Kaede

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「キラナ・ショップ」と呼ばれる、小規模の個人商店(インド版コンビニ)。1杯10ルピー(約16円)のチャイ、1枚5ルピー(約8円)のクッキーまで、QRコードを読み取ってキャッシュレス支払ができる

(写真:Kaede

トゥクトゥクも路上で売られている野菜もキャッシュレスで。急速に進むインドのデジタル決済事情

IT大国として名を馳せているインド。当然、デジタル決済が普及し、キャッシュレス化が進んでいる。その実情は日本人の想像を超えているかもしれない。インド・バンガロール在住のKaede氏にインドのキャッシュレス化事情とその背景をレポートしてもらった。

Updated by Kaede on March, 30, 2023, 5:00 am JST

お布施もQRコードでおさめるように

「あれ、現金がない!」
先日、筆者が住んでいるインド・バンガロールの食料品店で、買い物をしていたときのこと。現金で支払おうとしたが、財布に雀の涙ほどしか現金が入っていない事に気付いた。

盗まれた訳ではない。バンガロールに住んでいると、普段はキャッシュレス(主にスマホでの電子決済)生活を送っているため、現金を必要とする機会が少なく、持ち歩いていないのだ。
この食料品店でも、もちろんQRコードを読み取っての決済ができるが、自分のスマホのバッテリーが切れていたので、現金で支払おうとしたのだ(この時は、頻繁に買い物をする近所の店だったので、ツケで翌日支払いさせてもらった)。

今回は自分の不用心だったが、バンガロールで生活していると、本当に何でもキャッシュレスで購入できるので、現金を持つ必要性が全くない。

日本でもコンビニなどの大手チェーン店の利用が多い場合は、現金を持たずに生活することが可能だろう。しかし、インドの場合は本当に隅々までキャッシュレス決済が行き渡っていて、ローカルの商店で飲む一杯10ルピー(約17円)のチャイや、路上の野菜マーケットでさえ、店先には横にQRコードが設置してあり、スキャンするだけで支払ができる。

路上のブドウ売り。QRコードで決済出来る。(筆者撮影)
Uberでオートリキシャ(トゥクトゥク)に乗車する時も支払いはキャッシュレスだ。ただしUberを経由して支払いをするとドライバーの元にお金が入るまでに時間がかかるため、QRコードを読み取ってのUPI決済(Paytm、Google Pay、PhonePeなど)が好まれる(筆者撮影)

オートリキシャ(トゥクトゥク)も、運賃の支払いはデジタル決済できる。都市部では、ドライバーに自分のQRコードを提示され「現金ではなく、Paytmでお願い!」と言われることも頻繁にある。

ヒンドゥー教の寺院内にもQRコードが添付してあり、「デジタルお布施」まで出来るようになっている。

また、個人間同士の送金も(都市部では特に)デジタル送金が中心である。筆者がインドの友人達との食事や旅行の際、割り勘して支払う時は決まってGoogle PayやPaytmで送金している。これらの決済アプリ上での送金も、銀行口座間の送金も手数料は無料である。

インドのデジタル決済を支える基盤システム

インドのデジタル決済は主に2つのシステムで支えられている。「アーダール(Aadhar):国民識別番号」、そして「統合決済インターフェース(Unified Payment Interface: UPI)」である。

インド版マイナンバー「アーダール(Aadhar)」により、誰でも銀行口座が持てるように

インドのデジタル経済を支える根幹にあるのが、「アーダール(Aadhar)」という国民識別番号制度だ。日本の「マイナンバー」に近いものと考えてよい。

2009年から取り組みが始まった「アーダール」は、国民一人ひとりに生体認証情報(目の虹彩、指紋)と合わせて、国民識別番号を付与する仕組みである。インド政府によれば、2023年1月現在、インド国民の9割以上が「アーダール」を保有しているという。

「アーダール」の導入により、誰でも、とりわけ(インドの人口の大部分を占める)農村部や低所得層の人々は、簡単に銀行口座が開設できるようになった。そして銀行口座に紐づいて発行できる「UPI ID」(UPI:Unified Payment Interface 詳細は下記を参照) 取得をし、デジタル経済圏に参画できるようになった。

「アーダール」を持つことにより、都市から農村部まで、あらゆる所得層の人々が、日々の生活の中でデジタル決済を利用できるようになったのだ。

ちなみに「アーダール」導入前は、低所得層の人々は政府が発行した公的なIDを持っていない、あるいは一部のID(投票者カード、食糧配給カード)だけを持っていない人も多かった。公的に身元を証明する書類が欠けているために、銀行口座が開設できない、経済的困窮層に対する政府の支援金を受け取ることができない人も少なくなかった。「アーダール」は、低所得層、貧困層の人々の金融包摂を進めるインフラとなった。

アーダール(Aadhar)の登録センター。虹彩写真を登録しているところ。虹彩、指紋といった生体認証情報と合わせて、アーダール番号(ID)を登録する。(筆者撮影)

「統合決済インターフェース(Unified Payment Interface: UPI)」

上記で述べた アーダールは、「統合決済インターフェース(Unified Payment Interface:UPI)」という「即時決済システム」の基盤にもなっている。

UPIは、インド中央銀行の主導により2016年に導入されたシステムである。スマートフォンから、365日24時間リアルタイムで銀行口座間送金ができる仕組みであり、インドの主要銀行が出資する、インド国立決済公社(NPCI)が運用している。現在は200以上のインド国内銀行やノンバンクが参加している。

インド決済公社(NPCI)の発表によると、2023年1月だけで約80億件、金額ベースでは約2,000億ドル(約27兆円)の取引がUPI上で行われた。※1

銀行機能にアクセスできない貧困層の金融包摂の目的も含め、取引手数料は原則無料である。その日の取引額上限に達するまでは、何回でも無料で送金可能である。また、全ての取引がUPIのプラットフォームを通過することを規定して、デジタル決済サービスを提供する企業のみに取引記録が保持されることや、不透明な取引プールを持てないようにした。

インドのデジタル決済サービスは、「PhonePe」「GooglePay」「Paytm」の3社による独占市場になっており、インドでのデジタル決済の95%を、この3社が占めている(取引回数ベース)。※2

バンガロール・メトロ。チケット購入やメトロカードのチャージもオンラインで決済できる。(筆者撮影)

インドのデジタル決済を後押しした、2つの要因

上記で説明した、インドのデジタル決済を支えるシステムの整備に加え、デジタル経済への移行を後押しした2つの要因を以下に紹介したい。

例えるなら「5000円札と1万円札が、明日から無効になります」

2016年、インドのモディ首相は、マネーロンダリングや偽札撲滅を目的として、高額紙幣の廃止を突然発表した。当時のインドルピーの高額紙幣であった、「500ルピー札と1000ルピー紙幣の利用を、政府発表の翌日から廃止する」という施策である。

これが日本で起きたならば「5000円札と1万円札が、明日から無効になります。今持っている紙幣は銀行に行って預金してきてください」というもので、想像しがたい大変革である。この政策が発表された当時、筆者は日本のインド系外資企業で働いていたのだが、日本に住んでいたインド人の同僚たちから、インド国内の混乱を聞いていたのをよく覚えている。

高額紙幣の廃止は、それまで現金中心であったインドの小規模事業に大きなショックと混乱を与えたが、キャッシュレス化への移行を促すきっかけになった。

新型コロナの広がりで「非接触」が広がった

2020年以降の新型コロナは、インド国内のあらゆる層の人々にとって、デジタル決済への移行をさらに促した。

インド政府は、上記に述べた国民識別ID「アーダール」を基に、経済的困窮者への金銭支援や、世界最大規模のワクチン接種を進めた。それまでインフォーマル経済で、現金中心で生活していた低所得層でさえ、「アーダール」の登録、「銀行口座の開設」が必須の状況になった。

筆者は、2020年のパンデミック直前にインド・バンガロールに移住したため、コロナ禍の間も長らくインドで生活をしていたが、コロナ以降、都市部では特に身の回りのサービスのデジタル化が進み、利便性、衛生的な観点から「キャッシュレス化」が大きく進んだことを身を持って体感した。

「アマゾン・フレッシュ」をはじめとするオンライン・スーパーマーケットが普及し、オンライン診療サービスも発達。都市部では、個人経営による零細商店や薬局でも、あらゆる商品・サービスの取引のオンライン化が一気に進んだ。

注文したい商品や、常用薬などを、WhatsApp(インドで最もポピュラーなメッセージアプリ)で送り、デジタル決済アプリで支払いをして、配達サービスで玄関口まで届けてもらうことができるようになった。

バンガロールは、インド国内の中でも最もデジタルサービスが浸透している都市のひとつであり、新型コロナ以降、あらゆる物やサービスがスマホ一つで利用できるようになった。デジタル決済は、その根幹となっている。

インドで最もポピュラーなオンライン・スーパーマーケットのひとつ「Big Basket」。コロナ禍で一気に利用者が増えた。このようにバイクやトラックで注文した品を配達する。(筆者撮影)
ムンバイのローカル列車でも、10ルピー(約16円)の運賃支払はキャッシュレスに。(筆者撮影)

今回紹介した、デジタル決済サービス(Paytmなど)を利用するには、インドに銀行口座を保有していることが基本条件となる。日本からインドへ短期出張や観光で滞在する場合は、この変化を実感することは難しいかもしれないが、今後インドを訪れる機会があれば、デジタル決済が、あらゆる場所・人々の間で浸透しているか、ぜひ見てみてほしいと思う。

参照リンク
※1 Where Digital Payments, Even for a 10-Cent Chai, Are Colossal in Scale(The New York Times)
※2 With 96% Share, PhonePe, Google Pay & Paytm Dominated UPI Transaction Count In December(Inc42)