん進み、80歳まで元気でいられることは十分可能となった。そのため、定年後の60代後半から70代をどう生きるかは大問題。これまで、ゴルフも麻雀もお酒を飲みに行くのも、全部会社関係だった。だから、定年になると孤独になる。完全に孤独になって落ち込んで体調を悪くしたり、中には自殺する人もいる。数年前に京大の教授でありノーベル賞をとった山中伸弥さんが、僕に言ったことがある。今から10年もたって医療がさらに進歩すると、あらゆる病気が治る。そうなると人間は簡単に死ねなくなるので、20年後には日本人の平均自寿命は120年くらいになる。病気が治ることはいいことだけど、100歳以上生きるというのは大変なことなのではないか、と。今、『人は死ねない』(晶文社)という本も話題になっている。70代、80代になって、生きる活力はどうつくればいいのか。

スカイツリーと月
東京の夜。スカイツリーと屋形船を月が見下ろしていた。

先日、政治学者の御厨貴さんと話した時、御厨さんはこう言われた。

「最近は男性も育児休暇を取れるようになってきた。それで若い会社員は、会社員という枠から自然と抜け出そうとしている。朝、外に出てみると、昔はママチャリに女性が乗ってお子さんを保育園や幼稚園に連れて行っていた光景をよく見かけたが、今は男性が増えた。パパチャリ、お父さんなんです。お父さんは子どもを送った後、仕事に行き、夜の帰宅時間は一定ではない。だから夜はカミさんが迎えに行く。そういう具合に、家族関係が徐々に若い世代から変わってきて、過度に会社に頼らなくてもよくなってきている。最近NTTは、基本的に会社に社員を集めることをやめて、全部自宅でやりなさいという方針になった。

就職するという概念がもう古い。就社=就職ではない。自分たちはどういう職業に就きたいかを考えているから、若者からすれば、その職業は一つの会社だけを意味しない。これがしたいな、あれも面白そうだな、と思ったら、その両方ができるところでやっていくうちに、こっちがいいなと思ったらやれるし、最終的にできるかできないは別として、みんな最後は会社に雇われるのではなくて、小さい規模でもいいから起業しようと。そう若い人がするようになると、そのときに我々が問いかけなければいけないのは、ではあなたはそれで生きるとして、いくら自由と言っても限界がある。どこまであなたは自由で生きるのか。医療がよくなったとしても、やがて70歳、80歳になって、からだが自由に動かなくなる。100年も生きるとなったら、自分のことだけを考えてはいられない。100年生きる社会というのは一体どういう社会で、その社会が積み重なってつくっていく国家とは一体なんなのかともう一度、社会を考え直して国家を考え直す。そういうことを、歳を経た人たちがどんどん考えるようになるといい」

この御厨さんの意見には全く同感である。

ベンチャーに挑む若者たち

かつてソニーは世界のマーケットにないものを開発した。0から1を作る。そうすれば、付加価値がついて高く売れる。盛田昭夫さんは石原慎太郎さんと『「NO」と言える日本』という本を出した。盛田さんにとっては0から1を生み出す、マーケットにないものを開発しないといけないという信念がある。石原さんはアメリカに対し政治的に反発したが、盛田さんは経済的に対米従属ではダメだと言いたかったのだ。

日本の産業界ではアメリカが大先進国だから、アメリカが開発したものをいかにより良い品質でより安く作るかだった。0から1ではない。中曾根内閣の1980年代に日本は世界一、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた。アメリカへの輸出拡大、アメリカ経済の悪化、プラザ合意、強引な内需拡大、前川レポート、日本経済への規制。そしてバブルが弾け、大不況になる。

大不況の中で、二つの問題が起きる。一つはリストラをしない日本的経営。大不況の中では、クビにできない社員を雇えない。それで非正規雇用が急増した。もう一つは、アメリカの第三次産業革命。インターネット開発。クビをきられないように社員は上司の言うことをきくようになって、チャレンジしなくなった。若者が安定を求めたから、経済は悪化した。日本の産業は、アメリカの三周遅れになった。

パナソニック出身の岩佐琢磨さんに取材をしたことがある。彼は、新卒入社したパナソニックを辞めている。社員は結局、上の言うことを聞かないといけない。しかも、売れる商品しか作らない。ゼロイチがない。だから彼はパナソニックを辞めて「Cerevo(セレボ)」を起業した。数年前に、パナソニックが岩佐さんを関連会社の社長にして、強引に引き戻した。それはなぜなのかを幹部に聞くと、「これからパナソニックがやっていくには、ゼロイチを入れないといけないから」だと。ゼロイチの発想は今こそ必要なのである。

最近は、ベンチャーに挑む若者が増えてきている。東工大の学生が立ち上げたWeb音声合成サービスCoeFontの代表とも会った。喉頭癌で声帯を取らなければならなくなった方が、その手術の前に声を吹き込んでおく。手術後、絶望的になっていたが、携帯電話を通し、自分の声で会話ができるようになった。絶望が希望の未来に変わった。CoeFontは僕の怒りバージョンの声も収録したいそうだ。さまざまな分野で、こうした動きが出てきている。

かつての若者は安定を求めていたが、最近は考え方が変わってきていて、とても面白い。