福島真人

福島真人

(写真:samjapan / shutterstock

日本を支配する、暗号と空気のダイナミズム

充分な議論がなされていないはずなのに、いつのまにか結論らしきものが形成され、物事が動きはじめるというシーンに遭遇したことのある人は少なくないだろう。国会から町内会の決議まで、日本はあらゆるところで「空気」が場を支配している。この「空気」について、STS(科学技術社会論)の見地から紐解いてみる。

Updated by Masato Fukushima on July, 31, 2023, 5:00 am JST

「空気を読む」ことの自然科学的定義

こうした通文化的な難訳語とでもいうべき概念の別の例が「空気」という言葉である。近年では若い世代の間でも、空気が読める読めないといったことが話題になるところをみると、その神通力も健在らしい。この言葉にも適訳がないが、そもそもアメリカ人は空気は読まない、といった根拠不明の主張もある(個人的には状況による、という気がするが)。ただしこうした文化的特徴は、海外の目にははっきりと異質に感じられるようで、斬新な国際的研究組織を立ち上げた過程を記したパンフレットを読むと、こうした国際的組織において「日本の研究者は常に自分と他者の間の関係を正確に測定することに努め、それに基づいて慎重な発言をする」という観察が述べられていて驚く。これなどは殆ど「空気を読む」ことの自然科学的定義とでもいえそうである。

かつてシンガポールでSTS系国際会議が開かれた際、英語での議論の途中であえて「空気」という言葉をそのまま(つまりkȗkiとして)使ったら、米国の日本史研究者がその意図を察して、会議の間中クーキという言葉が飛び交い、可笑しかった。彼もこの言葉の独特なニュアンスに何か思うところがあったのだろう。

将来が未知数であるテクノロジーには「表意文字」的な用語が重要

この空気という言葉は、日常的な文脈、たとえば特定の場の雰囲気といった意味から始まり、戦争のような大きな出来事への態度という場合等にも使われるが、あの時の空気ではそういう(反戦とかの)主張はできなかった、となる。そこに独特の行動倫理的問題を見いだしたのが、山本七平の『「空気」の研究』だが、彼はその根底に、一種の事大主義、つまり長いものには巻かれろという、強者への同調・従属があると指摘した。

ここで面白いのは、ちょうど甘えの概念と同様に、空気もまた、潜在的な普遍性を持つ可能性もあるという点である。この点は、本エッセーでも登場した期待社会学に関係する。繰り返しになるが、テクノロジーの初期はその将来が未知数のため、いろいろな約束や期待でそれを膨らませる必要があり、それがバブル化したり、崩壊したりする。こうした言葉の働きに関して、ファンレンテ(H.van Lente)は「表意文字」(ideogram)的な用語が重要だと指摘している。

表意文字とは、我々が使う漢字のような文字のことだが、ここでのニュアンスは、彼らが使う表音文字にくらべ、何かミステリアス、あるいは謎めいた感じがする、という点である。言い換えれば表意文字は、その正確な意味よりも、それがもたらすニュアンス/雰囲気が重要だという。テクノロジー開発にもこうした表意文字的表現が重要だ、というのが彼の主張だが、彼が挙げる実例は「民主主義」といった言葉である。民主主義が雰囲気的な「表意文字」だというのは(自ら民主主義を誇るオランダ人にしては)随分とシニカルな言い方だが、ポイントは、民主主義という言葉は美しいが、その実体はあまりはっきりしないという点である。曖昧だが肯定的な雰囲気をつくりだすスローガンが、不安定なテクノロジー開発には重要で、それが表意文字だという。