福島真人

福島真人

パキスタンのランディコータルにて撮影。派手なトラックに文字通り人を山程乗せて走る。路線バスではない。どこをどう走るのかはドライバーが決める。

(写真:佐藤秀明

リスクのある「実験」を社会の中で行うべきか

科学の発展のためには実験が欠かせない。しかしリスクのある実験を社会は受け入れることができるのだろうか。科学技術社会学の研究者であり、『学習の生態学』の著者・福島真人氏がこの視点の重要性を指摘する。

Updated by Masato Fukushima on March, 29, 2022, 8:50 am JST

失敗させないのではなく、カバーの方法を確保しておくこと

では、他の領域ではこの問題はどうであろうか。先程あげた医療現場などは常に失敗のリスクに晒されているが、世間の目がますます厳しくなっているのは、医療過誤に対する法的な処罰の厳格化という傾向からも明らかである。医療社会学の古典にBoys in Whiteというタイトルの民族誌的研究があるが、その出版50周年を記念した書評エッセーを読むと、ここで描かれている50年前の医学界での医療過誤への態度は、今からみると全く牧歌的だという指摘もある。この厳格化は、現場での学習機会へも大きな影響を与えているはずである。

拙著『学習の生態学』の文庫版に熊谷晋一郎さんが寄せてくれた解説「周縁者が参加できる組織の条件」にも、現場での失敗のリスクに身構える研修医の姿が生き生きと描かれている。熊谷氏は近年障害者の当事者研究を提唱している小児科医であるが、もともと脳性まひの障害があり、医療的処置については他の研修生に比べて多く困難を感じる場面があっただろうと思われる。特に小児相手では、その難しさも尚更であろう。彼のエッセーを読むと、こうした困難を前にして、上級医の「おれが責任をとるから自由にやってみろ」という励ましの言葉がその研修の大きな支えになったという点が生き生きと記されている。

「実験」という言葉を実験科学の厳密さから離れてできるだけ広く解釈し、学習に必須の試行錯誤の過程、と再定義すると、そうした実験過程には、それを阻害しかねないさまざまな社会的、文化的、物質的な制約があることが分かる。そうした諸制約に対して、いかにして実験を可能とする社会的空間を確保するかが、各現場での喫緊の課題なのである。筆者が「学習の実験的領域」と呼ぶこうした空間において、ここでいう広義の実験は、失敗のさまざまなコストに対して脆弱な面がある。これらコストには、経済面のものもあれば、一般的な社会的性質を持つものもある。そのいずれにせよ、どう失敗のコストをカバーし、どうやって実験を可能にする空間を確保するかは、多様な分野で(社会)実験が語られる現代においては、必須の観点なのである。

先に紹介したように、実験は手間隙かかるから、実験よりも模倣がいい、という主張があっても驚かない。実際、学習のかなりの部分は模倣から成り立っているというのも事実である。しかし、多くの分野では我々は未知の領域に突入しており、自らやってみなければ解決しない分野も増えつつある。実験をベースにした学習を推進するには、それを可能にする空間がどのように可能になるのか、横断的に研究するという視座が必要になってくるのである。

参考文献
学習の生態学―リスク、実験、高信頼性』福島真人(ちくま学芸文庫文庫 2022年)
数学に魅せられて、科学を見失う―物理学と「美しさ」の罠』ザビーネ・ホッセンフェルダー 著、吉田三知世 訳(みすず書房 2021年)
『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー 著、佐伯胖 訳(産業図書 1993年)
コピーキャット―模倣者こそがイノベーションを起こす』オーデッド・シェンカー 著、井上達彦 監訳、遠藤真美 訳(東洋経済新報社 2013年)
超小型衛星による宇宙開発への挑戦」中須賀真一
Boys in White: Student Culture in Medical School Howard Saul Becker(University of Chicago Press 1961年)
Epistemic Cultures: How the Sciences Make Knowledge  Karin Knorr Cetina(Harvard University Press 1999年)

『学習の生態学』(ちくま学芸文庫 2022年)
『学習の生態学』(ちくま学芸文庫 2022年)