広井良典

広井良典

(写真:metamorworks / shutterstock

「再現可能性」の危機に瀕している科学。展開されてきているのは、個別性の科学だ

大量のデータの保存・解析が可能になる時代においては、科学もまた猛スピードで発展していくことだろう。しかし、今、科学は「再現可能性」の危機に瀕している。この状況においては、近代科学と同じアプローチをしていては発展もすぐに頭打ちになってしまうことだろう。

Updated by Yoshinori Hiroi on April, 21, 2023, 5:00 am JST

科学は「再現可能性」の危機に瀕している

「再現可能性(再現性)」とは、科学論文で示された実験結果などが同じ方法や手順を踏めば文字通り「再現」できることを意味している。これは、先述のように近代科学の根幹をなす考え方の一つである「普遍的な法則」の追求ということから、自ずと導かれる考え方と言える。

ところが、特に生命科学などの分野を中心に、近年そうした「再現可能性」が〝危機〟に瀕していると多くの研究者が感じているとの調査結果が科学雑誌『ネイチャー』に掲載され話題となった。同調査によれば、研究者1576人からの回答で、5%が(再現性が)「大いに危機的」、38%が「やや危機的」と答えたというのである(同誌2016年5月26日号)。関連して、日本医学会連合も再現性をめぐる問題への提言をまとめている(『日本経済新聞』2017年7月31日)。 では、そもそもなぜこうした問題が生まれるのか。いわゆるデータの捏造や研究不正といった類の問題は別にして、ここで考えてみたいのは「再現可能性」というテーマの根本にある、 科学や自然のあり方をめぐる構造的な問題である。

大きく振り返れば、17世紀の科学革命以降、科学の前線は物理的現象から生命現象、そして人間へと、いわばより複雑で、単純な法則には還元できないような現象へと歩みを進めてきたと言える。言い換えれば近代科学は、一つの数式で表現できるような、普遍性そして再現性が高い現象から順に取り上げていき、次第に探究の対象を広げてきた。

だとすればそうした過程で、「科学」の探究が生命現象や人間など、複雑かつ個別性の高い領域に及べば及ぶほど、「再現可能性」の問題が一筋縄ではいかなくなるのは、ある意味で当然のこととも言える。トートロジー的に言えば、〝再現性が困難な現象ないし領域が科学的探究の対象になってきているから、再現性が困難になる”ということだ。