福島真人

福島真人

パキスタンのランディコータルにて撮影。派手なトラックに文字通り人を山程乗せて走る。路線バスではない。どこをどう走るのかはドライバーが決める。

(写真:佐藤秀明

リスクのある「実験」を社会の中で行うべきか

科学の発展のためには実験が欠かせない。しかしリスクのある実験を社会は受け入れることができるのだろうか。科学技術社会学の研究者であり、『学習の生態学』の著者・福島真人氏がこの視点の重要性を指摘する。

Updated by Masato Fukushima on March, 29, 2022, 8:50 am JST

科学は理論構造のみで変化するに非ず

実際、人口に膾炙するパラダイム論というのは、もともと理論物理学をモデルにして組み立てられており、理論上の大きな変化の過程を「科学革命」と呼んでいる。しかし、科学の変化は理論構造の変化によってのみ引き起こされるわけではなく、新たな観測・実験装置が開発されることで劇的に進むことも多い。そしてこの点は、パラダイム論ではうまくとらえられない側面でもある。近年の日本がらみのノーベル賞は、タンパク質イオン化の技術や、タンパク質の活動をリアルタイムで観察可能にした発光タンパク質の応用など、観測技術の大革新にかかわるものも少なくないのである。

それゆえSTSでは、実験の実態調査から始まり、それがより広い社会的文脈でどのような意味を持つのか、という点に長く関心を寄せてきた。その際、実験という概念を、普通我々が想像するような条件が厳密にコントロールされたもののみならず、より一般的な試行錯誤全体という枠の中で考える傾向もある。実際フランス語では、実験と「経験」は同じ語なのである。前述した分子生物学者の発言は、まさに科学現場の実験もこうした可塑性/多様性を意味するという点で、大変興味深い話である。

失敗にめげないための「周辺的参加」

実は、より日常的な学習の現場でも、この実験にまつわるさまざまな問題が形を変えて姿をあらわすと感じたのは、大分前に流行した「状況的学習論」という分野の議論を再検討していた時である。この議論は、リアルな状況における学習の問題を、実践共同体とそれへの参加という社会人類学的視点から定式化したものだが、もともとは、さまざまな現場での学習のあり方についてのフィールド調査を基に議論を組み立てている。そのアイデア源の一つが、アフリカの伝統的な仕立屋の調査である。技能がおぼつかない新人がこうした仕立ての作業に参加すると、当然失敗が続き、布が台無しになることも少なくない。だがそこで研究者が見いだしたのは、こうしたぼろ布も再利用できるような、伝統的な仕組みがあるという点である。つまり新人たちの失敗を見越して、彼らが失敗にめげず、技能向上のための試行錯誤ができるようなやり方がとられていたのである。研究者たちはそれを理論化して「周辺的参加」と呼んだが、それは技能のおぼつかない新人たちが、安全に試行錯誤を繰り返しつつ目標の技能を獲得する、という議論だったのである。

実際、新人は未来への希望であると同時に、深刻なリスクの原因にもなりうる。先日大学病院で簡単な手術を受けたが、通常のベテランなら30分で終わるところがなかなか終わらず、ひやひやした。こうした研修医たちの未熟さも、医学の進歩のためには不可避の過程である。とはいえ、これがより難度の高い手術であればそうも言っていられない面もある。別に医療現場に限らず、こうした難度の高い分野において新人をどう育てるかという問題は、幅広い領域に存在するのである。