暮沢剛巳

暮沢剛巳

ニュルンベルクのナチ党党大会に参加するナチス・ドイツの兵士たち。

(写真:Everett Collection / shutterstock

仮面ライダーに見る、万博とナチスドイツ

前回、暮沢剛巳氏は大阪万博を通じてウルトラマンの背景を紐解いていった。今回は同じ手法を仮面ライダーに用いてみる。大阪万博という戦後日本のエポックメイキングな出来事を通じてみると、一大ヒーローから何を読み取ることができるのだろうか。

Updated by Takemi Kuresawa on July, 19, 2022, 6:30 am JST

ポスト万博の物語だった仮面ライダー

今回は、仮面ライダーに目を向けてみよう。大阪万博が登場するのは、第7話の「死神カメレオン 決斗!万博跡」(1971年5月15日放送)だが、このエピソードも第6話との前後編で構成されている。そのストーリーを手短に紹介しておこう。

世界征服計画のために多額の資金を必要としていたショッカーは、ヒトラーが生前に日本に送った時価数兆円の財宝を強奪する計画を立てる。死神カメレオンは財宝の秘密を知る元海軍軍人の砂田を脅迫し、彼の娘を誘拐して秘密を聞き出そうとするものの、本郷猛によって阻止されてしまう。その後、本郷は財宝の秘密が記された「ナチスの鉄箱」を一足先に入手するが、カメレオンは本郷が立花藤兵衛(ライダーの協力者)に預けた鉄箱を奪い取り、さらにショッカーのアジトに潜入した本郷を「ライダー殺し」の罠に陥れる。しかしカメレオンが奪った鉄箱は実は偽物であり、本物のありかを聞き出すために、瀕死の本郷を解放する。

本物は本郷の恩師である阪神工業大学の大山博士が所持していることを知ったカメレオンは、博士を襲撃して箱を手に入れようとするが、箱は既に開けられた後で、研究室にいたのは博士に扮装した立花藤兵衛と助手の緑川ルリ子であった。カメレオンは2人を拉致し、解放してほしければ万博跡まで宝のありかが書かれた地図を持ってこいと本郷を脅迫、地図と人質を交換した後、揉みあいの末に本郷をタワーから突き落とす。これで宝は俺のモノだ。
カメレオンは地図に書かれていた場所から棺を掘り出し、蓋を開けるが、棺に入っていたのはライダーであった。

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テキサスの道路をバイクで走る。太陽にじりじり照らされながら、ただまっすぐに地平線を目指して走る。

激しく交戦するカメレオンとライダー。戦いの途中でカメレオンが宝のありかを問うと、ライダーが「人間に悪の心が生まれる汚れた必要のない宝は太平洋に捨てた」と答えたことでカメレオンは戦意を喪失、最後はライダーキックからライダーチョップの連続技を食らって絶命する。
今日であればコンプライアンスの観点から槍玉に挙げられそうなストーリーだが、半世紀も前の作品を今日の価値観で問題視することはやめておこう。ここではただ、大阪万博に引き寄せて考えてみたい。

ウルトラマンとの最大の違いは、やはり放映時期である。「決斗!万博跡」が放映された1971年5月15日は、前年9月13日に大阪万博が終了して約8か月後(収録されたのは3月23日とさらに以前である)、クライマックスの決斗シーンは文字通り多くの遺構が残る「万博跡」で展開された。これは、メイン視聴者であった子どもの多くが前年に大阪万博へと足を運び、この会場がどのような場所であったかを知っていることを前提としたものである。プレ万博の物語であったウルトラマンに対して、仮面ライダーはポスト万博の物語であったと言えようか。

やたらと万博跡が映し出された必然的な理由

一方共通点としては、これが大阪を舞台とした初めてのエピソードだということが挙げられる。仮面ライダーは大阪のMBS制作だが、それ以前の5話はすべて東京が舞台であった。キャストのスケジュール等の都合もあったのだろうが、これはやはり、記念すべきライダー地元初登場の舞台は、前年大きな反響を呼んだ万博会場がふさわしいのではないか、という判断があったものと推測される。でなければ、カメレオンがわざわざ人質と地図の交換場所として万博跡を指定する必然性がない。

いずれにせよ、万博跡が決斗の舞台となったことで、仮面ライダーという作品を特徴づける2つの要素が大きくクローズアップされることになった。それは、廃墟趣味とナチスギミックである。

まず前者だが、ライダーがショッカーの世界征服計画を見破って追いつめる展開の都合上、もしくは怪人の転落や爆破の場面が見せ場となる演出の都合上、仮面ライダーと怪人の決斗が街中で行われることは滅多になく(ウルトラマンと怪獣の対決が、もっぱら都心のビル街で行われるのとは対照的だ)、多くは人気のない空き地や公園などで行われる。なかでも廃墟は格好の決斗場で、大幹部地獄大使との決斗が行われた町田市鶴川の通称「お化けマンション」や、怪奇フクロウ男と決斗が行われた生田緑地の通称「階段回廊廃墟」などは、多くのファンが現場を訪れたことでも知られる。そう考えると、決斗の舞台が万博の会期中ではなく、会期終了後の跡地であったことにも納得がいく。
よく指摘されることだが、仮面ライダーのルーツは東映時代劇、それも「仮面の忍者 赤影」のような子ども向けの時代劇にある。特撮とは言っても、その決斗シーンはもっぱら大野剣友会のスーツアクターたちによる練度の高い殺陣に依存していた。

そうした背景から考えてみても、閉幕からまだ間もなく、多くの解体前のパビリオンが放置され「宴の後」の雰囲気を濃密にとどめた万博跡は、ライダーと怪人の格好の決斗場であったに違いない。実際決斗シーンでは、日本館やエキスポタワーなど解体前の多くのパビリオンが捉えられ、下から見上げるアングルでモノレールの線路上での決斗が映されるなど、限られた放映時間の中で万博の遺構を数多く見せようというサービスが徹底されている。特撮技術を駆使した映像が流れる場面に乏しい仮面ライダーだが、大阪万博をめぐるエピソードに限っては、明らかにメカニカルな志向が強く作用していた。ピクチャレスクな廃墟は西洋近代絵画における主要なモチーフの1つだが、この万博跡も、鉄骨や機械の美が前景化されたピクチャレスクな廃墟の一種と考えることができる。

ショッカーのモデルはナチス・ドイツ

一方後者だが、私自身リアルタイムで視聴していた幼少時にはさすがに気付かなかったものの、少しは歴史の知識を身に着けた小学校高学年の頃に再放送で見た際には、悪の秘密結社ショッカーとナチス・ドイツの類似はもはや明らかであった。例を挙げれば、大幹部のゾル大佐の軍服姿がナチスの将校のように見えたことや(さらに後年知ったのだが、実際彼には元ナチスの陸軍軍人で、ヒトラーから授与された鞭を携行しているという設定が与えられていた。また後任の大幹部の死神博士もナチスの協力者という設定であった)、ショッカーのアジトの壁に設置されていた鷲のレリーフがナチスのマークによく似ていたことなどだ。製作サイドも、以下のようにショッカーのモデルがナチス・ドイツであることを隠そうともしていない。

ショッカーの起源は、ナチス・ドイツに遡ると言われる。秘かに生き延びたその残党が、世界の覇権を握る夢をかなえるべく、組織したのがショッカーであった。かつてナチス・ドイツがドイツ民族の優越と反ユダヤ主義を綱領として採り入れたように、ショッカーはそうした選民思想を世界規模に拡大し、一部のエリート=改造人間による全世界の支配を企むのだ。(『Kodansha Official File Magazine 仮面ライダー 特別版 vol.1ショッカー』講談社、2005年)

ショッカーの起源がナチス・ドイツとされたのは、それが単に「世界征服をたくらむ悪の秘密結社」の最もわかりやすいモデルだからであって、それ以上の政治的、思想的な意図があったわけではないだろう。多くのエピソードで「人体改造」「人体実験」「大量虐殺」「選民思想」等々のナチスを彷彿とさせる場面が続々と登場したことや、第3話で「ショッカーはナチス・ドイツで研究されたという移植手術などの手法で、昆虫や動物の機能をもつ改造人間をつくっていた」というナレーションが流れたことは、それを端的に示している。

そして本題の第6、7話でも、ヒトラーの映像を映しながらショッカーとナチスや第三帝国との関係を問うナレーションが流れるほか、元ナチスの科学者ハインリッヒ博士という人物が登場する場面がある。ウルトラマンにもマッドサイエンティストが登場するエピソードはあるが、彼のようにそれが明らかにナチスと関連づけられているのは仮面ライダーならではだ。万博跡が決斗場所に選ばれたのも、国民的なイベントを終えたばかりのこの廃墟を、崩壊した第三帝国と重ね合わせているからに違いない。

ナチスが構想していたベルリン万博の内容

万博論であるこの場所でさらに考えるべきは、ナチス・ドイツにおける万博はいかなるものであったかということだろう。史実に即して記せば、ナチス・ドイツがホスト国として万博を主催したことはない。ヒトラーは1950年にベルリンで万博を開催する構想を持っていたとされるが、その10年以上も前に第2次世界大戦が本格化し、敗戦によって体制が崩壊したため、実現の機会はなかった。ただ1936年に開催されたベルリンオリンピックと、その翌年に開催された1937年のパリ万博のドイツ館パビリオン、さらにはそれと前後して開催されたナチスの党大会を概観すれば、ナチスが構想していた万博のおおよその輪郭を描き出すことができる。

ベルリンオリンピックは、1936年8月1日から16日にかけて開催された。もともとベルリンでは1916年にオリンピックの開催が予定されていたものの、第1次世界大戦の戦局悪化によって中止となった経緯があり、20年越しの開催であった。開催決定後の1933年に政権の座についたヒトラーは、生来のスポーツ嫌いに加え、オリンピックを「ユダヤとフリーメーソンの発明」と見なしていたこともあり、当初は中止する意向であったものの、絶大なプロパガンダ効果が期待できるという周囲の説得を容れて翻意し、「アーリア民族の優秀性」をアピールする場としての開催を決定した。

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隅田川を月島へ渡る道。目に見える風景のほとんどが人工物だ。さまざまな時代に建てられたものが写り込み、80年代の価値も見える。2019年ごろ撮影。

ベルリンオリンピックをナチスのプロパガンダとしてとらえたとき、最も象徴的なのがメイン会場であったオリンピアシュタディオンであろう。このスタジアムは、もともと既存のスタジアムを修繕して活用する予定だったところを、国威発揚を目論むヒトラーの意向によって急遽新設されたもので、バイエルン州特産のリーダースドルフ石をふんだんに用い、古典様式の二層式のアーケードを架けるなど、なんとも豪華なたたずまいであった。このスタジアムは、またエントランスの前に立つ2本の柱の片方には、今では取り外されているが、ナチスの象徴であるハーケンクロイツが刻印されていた。

同じく象徴的なのが、オリンピック発祥の地ギリシアで採火式を行い、松明に灯した聖火を開会式場まで届ける聖火リレーである。これはアーリア民族こそがギリシア民族の後継者であるというヒトラーの思想を視覚化すべく、この大会で初めて実施されたもので、ギリシア→ブルガリア→ユーゴスラビア→ハンガリー→オーストリア→チェコスロバキア(当時)をへてドイツに至るルートは、数年後の開戦時のドイツ軍の侵攻ルートともなった。

パリ万博でのナチスの振る舞い

一方のパリ万博は、1937年5月25日から11月25日にかけて開催された博覧会である。この万博には日本を含めて総計44か国が参加したが、そのなかにナチス・ドイツの姿もあった。唯一参加したこの万博で、ドイツ館パビリオンがちょうどエッフェル塔を挟む形でソ連館パビリオンと対峙していたことは、数年後の独ソ戦の予兆としてしばしば強調される。

ドイツ館パビリオンを設計したのはヒトラーのお抱え建築家だったアルベルト・シュペーアで、65メートルの高さの建物の正面には、ハーケンクロイツの紋章をつかんだワシの彫像が据えられていた。シュペーアはソ連館の情報を入手し、それを凌駕するパビリオンを建てるべく、時間ギリギリまで試行錯誤を重ねたという。このパビリオンで、ナチス・ドイツは人文・思想、社会問題、芸術・技術教育、都市建築、美術など14ジャンルにまたがる展示を行った。館内には「アーリア民族の優秀性」を訴える多くの絵画や彫刻(ヒトラーはそれを「大ドイツ芸術」と称していた)が設置され、またツァイスの望遠鏡、アグファの光学製品、メルセデスベンツの自働車、ツェッペリン社のモーター等によって、自国の優れた技術力を誇示していた。この最新技術を実装した工業製品と古典主義風の彫刻や絵画の奇妙なアマルガムこそ、ドイツ館を彩る最大の特徴であった。またこれらの展示品を設置する空間は、豪華なシャンデリアやランプによって照らし出されていた。

ショッカーが描く世界征服の先にあるもの

ナチスの党大会についても見てみよう。ナチス党は1923年に1938年にかけて毎年党大会を開催していたが、中でも有名なのがニュルンベルクで開催された1937年の党大会である。この時の主会場であったツェッペリン広場には24万もの人員を収容可能な巨大なスタンドが建設され、夜の集会時には150基ものサーチライトによって空を照らし、会場を包み込む「光のドーム」が出現した。この荘厳なスペクタクルもまた、ヒトラーの信頼が厚かったシュペーアの演出によるものであった。

ヒトラーがシュペーアに最後に託そうとしたのが、ゲルマニア計画である。これはベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ニュルンベルクといったドイツの主要都市を「アーリア民族の優秀性」を示すにふさわしいたたずまいに改造しようというもので、なかでも首都ベルリンをロンドン、パリ、ローマなどの他国の首都を凌駕する「世界首都」へと改造することが目標であった。ヒトラーから「帝国首都総監」の肩書を与えられたシュペーアは、ベルリンに南北縦貫道と東西横断道を走らせ、周囲を環状道路によって囲み、そのなかに巨大ドーム、官庁街、住宅街などを配置する計画を立てていたが、結果的にその計画はごく一部しか実現しなかった。

これだけの情報があれば、ナチスによる万博がいかなるものであったかを想い描くのにはもう十分であろう。1950年万博が実現した場合には、ベルリンの一角に隅々までヒトラーとシュペーアの意向が浸透した未来都市が出現し、そこには「アーリア民族の優秀性」を示す数多くの大ドイツ芸術や高性能の工業製品が展示され、壮大な光のスペクタクルが演出されていたに違いない。そして半年間の会期終了後、その未来都市は「世界首都」ベルリンの一部として組み込まれていたことだろう。そしてそれは、ショッカーが世界征服の野望を実現した暁に建設されるであろう都市の姿でもあった。

もちろん、仮面ライダーの世界観にあっては、そうしたショッカーの野望を実体化した都市は世界征服の実現を意味するものであり、決して出現してはならない、もしくは徹底的に破壊されなければならないものであった。その意味では、ライダーと怪人の決斗の多くが廃墟を舞台としていたこと、敗れた怪人が木っ端みじんに吹き飛ぶことは決して偶然ではない。第79話「地獄大使‼恐怖の正体?」で大幹部地獄大使がライダーに敗れ、首領がアジトを放棄したことでショッカーは崩壊し、その野望は潰えるが、それはあたかもヒトラーの自殺によって崩壊した第三帝国の最期のようでもあった。万博跡におけるライダーとカメレオンの決斗は、その予兆ではなかったか。仮面ライダーには、華やかな万博会期中の映像よりも、会期終了後の廃墟の映像こそがふさわしい。

参考文献
『Kodansha Official File Magazine 仮面ライダー 特別版 vol.1ショッカー』(講談社 2005年)
リトル・ピープルの時代』宇野常寛(幻冬舎 2011年)
幻の万博 紀元二千六百年をめぐる博覧会のポリティクス』暮沢剛巳、江藤光紀、鯖江秀樹、寺本敬子(青弓社 2018年)