小松原織香

小松原織香

1969年ごろ撮影。雪が残るニューヨークのセントラルパーク。

(写真:佐藤秀明

私たちに残された「対話」という道

心身に大きな傷を負ったときの修復方法に「対話」という手段があることを小松原織香氏は過去2回の連載で示してきた。今回は修復的正義がもたらす効用を紹介しつつ、小松原氏自身の経験を踏まえてこの研究を続けている意味について述べてもらう。

Updated by Orika Komatsubara on February, 18, 2022, 8:50 am JST

対話が鎮静効果をもたらす

それでは、実際に修復的正義の対話に参加した人たちは、どのような経験をしているのだろうか。その手がかりとして、ハワード・ゼア『犯罪被害の体験をこえて 生きる意味の再発見』(西村春夫、細井洋子、高橋則夫監訳、現代人文社、2006 年)が参考になる。ゼアは修復的正義の研究と実践の先駆者である。彼は1990年に英語でChanging Lenses: A New Focus for Crime and Justice(訳書、西村春夫、細井洋子、高橋則夫監訳『修復的司法とは何か 応報から関係修復へ』新泉社 2003 年)を出版し、被害者と加害者の対話の重要性を訴えた。彼の著作は今でも修復的正義の教科書として世界中で広く読まれている。そのゼアが、被害者の加害者との対話の経験についてインタビューを行い、エッセイ集としてまとめたのが『犯罪被害の体験をこえて 生きる意味の再発見』である。本にはそれぞれの被害者の写真が掲載されており、魅力的な表情が記録されている。この本を通して、各人の個別の被害と、その後の人生の歩みに触れることができる。修復的正義の有用性だけではなく、同じ被害者のアイデンティティを持っている人も、一人ひとりが顔かたちや考えが異なる人間であることがこの本では示唆されている。

平原をみつめる馬
1980年代にパタゴニアの草原・パンパで撮影。この地域には「ガウチョ」と呼ばれる牧童がいる。この馬の飼い主もガウチョである。

そのなかに、印象に残る二人の性暴力被害者の語りがある。一人目はダイアン・マグヌスンである。マグヌスンは見知らぬ男性からレイプされた。その後、加害者は逮捕されて刑務所に収監された。マグヌスンの場合は、加害者と直接的な対話ではなく、手紙のやりとりで間接的な対話を試みている。そのために自分の感じていることを元に詩を書いて送ったのだ。加害者からは返事をもらったのだが、そのときの感覚をこう語っている。

彼が彼の罪を認め、謝罪したとき、私は即座にホッとしました。私は今でも、これまでの悲しみが、ドドーッと私の中から退けて行くのを感じることができます。その瞬間私は、彼を赦したと思います。私は鎮静効果を感じ、悲しみと怒り、それとそれに付随する抗し難いすべての感情が、即座に解き放たれるのを感じました。(訳書、131頁)

上のように、マグヌスンは加害者を赦したと語っている。そのときに、被害後に抱えていたさまざまなネガティブな感情が和らいだという。こうして対話を通して加害者を赦すに至り、被害者が苦しみから解放されるとすれば、修復的正義の実践には大きな意味がある。

赦すことができないこともある

他方、対話を通して、加害者を赦すことができないことに気づく被害者もいる。ジャネット・ベックは義父から性的虐待を受けていた。ベックは大人になると加害者を裁判で訴えた。その結果、彼は刑務所に収監された。ベックは、加害者が変わることを信じて対話を行い、赦すことを宣言した。しかしながら、加害者は犯罪を繰り返し、再び刑務所に収監された。ベックは次のように語っている。

私の義父との刑務所内での面会は人生のあるステージの終わり、私が彼に対して怒りを感じる最後でした。次のステージは悲しみでした。私は義父を永久に失ったという事実と、彼は変わらないだろうという事実と折り合いをつけなければなりませんでした。(訳書、18頁)

ベックはここで怒りの感情からは解放されたが、同時に義父の喪失を味わっている。修復的正義の実践に対する期待が裏切られたと言ってもいいかもしれない。対話をして赦しても、加害者は変わらず、犯罪をやめなかったのである。しかしながら、ベックは次のようにも語る。

(前略)私は他の人たちが私と和解するのを期待する前に、私自身と和解し、自分自身を赦さなければいけないということを実感しました。私の人生はずっと大きな嵐でした。そして今は、穏やかです。(訳書、18頁)

この語りからは、ベックは対話に参加することによって、意図せぬ結果を得たことが窺い知れる。参加前のベックの期待は、加害者が対話と赦しによって変わり、二度と犯罪など行わない人間になることだった。しかしながら、参加後に実際に起きたことは、加害者ではなく自分自身を赦し、人生を前に進めるという方向転換だった。対話することによって「この人は変わらない」という現実に直面し、それまでの願望を諦め、新しく生きる道を見つけたのである、この場合もまた、修復的正義の実践は大きな意味があると言えるだろう。

『犯罪被害の体験をこえて 生きる意味の再発見』に掲載されている二人の語りを見るだけでも、被害者が対話で経験することはそれぞれ全く異なっていることがわかるだろう。参加前に考えていることや予想していることと、実際に対話で起きることは違う。「対話すれば赦すことができる」ことも「対話しても赦すことができない」ことも起きうる。この本では39人もの被害者の経験が語られている。ぜひ、読者にはこの本を開いてひとりひとりの声に耳を傾けてほしい。