井山弘幸

井山弘幸

ポール・ゴーギャン『二人のタヒチ女』Paul Gauguin|Two Tahitian Women, 1899

(写真:メトロポリタン美術館 / The Metropolitan Museum

接吻することは剽窃か?

意外にも、コピペに寛容だったのは文藝の世界だ。ここでは「剽窃」がどのように捉えられていたのかをみてみよう。(シリーズ4/5)。

Updated by Hiroyuki Iyama on January, 30, 2023, 4:45 am JST

文藝の世界では、剽窃が咎められることは異例だった

剽窃の語源についてもう少し説明しておこう。剽窃 plagiarism は古典ラテン語の「人攫い(さらい)」(plagiarius)から生まれた言葉である。元の意味が「奴隷を誘拐する者」であったことは、西欧で古典語教育を受けた者は誰でも知っている。この言葉を文学作品の剽窃、盗用の意味で初めて使ったのは、紀元1世紀ローマの諷刺詩人のマルティアリスであった。マルティアリス自身が、他の著名な詩人ホラティウスヴェルギリウスのように剽窃の被害にあっていたからだ。苦心して生み出した修辞技法や比喩表現、とっておきの詩句を他人に使われて憤慨したのだ。このように剽窃という表現そのものは古代ローマで造語され使われてはいたが、文藝の世界では異例であって、慣用句やクリーシェとして、あるいは名言や箴言として、後世の学徒や作家に広く使われることが普通であったし、そのことで同時代人や原作者から剽窃の咎めを受けることはなかったのである。

松尾芭蕉の「奥の細道」の有名な冒頭「月日は百代の過客にして行交う年も又旅人也 」は、李白の「春夜桃李の園に宴するの序」にある「夫れ天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過各なり」から採られたものであったが、芭蕉が李白を剽窃したとは決して言わないのである。

接吻に対しても「剽窃だぞ!」

剽窃という聞き慣れない言葉が非常に印象的なかたちで登場する作品がある。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だ。イワンは弟のアリョーシャに自作の叙事詩「大審問官」を聞かせる(五章)。この物語では、異端審問が世相を荒立てていた16世紀スペインに本物のイエスが出現する。だが神の代理人である教会は、すっかり人心を掌握することで実現した秩序をイエスにかき乱されたくない。民衆に神ではなくパンを与えなかったお前など、もう要らない、と突き放す。そしてイエスは無言のまま大審問官に接吻して去ってゆく。無神論者イワンがアリョーシャに信仰の是非を問い詰めると、アリョーシャは黙ってイワンに接吻する。この時イワンは「剽窃だぞ!」と叫ぶのだ。最近の新訳では「盗作だぞ!」になっているが、いずれにしても同じことである。イワンはアイディアを盗まれたと思って剽窃と叫んだのである。この有名な一節を踏まえて現代人が誰かに黙って接吻したらどうなるのだろう。相手が仮に「カラマーゾフの兄弟」を読んでいてこの一節を知悉していたとしても、果たして剽窃と思うかは微妙なところだ。

ルネサンス時代になると「盗用」(stealing)のような表現は、文藝仲間のあいだでは広く使われるようになっていた。17世紀において顕著なことは、剽窃の概念が学問にまで拡張されたことだ。1673年から1693年の間に、少なくとも剽窃を主題とする本が四篇書かれている。フランス語の剽窃者plagiaireは17世紀に生まれた言葉だし、英語の剽窃者plagiarayの初出は1601年、剽窃(行為)plariarismという表現は1621年に生まれ、「剽窃する」plagiarizeという動詞は1716年に発明された。

1.コピペは勉学の重要な方法である
2.読書法としての抜き書き
3.ニュートンは「アイディアを盗んだ」と告発された
4.接吻することは剽窃か?
5.コピペで大量の論文を投稿した科学者の行方

参考文献
カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー 原卓也訳(新潮社 1978年)