広井良典

広井良典

(写真:metamorworks / shutterstock

「再現可能性」の危機に瀕している科学。展開されてきているのは、個別性の科学だ

大量のデータの保存・解析が可能になる時代においては、科学もまた猛スピードで発展していくことだろう。しかし、今、科学は「再現可能性」の危機に瀕している。この状況においては、近代科学と同じアプローチをしていては発展もすぐに頭打ちになってしまうことだろう。

Updated by Yoshinori Hiroi on April, 21, 2023, 5:00 am JST

科学の姿はひとつではない

さらに、ここで述べている「個別性・一回性と普遍性の総合化」というテーマは、実は「ローカル・グローバル・ユニバーサル」という話題と重なり合うものである。
すなわち、通常「グローバル化」ないしグローバリゼーションということが言われる場合、 それは“マクドナルド的〟に世界が一様に均質化していくといった意味で使われることが多い。

しかし、「グローバル」とは、 そうした均質化・一様化という意味では決してないのではないか。つまり本来の「グローバル (地球的)」とは、むしろ地球上の各地域の「ローカル」な風土や文化の多様性を積極的に評価しつつ、ヒトの(生物)種としての「ユニバーサル」な普遍性の中で、そうした文化の多様性が生成する構造を、俯瞰的に把握するような態度あるいは世界観を意味するはずではないか。

つまり、「ローカル」 (地域的・個別的)と「ユニバーサル」(普遍的、宇宙的)という対立的な二者を、架橋ないし総合化(または〝止揚〟)する理念としての「グローバル」ということが考えられるのである。経済社会のありようにそくして言うならば、ローカルな場所ないし地域から出発しながら、有限な地球において文化や資源が共存していくような社会システムの構想が求められている。

ここで「個別性・多様性の科学」と呼んでいる新たな科学の姿は、そうした経済社会をめぐる展望とも重なるだろう。

本章では、新型コロナと生態系をめぐる話題を手がかりにしつつ”せめぎ合い”の時代としての現代という認識から出発し、その帰趨を大きく規定するものとしての「科学」に注目し、近代科学の意味を整理するとともに、その今後のあり方を「ケアとしての科学」という視点にそくして考えた。

同時に本章では近代科学と資本主義は〝車の両輪〟のような関係にあることを述べたが、もし資本主義というシステムが今後「ポスト資本主義」という方向へと進化していくとするならば、 そこにおける科学のありようは、ここで論じた「ケアとしての科学」と呼びうる方向へとパラレルに変容していくことになり、しかも同時に、そうした科学のありようが新たな経済社会シ ステムを支える基盤の一つとなっていくと思われる。なぜなら経済社会システムのあり方と「科学」のありようとは、不可分に結びついているからである。

言い換えれば、〝ひとつの経済社会システム〟――たとえば資本主義のみが存在するのではないのと同様に、〝ひとつの科学〟の姿のみが存在するのではない。 すでに様々な科学史研究が明らかにしてきたように、経済社会や文化、風土的環境等のありように応じて、「複数の科学」あるいは「多様な科学」の姿が地球上の各地域において歴史上生成してきたのであり、今後もそうであるだろう。

参考文献
『人類がたどってきた道ーー〝文化の多様性〟の起源を探る』海部陽介(日本放送協会出版会 2005年)
『エピゲノムと生命』太田邦史(講談社ブルーバックス 2013年)
『エピジェネティックス』仲野徹(岩波新書 2014年)
比較文明』伊東俊太郎(東京大学出版会 1985年)
『変容の時代――科学・自然・倫理・公共』伊東俊太郎(麗澤大学出版会 2013年)

 *この本文は2023年4月10日発売『科学と資本主義の未来』(東洋経済新報社)の一部を抜粋し、ModernTimesにて若干の編集を加えたものです。