福島真人

福島真人

パキスタンのランディコータルにて撮影。派手なトラックに文字通り人を山程乗せて走る。路線バスではない。どこをどう走るのかはドライバーが決める。

(写真:佐藤秀明

リスクのある「実験」を社会の中で行うべきか

科学の発展のためには実験が欠かせない。しかしリスクのある実験を社会は受け入れることができるのだろうか。科学技術社会学の研究者であり、『学習の生態学』の著者・福島真人氏がこの視点の重要性を指摘する。

Updated by Masato Fukushima on March, 29, 2022, 8:50 am JST

プロジェクトの規模が拡大するにつれ、新人が経験を積む機会が減る

新人の教育をめぐる似たような「学習問題」が科学の他の分野、例えば宇宙科学のような領域でも顕在化しているというのを耳にする機会があった。現在、宇宙科学領域の研究規模は拡大し、特に海外ではそれに関係した予算もかつてない規模に拡大している。例えばNASAが先日打ち上げたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡などは、生涯予算が1兆円を超えている。日本での最大規模の計画は、戦略的中型と呼ばれるが、こうした国際的動向に対応するため、プロジェクトの規模は少しずつ拡大している。とはいえ財政危機のご時世、予算規模全体を劇的に増やすことなどかなわない。それゆえ、プロジェクトの規模が拡大するにつれ、ロケット打ち上げの回数は従来に比べて段々と減ってきているという。

煙を吐く工場
1980年代撮影。煙を吐く釧路の製紙工場。手前は釧路川。

ここで明らかになってきたのは、打ち上げ回数の減少に伴う副作用として、新人がこうしたプロジェクトを経験できる回数そのものも減少傾向にあるという点である。かつては頻繁にロケット打ち上げがあり、新人はなんだかんだいってもどこかのプロジェクトに参加して実際の経験を積む機会が存在した。しかし現状では、新人が実際のプロジェクトを経験するチャンスそのものが減少し、長期的には人材育成に大きな影響が出ると懸念されている。そこで近年注目されているのが、小回りの聞く超小型衛星を学生に造らせて、それを通じて実際のプロジェクト経験を踏ませるという新たな試みである。ロケット本体も、ロケットに乗せる衛星や観測装置も巨大化、複雑化する傾向があるが、その衛星そのものを超小型化することで、学生の現場経験のチャンスを増やそうというのである。

この話は、まさに現場での実験=学習可能性が、さまざまな条件によって左右され、場合によっては人材育成過程に深刻な影響を与えかねない、という現実を示すよい例である。STSでは、科学分野における研究スタイルや組織の形式の差を「認識的文化」(epistemic culture)と呼ぶことがあるが、先程の分子生物学者の発言は、生物学という、比較的小回りがきく認識的文化をもつ分野での話である。しかし、これが巨大装置を必要とするいわゆるビッグ・サイエンス系だと、話が大分違ってくる。実際、高エネルギー物理学等で、実証よりも理論が断トツに進展し、実証が追いつかないという指摘があるが、その裏には、まさに装置が巨大化しすぎて、実験する機会が非常に限られてきたと指摘する書物すらある。更に現状の装置を超えたレベルのそれを誰がいつ建設できるのか、不確定性は高い。前述した宇宙科学も、こうした巨大化と実験機会の減少による学習機会の減少というのが深刻な問題になっているのだ。