行政文書や幾何学の証明問題をコピーしても誰も文句を言わないのに……?
書き写し(コピー)と剽窃(盗用)についてざっと概観した。学者や学生のこれらの二つの行為はそれぞれに全く異なる伝統であり、別の歴史をもつことは確認できたと思う。前者の書き写しの伝統においては、コピー元あるいは出典の側が剽窃を訴えることもなかったし、後者の剽窃が問われる時代においても、学習目的で書き写されたものを剽窃呼ばわりすることはなかったのである。最後にコピー元とコピー先との良好な関係と不穏な緊張について考えてみよう。
行政機関、俗に言うお役所では毎日のように書類が作られている。ワープロの普及以来、書類づくりの仕事は大幅に軽減された。ファイルを開いて前年度の書類をコピペして日付だけ変えればいいからである。行政文書の書き写しは紛れもないコピペだが、誰も剽窃とは言わない。一字一句変えてないところが無味乾燥な公的文書の特質だ。作成者は変わっても、部署に保存されたファイルは大きな改革がなされない限りコピーされ続ける。盗用の条 件は揃っているのに盗用ではない。書類の作成者は独創性も著作権も主張しないからである。
人類の知的財産として蓄えられてきた知識についても同じことが言える。例えば中学生が幾何学の証明問題を解くときに、ピュタゴラスの定理をそっくりそのままの形で利用しても剽窃とは言わない。これは、利用する側が使用した定理や公理を自分が創造したものだと主張していないからである。そもそも、三平方の定理は古代エジプトのギザのピラミッド建設の時代に使われていた。それから約二千年後に生まれたピュタゴラスも、エジプトの知恵を剽窃している訳ではない。彼が立派な牡牛を神に生贄として捧げたのは、定理の幾何学的証明に導かれたことへの感謝の念からである。
コピペで大量の論文を投稿した科学者の行方
ならば何故冒頭で書いたような行き違いが起きるのか。それはおそらくレポートと学術論文を混同したことに原因がある、と思われる。研究者が就職や研究予算の獲得のために論文を発表して業績を積むことを余儀なくされてからほぼ一世紀の歳月が流れた。「論文を書くか死ぬか!」publish or perish! とさえ言われる過酷な競争社会なのである。この世界では露骨な剽窃が横行し、学会では注意を促すまで深刻な問題となったこともある。このような状況が生まれる契機になったと思われるのがアルサブティ事件である。
イラク出身の科学者エリアス・A・K・アルサブティは他の研究者の論文を盗用すること約60篇に及び、露顕までかなりの時間がかかった末に米国の研究機関から追放された。その方法は手が込んでいて、若手ゆえに無名の、特に日本人研究者に目をつけ、掲載された論文を一字一句変えずにコピーし、著者名だけ自分のものにして、別の学会誌に投稿を続けたのである。天晴れと言いたくなる。それほど偽りを重ねてまで、研究者になりたかったのか。
コピペのレポートを提出した学生に忠告して締めくくるとしよう。まず剽窃などという大それたことでないことは確かだ。安心したまえ。それに書き写すことに教育的なメリットがある、ということも。だけどコピーした文献は必ず読んでね。案外こんな機会に座右の銘となる名文と出会えることだってある。それと「~について述べよ」などという安易で教育的な配慮のない課題を出す教師の非難など忘れて構わない。コピペで対処できる安易さには感謝すべきだろうけれど、考えたり調べたりすることが君にとって為になる、そんなレポート課題を出す授業を探すと良い。
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