村山司

村山司

オーストラリアの内陸部。風車で水を吸い上げている。

(写真:佐藤秀明

世界には無数の「言語」が隠されている

AIと人間の差をコミュニケーションに求める人は多い。しかし、そもそもコミュニケーションとは何なのだろう。それは人の言語や心の動きだけを解析していれば、理解できるものだろうか。
世界にはコミュニケーションをする生物が無数に生きている。
長年イルカの研究を続けてきた海獣学者の考察を通して、コミュニケーションの根源を探ってみよう。

Updated by Tsukasa Murayama on January, 27, 2022, 8:00 am JST

文法を持つイルカたち

さて、イルカたちがコミュニケーションをしていることはおそらく確かであるが、その中身についてほとんど知られていないのはなぜだろう。理由は簡単、海の生き物だから。
陸上に暮らす私たちヒトにとって、広い海を自由に泳ぎ回り、生活圏のほとんどが水中である動物のコミュニケーションの実態を調べることがいかに難しいかは容易に想像がつく。だから、陸上(空気中)の動物に比べて、海の動物はわかっていることが極端に少ない。
ただ、これまで紹介してきたように、陸上でも言語を構成する要素を持つコミュニケーションをしている動物が存在するのだから、高度な知的特性を持つイルカでそれができてもおかしくはない。そのことを野生のイルカでは直接調べられないので、実験的に調べた成果がある。

飼育下のイルカを使って言語機能について調べた研究によると、象徴性、転置性、文法など、言語を定義するいくつかの要素をイルカは理解できることがわかっている。また、筆者もイルカに言葉を教える研究をしているが、イルカは物に名前をつける(名詞を教える、つまり「命名する」)のに目で見たものを鳴音で答えたり、音で知ったことを記号で選んだりと、視覚と聴覚を融合することができることや、教えていない関係を他の関係から類推するといったことができることがわかった。これらはヒトが名詞を覚えるのと同じ覚え方で、トリや霊長類の言語習得とは異なる能力である。イルカも海の中でイルカなりの「言語」を使っているのかもしれないとこっそり期待している。

「余裕」のコミュニケーション

動物のコミュニケーションは繁殖、求愛、捕食者回避、採餌など、生きていく上で必要最低限なことがらについての情報交換である。それは生態に適合し、生息する環境で効果を発揮するように進化してきたため、コミュニケーションのやり方がさまざまなのは生息する環境や状況が違うからにほかならない。遠くにいるものに情報を伝えるなら遠方まで届く方法が必要だろうし、長時間残る情報を伝えるには、時間がたっても消えない方法が良いに決まっている。それぞれの暮らしぶりに応じて無駄のない、効率的な方法が望ましいはずである。

つまり、ヒトも含めた動物のコミュニケーションの目的は共通しているが、それを達成するためにはさまざまな方法があるということである。数学だって、一つの値に対して、それが答えとなる方程式は無数にあるわけで、そのためにどんな方程式を作るか、あるいはどの方程式で解くかがその動物の生態に応じて遺伝的に決まっているということである。ただし、ヒトは少し厄介だ。ヒトのコミュニケーションの方程式にはさまざまな変数があり、そこには「おかれた立場」「相手の顔色」「行きがかり上」「昔からのよしみ」などといったようなものもある。動物にはない変数ばかりだ。

しかし、イルカのコミュニケーションはそれだけはない。
かつてある水族館で、イルカが遊び道具として与えられたボールをわざわざ格子で仕切られた隣の水槽のイルカに格子ごしに渡していた。本来、動物は自分の遊び道具を他の個体に渡すことはしないので、そのボールもいったん他のイルカに渡したらいつ返してもらえるともわからないはずである。しかし、格子のそばにいないとわざわざ鳴音で相手のイルカを呼びつけてまでして、お互いに格子ごしにボールをやり取りしている。これは生きるために必須なコミュニケーションではなく、遊ぶためのコミュニケーションである。こんなコミュニケーションは生きていくうえで「無駄」なことに見えるが、しかし、イルカたちにとっては生きていくうえでの「余裕」なのかもしれない。
ヒトもこうした「余裕」のコミュニケーションをたくさんしている。どうやらイルカとヒトは、そこは共通していそうである。