生成AIとジャワの雨季
こうした背景にある、前述した文化社会的イメージの働きを想像してみるのも面白いが、経済誌等をみる限り、そこでのレトリックには、業務が100倍早くなる、超効率化、といった話が目立つ。昔の伝記のタイトルである「合理の熱気球」の現代版のようなイメージが中心で、バスに乗り遅れるな、という恒例の掛け声も響く。ただし前述したimageryのレベルでは、この超効率化の先に一体何があるのか、実はあまりはっきりしない。殆ど人のいない、超自動化した社会を理想としているのかは定かではない。
他方、警告を発する側のイメージは、むしろ核戦争や地球温暖化に近い、一種の終末論的な響きがある。この拡大を懸念する本邦の研究者の間からは、毒饅頭といった古典的な表現も示されたが、私ならサブプライム・ローンのようなもの、という比喩を使うかもしれない。一見おいしいもうけ話の中に、大きなリスク案件が深く埋め込まれているが、誰もそのリスクを正確に把握できなかったまま、広く買いあさられ、結局破綻したあの話である。
熱帯下のジャワには、原則 乾季と雨期しかないが、後者でも朝から晩まで雨が降っている訳ではない。むしろ雨期に入りたての時期は、乾季でも見られなかったような、深い青色の快晴に出会うことも多い。ある時、その鮮やかさに感動しつつバイクで灼熱の県道を走っていると、少したってから、空のあちこちに白い小さな雲が殆ど等間隔で現れ始めたことがある。最初は特に気にしなかったが、少しするとそれらの雲は一様に少しずつ大きくなり、しまいには空全体があっという間に厚い雲に覆われてしまった。その後は雷鳴、そして文字通り滝のような豪雨である。今思うに、よくあの大雨の中、バイクがエンストしなかったものである。
合理の熱気球への熱狂的な期待の青空のかたわらで、ハリウッド脚本家のストや、AIに自殺を示唆されて死んだ人のニュースといった不気味な雲が、空のあちこちにぽつぽつと現れてはじめている。これが来る豪雨の先駆けなのか、それとも単なる気象のゆらぎに過ぎないのか、予断を許さない状況が続きそうである。
参考文献
『80年代の正体!―それはどんな時代だったのかハッキリ言って「スカ」だった! 』別冊宝島(JICC出版局 1990年)
『真理の工場―科学技術の社会的研究』福島真人(東京大学出版会 2017年)
『合理の熱気球―反骨の経営コンサルタント 荒木東一郎の生涯』猪飼聖紀(四海書房 1991年)
『言語と行為』J.L. オースティン 坂本百大訳(大修館書店 1978年)
『電力の歴史』T・P・ヒューズ 市場泰男訳(平凡社 1996年)
Mike Fortun(2008) Promising genomics : Iceland and deCODE Genetics in a world of speculation, University of California Press
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