村上陽一郎

村上陽一郎

放牧された馬と寝ずの番をしていた牧童が朝日とともに帰ってくる。モンゴルにて。

(写真:佐藤秀明

「専門家」はこうして生まれた

「専門家の声をきけ」「専門家によれば」「専門家は言う」。COVID-19の蔓延以降、専門家という言葉はあらゆるメディアで頻繁に用いられるようになった。では「専門家」とは何なのか。誰こそが専門家で、何が専門知なのか。『「専門家」とは誰か』(晶文社・村上陽一郎編)から一部を編集して紹介する。

Updated by Yoichiro Murakami on December, 7, 2022, 5:00 am JST

『百科全書』の登場で、知識の「俗化」が起きた

知的構造がひび割れ始めたのは、ヨーロッパ近代が体験した「世俗化」、筆者の提唱した概念では「聖俗革命」(『近代科学と聖俗革命』新曜社)によってであった。この革命が破壊したのは、学問や知識の世界を覆っていた、上の二重の統一性の内の一つ、神学的統一性であった。その詳しい経緯は上述書で述べたのでここでは再現しないが、例えば典型的な時代を画する出来事としては、一八世紀中ごろに始まる『百科全書』の出版を挙げよう。因みに最近鷲見洋一著『編集者ディドロ──仲間と歩く『百科全書』の森』(平凡社)という、とんでもない本が出版された。とんでもない、というのは、この本、手に取ったらほとんど「箱」としか言えないような体裁、つまり九百ページに近い、類例をみないほど分厚い本だからだ。『百科全書』を語るには、今後この本を絶対に無視できない、浩瀚で、決定的な金字塔として残るだろう。それはともかく、何故『百科全書』なのか。

第一回南極観測隊の隊員
第一回南極観測隊の隊員とソ連のオビ号。日本の観測船「宗谷」が氷に閉じ込められたとき、助けにきてくれた。

第一の理由は、『百科全書』が、当時の知識(その中には、例えば鉄鋼の鍛出法や、刺繡の針の使用法など、伝統的な哲学が担ってきた「知」の世界とは全く異質の、技術知や、身体知に相当するものも含んでいる)の集大成であり、しかも編者ディドロたちが誇らし気に書いているように、項目が、綴り字という知識の本質とは無縁のアルファベットを、並べる順序の基準にしている点である。何故アルファベット順という、今となっては極めてトリヴィアルな論点が重大なのか。要するに、物事を並べる順番というのは、基本的に「重」から「軽」というのが普通で、しかも既述のように神学的な縛りが強く効いている社会では、例えば〈Dieu〉(神)が〈chien〉(イヌ)の後に回される、などということは、恐らく、当時まではあり得ないことだったはずである。つまり、アルファベット順を採用するということは、従来の価値観を一切無視する、ということの宣言に他ならなかった。思想史的に言えば、この「宣言」は、社会を動かしてきたキリスト教からの離脱宣言であった。
もう一つの理由は、第一の点とも関わるが、知識の「俗化」とでも言うべき現象を造り出したことにある。『百科全書』によって、これまで、特別の階級の、極く一部のエリートの独占であった「哲学」的知識が、刺繡や鍛鉄に関する技術的な「知恵」と完全に並列化され、知的世界からは下に見られてきた、そういう知恵の世界と同列まで引きずり下ろされたのだ。

哲学を極点とする価値観の崩壊

これらのことは、結局「哲学」こそが人間の知の極点であるという価値観の崩壊を意味していた。全ての知が等しい価値を持つ、という含意を導いたこの現象が、「各科」という哲学の分解過程に繫がった、と見てよいであろう。十九世紀のヨーロッパは、まさしくそうした「科」たちの独立を経験した。哲学の一部であった博物学(natural history = 英語)は、動物学(zoology)や植物学(botany)や地質学(geology)へと分断され、人間社会を扱う分野としての社会学(sociology)も世紀半ばには誕生した。自然を扱う諸学としての〈Naturwissenschaft = 独〉と人間・社会を扱う諸学〈Kulturwissenschaft = 同上〉という学問の区分けも現れた。例えばリッケルト(一八六三〜一九三六年、H.Rickert)の『自然科学と文化科学』(佐竹哲雄・豊川昇訳、岩波文庫)など参照されたい。
こうした状況は、二つの重要な事態によって裏付けられる。その第一は、哲学部のみを本体としていた大学に、「数学・自然科学部」(つまりは「理学部」)という呼称を持った組織が、十九世紀半ば過ぎの、主としてドイツの新興大学に設けられたことである。ドイツでは、十九世紀になると、ボンやベルリンに、中世的な大学とは性格も構造も異なる新興大学が次々に誕生したが、一八七〇年代にそれらの大学の一部で、言わば「理学部」に相当する組織を備えるものが生まれたのである。

専門家たちの誕生

もう一つの事態は、〈~ist〉たちの誕生である。この接尾辞の直接の源はラテン語の〈~ista〉と思われるが、中世の大学の学生用語で、いささかの揶揄を籠めた「〜屋さん」という感じで使われた(例:〈humanista〉)ようである。同じ要領で、動物学者は〈zoologist〉、植物学者は〈botanist〉、地質学者は〈geologist〉、社会学者は〈sociologist〉というわけで、「各科」のみを修めた人間は、すべて〈~ist〉と呼ばれるようになった。同じ十九世紀半ばころに「科学者」を示す英語〈scientist〉や、「物理学者」を示す〈physicist〉という語も造られることになった。
因みに英語では「医師」は〈physician〉と呼ばれる。もっともこの語は内科医のみに当て嵌まり、外科医は別に〈surgeon〉という語があることは、歴史的には「外科医」が「医師」としては扱われなかったことを示している。外科医は、伝統的に「床屋」(時に「理髪医」と日本語では呼ばれる)であり、大学の上級学校としての医学校とは直接の関係はなく、職人ギルドの中で育てられる存在であった。現在アメリカの大学の医学部が、わざわざ〈college of physicians and surgeons〉と表現されることがあるのはその名残である。話を戻そう。ギリシャ語の「自然」を示す語幹〈physi〉につけられた接尾辞は、〈~ian〉であって、〈~ist〉ではない。あるいは「音楽家」を示す英語は〈musician〉であって〈musicist〉とは言わない。他方「病理医」は〈pathologist〉、「心臓病医」は〈cardiologist〉だが、面白いことに「小児科医」は〈pediatrist〉とされることもあるが、通常は〈pediatrician〉である。同様にヴァイオリン奏者は〈violinist〉であり、オルガン奏者は〈organist〉である。

オンタリオの秋
カナダ、オンタリオの秋。赤く染まっているのはほとんどがメイプルツリーだ。

こうした比較で明らかになるのは、〈~ist〉という接尾辞がつく語幹は、基本的に「狭く」、限定された概念、簡単に表現すればまさしく「専門」であり、〈~ian〉という接尾辞を導くのは、遥かに広く豊かな概念である、という点である。「小児科医」の場合に、まさしくその点での境界が示されていると解釈できる。医師のなかでは、「小児科医」は医師よりは狭い専門領域を扱うが、「心臓医」などに比べれば、「小児」の病なら全てを引き受ける、という点で遥かに「広い」領域を受け持つ医師であるからである。

「科学者」ではなかったニュートン

こうした詮索から浮かび上がるポイントは、ヨーロッパにおいて、十九世紀半ば以降、学者の世界に、急速に〈~ist〉たちが生まれたことである。ここで、書かでも、のことを付け加えよう。ニュートン(一六四二〜一七二七年、I.Newton)と言えば、誰もが、天才的な大「科学者」であり、就中「物理学者」であると判断するだろう。しかし、歴史的に見れば、この判断は全くの誤りとしか言えない。というのも第一に名称が問題である。既述の如く、「科学者」、「物理学者」の英語の表現である〈scientist〉も〈physicist〉も、ニュートンの時代には影も形もなかったのであり、イギリス人であったニュートンが、その呼称で遇されたはずはないし、その自己意識もあったはずはないからである。因みに、呼称としては「哲学者」に相当する〈philosopher〉以外にはなかった。彼の(今で言う)「物理学」上の主著は、『自然哲学の数学的原理』(Principia mathematica philosophiae naturalis = 羅)であって、まさしく「哲学」の書なのである。第二には、ニュートンの仕事の内容である。彼は確かに上掲の書物を通じて、今で言う「物理学」的な業績を上げたが、彼が残した文献類から判断すると、彼の仕事の範囲は今で言う、物理学、天文学のほかに、旧約聖書学、地質学、錬金術的化学、経済学(彼は大蔵官僚=造幣局長であった時期がある)など極めて広範に亘っており、とても物理学の領域に閉じ込められた「専門家」ではなかった。別の言い方をすれば、ニュートンの時代に「専門家」と称される〈~ist〉たちは存在しなかったのでもある。

「専門家」とは誰か
晶文社
村上陽一郎 編
村上陽一郎、藤垣裕子、隠岐さや香、佐藤卓己、瀬川至朗、上里達弘、佐伯順子、小林傳司、鈴木哲也 著

専門家とは誰か 書影

危機が訪れればたちまち、さまざまな「専門家」が現れ、種々の「専門知」が入り乱れる。多くの人たちは翻弄され右往左往させられることが世の常となっている。それは新型コロナウイルス禍でいっそう明らかとなった。これまでも起きてきた、これからも起きるだろう。
わたしたちは誰を信じればいいのか?何を指針とすればいいのか?科学、テクノロジー、歴史、メディア……多彩な分野から執筆陣を招き、専門知のあり方を問いなおす論考集。
求められる知の実体を探り、どのように社会に生かすことができるかを考える。