松浦晋也

松浦晋也

北極に設置された大型アンテナの影。日々衛星からのデータを受け取っている。

(写真:佐藤秀明

新自由主義が狭めた宇宙

最先端技術の創出・実践の場となっている宇宙開発関連の事業。そこを見ていれば、やがて社会に起こりうる課題も浮かび上がってくるかもしれない。今回は科学ジャーナリストに新自由主義が宇宙産業にもたらした影響について紹介してもらう。

Updated by Shinya Matsuura on March, 30, 2022, 8:50 am JST

民間人が知りたいのは、もっと細かなことだった

そもそも地球観測データを購入するユーザーは、どのような人々、あるいは組織だろうか。まず地表の状態を知りたい研究者だ。そして国土全体というような広範囲の地表の利用状況を継続的に把握した政府機関だろう。では、民間企業にそのようなニーズはあるだろうか。

ランドサットのメインセンサーは、ランドサット1以来の「マルチスペクトルスキャナー(MSS)」に加え、ランドサット4からは、7つの波長帯で地表を撮影する「セマティック・マッパー(TM)」が加わった。TMは1ピクセルが30m×30mの解像度で地表を撮影することができた。が、30m×30mでは、自動車は識別できない。建物だってよほど大きくないと識別は難しい。分かるのは、数十平方kmオーダーの広範囲の土地の利用状況や、植生などだ。

民間企業が、それほど広い地域で展開する事業というのはさほど多くない。むしろ民間企業が知りたいのは、特定の地域の畑の生育状況や、特定の地域の土地利用状況、あるいはもっと細かく、ライバルの大規模店舗の駐車場の埋まり具合から来客数を推定するとか、原油貯蔵タンクを上から見て中にどれほど原油が残っているかとか、そういった一企業の事業規模に対応する、ずっと細かいことだった。その意味では、民間企業が欲しい地球観測データとは、偵察衛星並みの1ピクセル1m×1mとかそれ以下の、ずっと高分解能のデータだったのだ。

しかし米政府はこの時点では、TMの30m解像度のデータまでしか民間への販売を認めていなかった。1960年代以降、国家偵察局(NRO)が開発と運用を続けていた偵察衛星は機密指定されていて、衛星の仕様も撮影したデータも一切が非公開だった。1980年代半ばには、偵察衛星の撮像データは10cm程度の解像度を達成していたと見られるが、それは今なお一般には公開されていない。

しかも、ランドサットのデータを民間が利用するには、より大きなハードルがあることも判明した。ランドサットのデータから分かるのは、地表が特定の波長の光をどれぐらい反射するかということだけだ。なにか特徴的な波長の反射があったとして、それが地表の何を意味するのかは、撮影した地域に実際に赴いて調べなければ分からない。

これを「グラウンド・トゥルース(Ground Truth:地表の真実)」という。つまりランドサットのデータは、膨大なグラウンド・トゥルース情報の蓄積がなければ、使いこなすことができないのである。そんなデータを民間企業が持っているはずもないし、また、根気よくデータを購入し続けて、自ら蓄積を作っていくだけの投資を行う余裕もない。

かくして1989年になると、ランドサットの民間移管は暗礁に乗り上げてしまった。この年でNOAAからEOSATへの資金提供は終了し、EOSATは独立してデータ販売の収入でランドサット6と7を開発する予定だったのが、とてもそんなことは不可能な状況に陥ったのである。NOAAには追加資金を拠出する意志はなく、軌道上のランドサット4と5は、共にまだ十分使えるのに運用を中止する可能性が出てきた。観測の継続こそがランドサット計画の価値である以上、これは計画の死を意味した。

「なんでも民営化」では観測を続けられない

この時、大統領はレーガンから41代のジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)に交代していた。ブッシュ政権のダン・クエール副大統領がランドサット計画の救済に動き、EOSATに緊急の資金提供を手配した。これにより少なくとも1989会計年度の間は、ランドサット衛星2機の運用は続けることが可能になった。

この時間的余裕を使い、米議会では漂流するランドサット計画をどのように扱うかが議論された。結果、1990年度と91年度は、NOAAが計画維持のための資金の半分を、残る半分をランドサットデータを利用する各官庁が負担するという資金計画がまとまり、ランドサット計画は、辛うじて生き残ることができた。

続く1992年と93年こそが、ランドサットにとって最大の苦難の日々だった。米議会におけるランドサットをどうするかの議論は1992年度に入ってもまとまらず、EOSATは様々な資金制度を活用してなんとか綱渡りの運用を続けた。1992年10月、ランドサットをNASAの計画として継続することを明記した「1992年陸域リモートセンシング政策法」が公布され、やっと計画継続が公的に認められた。しかし、予算措置が間に合わず、同年末には一時的に観測で得た生データの処理を停止する事態にまで追い込まれた。この時点でランドサット4は打ち上げから10年、ランドサット5は8年を経ていた。両衛星とも設計寿命は「最低3年以上」というもので、もういつ機能を停止してもおかしくない状況だった。

1993年10月5日、NASAの衛星として完成した後継機「ランドサット6」が、アメリカ西海岸、カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地から「タイタンII」ロケットで打ち上げられた。しかし、なんということか打ち上げは失敗してしまう。軌道上には、老朽化したランドサット4と5が残された。

1972年から維持し続けてきた「同一センサーによる継続的な地球の観測データ蓄積」は、レーガン政権の「なんでも民営化」に引っかき回された結果、風前のともしびとなった。

参照リンク
https://www.usgs.gov/landsat-missions/landsat-4
https://www.usgs.gov/landsat-missions/landsat-5
https://www.usgs.gov/landsat-missions/landsat-6
Land Remote Sensing Commercialization Act of 1984
Land Remote Sensing Policy Act of 1992