福島真人

福島真人

1980年代の後半に隠岐諸島で撮影。当時は大量のイカが獲れた。イカの大群で入江が盛り上がって見えたこともあるらしい。

(写真:佐藤秀明

表面的な歴史観を修正する、
テクノロジーの補修論的転回

「科学技術」は最先端のもので語られることが少なくないが、現代社会はそうでない技術で構成されていることが多い。科学技術社会学を研究する福島真人氏が、光の当たらない科学技術の重要性を指摘する。

Updated by Masato Fukushima on February, 24, 2022, 8:50 am JST

不可視なものに光をあてる

STSの立場から、似たような観点を多少異なる角度から指摘したのは、スター(S.L. Star)らのいう「インフラ」研究である。彼女の言うインフラとは、データベース等のいわゆる知識インフラを念頭においているが、インフラ一般もその射程に含まれている。面白いのは、この研究を始めるにあたって、スターが「これから提唱するのは退屈なものの研究である」と冗談か本当かわからないような表現をしている点である。確かに、社会を脅かしかねない遺伝子組み替え技術やナノテクノロジー、あるいは近年のAI技術の急速な発展に比べれば、データベースや、あるいはガス管や送電線の技術といった、一般的なインフラ技術はいかにも地味に見えて、学問的にも政治的にもあまりホットな話題とは言い難い。特にインフラ技術が順調に機能し、誰もあまり気にしない場合、それをわざわざ研究するというのはいかにも退屈そうに聞こえる。

スターらはインフラが順調に機能している場合、それを不可視(invisible)と呼び、それが可視化(visible)されるのは、故障などで機能しなくなる場合だけだと言う。実際、水道管もトンネルも、あるいはデータベースも、それらが話題になるのは故障したり、果ては機能停止に陥ったりするような場合で、それが安定して機能しているときに社会一般の問題として浮上することはあまりない。

その意味では、インフラというのはある意味「安全」と似ている面がある。つまりそれが問題視されるのは、実際に安全が脅かされ、人が脅威を感じるような場合なのである。安全を経営学的な観点から「ダイナミックな無風状態」と論じたのは経営学者のワイク(K.Weick)だが、わざわざ「ダイナミック」といった形容詞をつけたのは、何も起きていないようにみえる無風状態としての安全の裏では、それを守るための水面下の努力が継続しているという事態を示している。ワイクらが特に着目したのは、テクノロジーによって引き起こされるリスクだが、高い安全性を保って行われている活動、例えば航空管制、航空母艦における戦闘機の離発着、あるいは事故率が最も低い原子力発電所のようなものがその具体的研究象に含まれる。こうした分野における安全性維持のためのさまざまな努力とそれについての諸研究が、ワイクの議論の根底にある。そうした組織的努力の結果として、安全運行が保たれるのである。

アマゾンの中心部にある都市・ブラジルのマナウスにて撮影。危険な都市ランキングの上位に入る街だが、多くの観光客にとってアマゾン観光の拠点となる場所でもある。

これほど劇的な例というわけではないが、スターたちのいうインフラもある意味さまざまな努力の結果、順調な運行が維持されている。この意味では、これら異なる分野における似たような関心はいわば同一線上にあるといえる。実際、大きな事故や初期建設上の騒ぎなどで社会的な注目を浴びる段階とは違い、技術の安定運行時に、それに社会的に注目するというのは、ある種の努力が必要である。別の研究者はこうした努力のことを「インフラ論的転倒」(infrastructural inversion)と名付けているが、これは通常は「見えない」インフラを見えるようにする意図的な努力のことである。ゲシュタルト心理学でいう「地」と「図」の関係で言えば、もともと背後(「地」)に埋もれていた見えないインフラを、いわば「図」として詳細に観察してみようという試みを示す。こうした関心の高まりの結果、特に国際的なSTSや技術史の文脈では、補修やメンテナンスの作業についての詳細な研究が増え始めていて、従来の先端技術偏重の研究動向とは一線を画しつつあるのである。