玉木俊明

玉木俊明

カジノで栄えるアメリカ・ラスベガス。自由の女神像のレプリカが設置されているのは、ニューヨーク・ニューヨークホテル。

ピケティが見逃した「金融社会」

格差社会という言葉が浸透しはじめて10年近くが経つ。それ以前にまったく聞かれなかった言葉ではないが、トマ・ピケティの『21世紀の資本』の刊行以来その言葉はますます認知されるようになった。現在、一般的には格差社会は資本主義による富の偏りによって起きると考えられているが、実は視点を変えてみると問題点は今までの認識とは違ったところにあると気づく。データをつぶさにみていた経済史学者が気づいた現代社会の本当の問題とは――。

Updated by Toshiaki Tamaki on January, 24, 2022, 0:05 pm JST

ピケティへの違和感

2014年に出版されたトマ・ピケティの『21世紀の資本』(山形浩生・守岡桜・森本正史訳、みすず書房)は、当時大きな話題となった書物である。これは、格差社会を論じた研究だとまとめられよう。ピケティの主張は、「資本収益率(r)が経済成長率(g)よりも大きければ、富の集中が生じ、格差が拡大する。歴史的に見るとほぼ常にrはgより大きく、格差を縮小させる自然のメカニズムなどは存在しない」ということに尽きる。これこそ、ピケティ氏の議論でもっとも大切な前提条件である。

ピケティの『21世紀の資本』は非常に面白く、同書のとりこになった人も多かったと思われる。だが、私には一つの疑問が残った。ピケティは、長期的な世界経済の構造転換を考慮していないのだろうか、と。
『21世紀の資本』は、300年にもおよぶ経済史の研究書である。この間に、世界はイギリスの第一次産業革命、ドイツとアメリカの第二次産業革命、世界恐慌、IT革命、リーマンショックなど、たくさんの出来事を経験した。そのすべての経済現象を、「r>g」という数式でまとめることは可能なのだろうか。

企業の収益はGDPよりも大きく増加するので、企業が手にする富は労働者が稼ぐ賃金よりも多くなる。そのために、労働者の賃金よりも、資本家のもつ富は増え、格差はますます広がることになるというピケティの議論は、所得の再分配さえうまくいけば、解決されることではないのか。
むしろ世界経済の構造転換こそが、ピケティのいう格差社会誕生の大きな要因ではないのか。そもそも長期的には格差が縮小していたにもかかわらず、比較的最近になって格差が拡大したのはそもそもなぜなのだろうか。
人々は、非常に長い間、消費財が豊富になることが生活水準の上昇を示す社会に生きてきた。たとえば近世のヨーロッパでは、茶、コーヒー、砂糖などの消費財が普及することで、人々は暮らしが豊かになったと実感できた。
戦後の日本では、三種の神器といわれた白黒テレビ・洗濯機・電気冷蔵庫、さらに新三種の神器といわれたカラーテレビ・クーラー・自動車が耐久消費財として購入され、日本人の生活の豊かさの上昇に大きく貢献した。

世界は、少なくとも先進国においては、消費社会から大衆消費社会へと移行した。そして現在では、金融社会といえる状態になっている。おおまかにいうなら、世界経済は、消費社会、大衆消費社会、そして金融社会へと変化した。大衆社会から金融社会への転換は、モノを中心とする金融社会へと変貌した。
そのような問題意識から、私は最近一冊の本を出版した。それが、『金融化の世界史』(ちくま新書 2021年)である。ここでは、同書の内容をまとめ、格差社会の生成に関する私自身の考え方を述べてみたい。

消費社会の形成

ヨーロッパは高緯度に位置するため植生が貧しく、その生活水準はアジアよりも低かったと推測される。近世ヨーロッパの生活水準が上昇したのは、新世界を「発見」し、そこからコーヒーや砂糖を輸入し、さらにアジアからは砂糖を輸入したからだ。
ヨーロッパ人の食卓には、それまで見たことがなかった食品が並んだ。摂取カロリーが少なく、到底豊かとはいえない生活をしていたヨーロッパ人にとって、砂糖は重要なカロリーベースとなった。18世紀のヨーロッパにとって、砂糖産業はもっとも重要な産業であり、そのほとんどはカリブ海地方の島々から輸入されていた。カリブ海域との関係を強めることで、ヨーロッパ人の生活水準は上昇したのである。
当初、砂糖を購入できた人々は上流階級に属していた。しかし砂糖価格が低下すると、多くの人々が消費する商品に変わった。ヨーロッパ人は新世界やアジアの商品を購入するために一生懸命に働き、所得水準は上昇し、所得格差は縮んでいった。
この過程で大きな役割を演じたのは、カリブ海の島々であった。カリブ海は重要な砂糖産出地域となった。むしろ、砂糖プランテーションに特化した、モノカルチャー経済の地域となっていったのである。