長嶋監督の勘ピュータもまた「データ」を活用していたのかもしれない
実を言うと、データにはもう一つ別の用例がある。知識の根源をもとめる論考で、哲学者ラッセルが用いたもとの意味は sense data すなわち感覚所与であった。感覚として個々人に与えられたもの。知識の構成にとって基本的な情報単位である「与えられた感覚体験」のことをデータと呼んだのである。感覚与件とも訳す。自らに与えられたという意味であって、他人か らは知りようのないものである。これはID野球のデータとは根本的に異なる。スコアラーや公式記録員が作成するデータは全てが客観的な数値データであり、誰もが利用できるのに対して、感覚所与で言うところのデータは、時にはきわめて個人的で私秘的な感覚体験で得られる情報となる。
例えば、発熱や寒気を感じるときのいつもとは異なる不快な感覚は、本人にとって第二の意味の「所与で私秘的なデータ」であるのに対して、体温計で測定した体温37.0℃は、第一の意味の「客観的なデータ」となる。だから長嶋監督の勘ピュータは第二の哲学的な意味での、感覚所与のデータを活かしていたのかもしれない。監督時代に一点差で負けているゲーム、最終回二死一塁で走者に盗塁を命じたことがあったけれども、投手のモーションやランナーの走力から「盗塁できる」という状況感覚を得ていた可能性がある。それが長嶋監督以外の誰も知り得ないものであることは、言うまでもない。スピードメーターで測定した球速160km/hは第一の、打者が感じる球の「重さ」は第二のデータである。
宮澤賢治にとってのデータとは。「青空に無色な孔雀が居た」という仮説もデータに基づいていた
データがそれ自体では何も語らず、推論の材料として使われるときには仮説が必要となることを、科学者でもあり詩人でもあった宮澤賢治が書いているので、少々寄り道となるけれど触れておこう。処女詩集「春と修羅」の序詞で賢治はこんな風に語る。
…けだしわれわれがわれわれの感官や/風景や人物をかんずるやうに/そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに/記録や歴史 あるいは地史といふものも/それのいろいろの論料(データ)といっしょに/(因果の時空的制約のもとに)/われわれがかんじてゐるのに過ぎません/おそらくこれから二千年もたつたころは/それ相当のちがつた地質学が流用され/相当した証拠もまた次次過去から現出し/みんなは二千年ぐらゐ前には/青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ/新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を発掘したり/あるいは白堊紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を/発見するかもしれません…
賢治にとってデータは共通に感じる「論料」、つまり議論の材料ということだ。論理学のトゥールミンモデルではデータを「根拠」あるいは「事実」と訳すことに対応している。歴史や地質学史も一つのデータであって、それを材料あるいは拠りどころとして、仮説が推論されてゆく。だがその仮説は二千年後には「相当違った」ものになるだろう、と賢治は断ずる。捨てられてしまうこともあると言う。「青空に無色な孔雀が居た」という仮説はデータに基づいたものであっても、いずれ誤りとされる日がくる。トゥールミンモデルではデータだけでは何も分からず、それを活用するには論拠(warrant)が必要とされる。論拠は大概仮説のことである。