福島真人

福島真人

Hilma Af Klint The Ten Largest No. 3 – Youth – 1907|Grupp IV, nr 3. De tio största,Ynglingaåldern, 1907 Tempera på papper uppfodrad på duk 321 * 240 cm HAK104 © Stiftelsen Hilma af Klints Verk

(写真:Open Art Images / Open Art Images

South to Southで流通する知の体系がある。すべての「知」が西洋を通過するとは限らない

現代に通じる「知」はすべてアメリカや西ヨーロッパを経由するものだと思い込んではいないだろうか。世界を覆う「知」のなかにはSouth to South、つまり西洋先進国を介さないものも少なくない。アメリカや西ヨーロッパをほとんど介さず、ダイナミックに世界を駆け巡ったある「知」について、科学技術と政治、アートの相互関係について研究をしている福島真人氏が考察する。

Updated by Masato Fukushima on September, 29, 2023, 5:00 am JST

ジャワ島で出会った複雑な教義を持つ宗教。教典にあった出版社の名前は……

もうかなり昔のことになるが、1980年代中頃、インドネシア・ジャワ島で長期フィールドワークを行ったことがある。ジャワ島はインドネシアの政治的中心だが、歴史的にそのイスラーム化は地理的周辺部から始まったため、地域によってイスラーム化の密度が異なる。当時私は宗教と国家の関係に興味があり、多くの研究者が好む、南部の古都(ジョクジャカルタやスラカルタ)ではなく、イスラーム色が強い北部港湾地帯をその研究の拠点とした。だが途中から研究方針を変え、当地でいうクバティナン(kebatinan)、つまり心(batin)に関わる様々な教えと総称される流れに関心が移った。これは内容としては、多種多様な新興宗教のようなものと考えて良い。当時のスハルト体制は、スカルノ時代に一部が過激化したクバティナン組織に対してその牙を抜きつつ、イスラーム勢力を牽制するために彼らを利用することを考えていた。

さて、町や村も含めて、大小様々な教団の教祖にあって聞き取りを進めていたが、教義も実践も実に多様で、殆ど統一性はなかった。そんな中、あるグループは非常に複雑な教義をもち、それこそ宇宙の始まりから人間の誕生、その他諸々について整然と説明してくれた。メモをとるのに大忙しであったが、長老は、こうした話には原典があるといってそれを見せてくれた。

現在のインドネシア語は西洋風のアルファベットを使用しているが、ジャワには伝統的なジャワ文字があり、それで書かれた本である。なるほど、こうした由緒ある教典があるのか、とその本に見入っていると、その裏書きを見て、あれっと思うことがあった。ジャワ語に混じって、オランダ語で出版社の名前が書かれていたのである。長老に、これってオランダで印刷された本なんですか、ときくと、そうだ、実は、この本はオランダ語からの翻訳なのだという。

ジャワの宗教にも上座仏教圏も影響を及ぼした「神智学」

改めて問いただすと、この教典は、ジャワ宗教のオリジナルではなく、いわゆる「神智学」(theosophy)の教典だったのである。西洋思想史において神智学という言葉は、もともとは霊的視点から宇宙の神秘を明らかにしようとする試み全体を示す。他方、括弧つきの近代神智学といえば、ブラバツキー(H. Blavatsky)夫人らが1975年にニューヨークで結成した神智学協会によるものである。この団体の目的は、当時西側で流行していた心霊主義(降霊術等を行う)をベースとしつつ、東西の宗教思想を融合させ、真の普遍的真理を探求するというものであった。もともと古代エジプト思想等の影響もあったが、ブラバツキーのインド滞在によってヒンドゥー教、仏教の思想を組織的に取り込むようになり完成した。神智学は西側の知識人に大きな影響をあたえると同時に、これらのアジア系宗教諸派や更に本邦を含む東アジアのそれに対しても、彼らが自らの価値を再評価する大きなきっかけとなった。

こうした話は何となく事前に知ってはいたが、まさかジャワのクバティナン教団にその教えを直接引き継いでいるものがいるとは想像もしなかった。実際この教団は、地域のクバディナン・グループの中でも指導的な役割を果たしていたから、まさに神智学おそるべしである。その後、研究を東南アジア仏教圏に移したが、特に植民地下された上座仏教圏において、その近代的復興運動に神智学が大きく貢献したというのは有名な話である。