日本製薬工業協会

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(写真:Gorodenkoff / shutterstock

提供側の不安をなくし、次世代の製薬につなげられる健康医療データの活用法を探る

製薬には様々なデータが必要になる。病院や診療所、調剤薬局で記録された医療に関するデータはもちろん、健康診断や介護、日常的な活動で得られた健康データも重要な情報源である。これらの「健康医療データ」を利活用することは、製薬産業にとって不可欠でありながら、データを提供する側の一般の人々にその意義はなかなか伝わりにくい。

Updated by Japan Pharmaceutical Manufacturers Association on June, 26, 2023, 5:00 am JST

製薬企業72社(2023年5月時点)が参加する業界団体の日本製薬工業協会(製薬協)は、広く一般に向けて、製薬産業が健康医療データを利活用する意義を啓発する活動を続けている。医薬品評価委員会に設けた医療情報データベース活用促進タスクフォースを中心にした活動で、2023年4月には一般向けの啓発冊子「健康医療データと私たちの生活」を制作、公開した。製薬企業が健康医療データを利活用する価値と、具体的なデータ活用法、患者などデータ提供者との関係について、同タスクフォースのメンバーに話を聞いた。

製薬企業のデータ活用を一般向け冊子で周知するワケ

製薬企業が利活用する健康医療データとは、具体的にはどのようなものを指すのか。同タスクフォースで冊子制作チームのリーダーを務める東郷香苗氏は、こう説明する。

「大きく3種類に分けられます。1つは製薬企業が自ら収集するものです。治験や臨床研究などで患者さんに同意をいただいた上で集めるデータです。2つ目がアカデミアの先生が研究目的で集めるデータです。1回の研究で利用を終わらせてしまうのはもったいないので、プライバシーなどの問題がない形にして製薬企業が二次利用することがあります。3つ目が今回の主題である健康医療データ、すなわちリアルワールドデータです。治験や研究のためにわざわざ集めるデータではなく、日常で発生するデータを製薬に生かすものです」

3つ目のリアルワールドデータの利活用は比較的新しい取り組みだという。日本は国民皆保険制度があり、レセプトと呼ばれる保険請求データが発生する。医療機関では電子カルテ化が進み、治療に関するデータが電子化されて蓄積されている。これらのデータを二次利用して製薬に生かす形だ。

製薬企業としては、多くのデータを活用して、医薬品をより効果的に開発したい。しかし一般の生活者の立場からは、自分たちのデータが何に使われているかわからないことによる不安や心配があるのは確かだ。

「どういうデータが何に使われているかわからず、わからないことが不安を増長させてしまいます。データ利活用について少しでもわかってもらうことで不安材料をなくせたらいいと思い、冊子を作りました」(東郷氏)

健康医療データと私たちの生活」と題した冊子は、リンクのようにe-Book形式でも公開している。健康医療データが何に使われているのか、健康医療データ活用の現状と今後、そしてQ&Aで構成されている。

東郷氏は、「健康医療データとはどういうものかを理解いただくのが大事です。一番伝えたいメッセージは『あなたのためにも役に立つのだけれど、たくさんの人に役に立つ』ということです」と語る。個人のデータを活用することで、製薬に役立つだけでなく、医療機関や行政など多くの機関の役に立ち、最終的にはデータ提供者に利益が還元される世界を目指している。冊子ではデータ漏洩などの不利益につながることも説明している。そうしたリスクを超えて、大きな理念として健康医療データを活用させてほしいとの願いだ。

タスクフォースメンバーの赤利精悟氏も「国民理解の向上を進め、データ利活用に前向きな社会を醸成していけたらと考え、前向きな取り組みをしているところです」と製薬協の動きを説明する。

世の中に出た医薬品の効果をリアルなデータから分析

実際、レセプトや電子カルテなどのリアルワールドデータはどのように活用されているのだろうか。

「目的は、製薬企業による新薬の開発、薬の安全性の確認です。薬は治験などのプロセスを経て承認されたといっても、実際には多様な患者さんがいます。一人ひとりの患者さんに新薬が合うかどうかは、研究開発の段階ではわかりません。リアルワールドデータを使うことで、新薬が世の中に出た後の研究ができるのです」(東郷氏)

リアルワールドデータの代表の1つのレセプトデータは、以前から電子化されていて、データは研究や経営、日本の保健医療の費用の効率化などの目的で使われている。ほとんどは匿名化した情報として取り扱われている。ただし、レセプトデータは保険請求が目的であり、情報が限られている。

「どの薬が処方されたかの情報はあっても、どの病気に使われたのかはわからないといった具合です」(青木氏)

そこで注目されているのが、リアルワールドデータのもう1つの代表である電子カルテだ。タスクフォースのリーダーの青木事成氏は、「電子カルテのデータはレセプトよりも豊かで、製薬企業からすると魅力があるデータです。治癒の状況や、他の疾病との関係などから、多くの情報が得られます」と語る。

同じくタスクフォースメンバーで、健康法規制や各国のデータの取り扱いに詳しい小林典弘氏は、「電子カルテそのものには多くの情報があります。そのうち、リアルワールドデータとして製薬企業が利用させてもらえる情報は、生年月、性別、投薬情報、処置・手術情報など一部です」と説明する。限られたデータではあるが、それでも活用の意義は大きい。

電子カルテのデータを使うことで、治療薬の投薬状況から、ほかの病気への影響や副作用などを分析できる。

「例えば、乳がんの治療薬だと思っていたのに、血圧を下げる薬として役に立つといったことが、リアルワールドデータからわかることがあります。データを二次利用することで新しい仮説を作れるのです」(青木氏)

言い換えれば、目的がある臨床試験とは異なり、「ビッグデータを活用することで、医薬品の市販後の状況を分析できます」(赤利氏)ということになる。

プライバシー保護との兼ね合いの先にある「社会価値」

一方で、豊穣なデータであるということは、プライバシー保護の側面で心配もある。基本的に製薬企業が実施する研究では「1人1人の患者さんに戻ることはなく、大きな集団として検査値や病状がどう動いているかを分析しています」と東郷氏は語る。研究のスタンスとして個人には興味がないともいう。実際、レセプトや電子カルテから提供されるデータは、個人情報保護法で定められた「匿名加工情報」であることがほとんどだ。特定の個人を識別できないように加工されていて、法律上は個人情報に該当せず、プライバシー侵害の心配はない。

ただし、電子カルテのデータでは、病院との共同研究などで匿名加工情報よりも踏み込んだ情報を扱うこともある。名前を伏せて、記号などで個人を示すようなケースだ。

「名前は伏せられていても、ある県で1人か2人しかいない病気の場合に、個人が特定できてしまうリスクはあります」(青木氏)

プライバシー保護のために、希少疾病のデータが扱えないとなると、製薬企業としては新しい研究ができなくなってしまう。ここに課題意識を持っているという。

青木氏は「自分の病気、治療歴をさらしたくないということから、個人情報を守る法制度が優先されたのは正しいことです。一方で希少疾病を放置していいのか。日本に10人、世界で180人しか患者さんがいないような疾病もあり、データがないと研究が進みません。1つの方法は、患者さんにデータ利用の同意を得ることです。東京都で3人といったケースなら、個人の同意を得ることで対応できます。ところが、もう少し患者さんが多く日本に1万人となると、個別に同意を取ることが困難になります。個人情報を守りながら、社会課題を解決する医療情報の活用法のアイデアを検討しているところなのです」と説明する。

例えば、個人情報の提供の同意は取らず、本人が第三者提供の停止を求めたときに提供をやめる「オプトアウト」が1つの方法として挙げられる。同意の取り方の方法論で対処する方向性だ。また、技術的に自分の病気だとわからない状態を作ることも検討されている。ブロックチェーンの活用、暗号化、データを暗号化したまま分析できる秘密計算などが検討されている。

そうした対策を検討しながら、ガバナンスを効かせて個人情報にアクセスするような研究者には罰則を与えるなどの縛りをかけていくことが、現段階の答えになりそうだ。小林氏は、「データを使って研究することは社会的メリットが大きいものです。原則としてはデータを使わせてもらって、希少疾病の患者さんや、今の治療に満足していない患者さん、お子さんの治療に役立つ研究開発に役立てていきたいと考えています」という。

青木氏も、「技術的にどんなに頑張っても、悪意ある人がいたら満点の対応は取れません。ネット銀行などでも100点の守りは実現が難しいように、医療情報も100%は守れないのが現実です。一方で、リスクゼロでないと絶対にデータは使わせないとなると、研究開発が滞り社会的な価値を提供できなくなります。リスクを最小限にして医療の進歩に使っていくので、何に使っているのかを理解してご協力いただけるようにという思いを冊子に込めました」と語る。

個人情報の提供への願いだけでなく、健康医療データの活用にはさまざまな課題がある。

「電子カルテでは、病院ごと、ことによると同じ病院の診療科ごとでもフォーマットが異なったりします。西暦と和暦といった細かいことでも、異なるとデータの活用が難しくなります。フォーマットを揃える方法を検討していくことも、私たちの課題です」(青木氏)。

「データの発生源になる病院は数多く、一方でそれらのデータがつながらないと活用できません。製薬の観点からは、治療を始めて、患者さんが治ったのか治らないのか、入院したのか、長い期間を追わないといけないわけです。それには病院ごとのデータをつなげることが必要です。次世代医療基盤法では、事業者が集めた上でデータをつなぐことができるように法整備が進められています。こうした環境が整っていくことを願っています」(東郷氏)。

健康医療データを安全に活用することで、救える命、苦しみから解放される患者が増える。個人の情報をどのように守り、どのように活用していくのか、社会と個人の双方のメリットとデメリットをうまくバランスしていく検討は、冊子による一般への周知の先にまだ続いていく。


(文/岩元直久)