41歳で移住、タツノオトシゴ養殖をしながらまちづくりに勤しむ「コミュニティ大工」の働き
鹿児島には、大工ではない、いわば素人のDIYerが「コミュニティ大工」と称して空き家再生にバンバン取組んでいる例がある。そんな話を少し前から耳にしていたが、コロナ禍が続いていたこともあり、なかなか現地を訪ねられずにいた。ようやく鹿児島行きがかなったのは2022年の夏至の頃。思い切って行った甲斐はあった。鹿児島の「コミュニティ大工」が想像以上のものだったからだ。
その人、加藤潤さんは50歳代半ばの実に元気の良い男性だった。先ず経歴が面白い。41歳になるまで、加藤さんの人生は鹿児島とは全く関係がない。埼玉県出身の加藤さんは、大学卒業後、石油会社、商社、住宅メーカーに勤めていたが、何故か41歳の時に弟さんの誘いもあって、縁もゆかりもない鹿児島県頴娃町に移住し、タツノオトシゴの養殖事業を始めた。そして、長年空き家だった「竜宮苑」という名のレストラン跡を利用して、タツノオトシゴ関連の観光施設を立ち上げた。この頃から、NPO「頴娃町おこそ会」を通じて頴娃町での観光まちづくりに関わり始めた。その結果、かつて観光地でなかったこの町も、今では年間15万人程が訪れる観光地になっている。
加藤さんは元々DIY好きで、若い頃に築23年の中古住宅を購入し、DIYで改装を続けていた経験があった。長年空いたまま放ったらかされていたレストラン跡の建物も、自らDIYで改装した。頴娃町に引越してきた時には、家探しに苦労したが、何とか空き家を見つけ、自分で家主と直接交渉しDIYによる改修を行った。
これらのDIYによる空き家改修を通じて、その楽しさを実感し、自分には「やれる」という確信をもった加藤さんは、いよいよ自分以外の他人が使う空き家を改修するという新たな活動領域に踏み出していくことになった。その最初は、築100年の町家の再生。観光まちづくりとして成果を上げていた頴娃町の、今度は商店街の活性化というテーマを掲げる中で出会った空き家だった。その改修プロジェクトにおいて、加藤さんは、NPO「頴娃町おこそ会」のメンバーや地元大学の建築学科の学生を交えての片付けや改修工事にセミプロDIYerとして参加するとともに、プロジェクト全体のマネジメントを行った。2014年のことである。放置されていた築100年の町家は、新たな交流・宿泊施設に姿を変えた。
それから2020年までの6年間に、加藤さんは10棟もの空き家の再生を手掛けることになった。場所も頴娃町に止まらなくなった。そして、地方での空き家再生にはそれに合った方法が必要であり、自分たちの実践はまさにその空き家再生の新たな方法だという確信を強くしていった。
まちづくりの視点で空き家再生をはじめる
地方で放置されている空き家は、一般の都市部の不動産業がカバーしている業務範囲だけではどうにも動かないし、そもそも一般の不動産流通のようなことは経済的に成り立たない。だからこそ長年放置されてきたのである。それに対して、加藤さんの方法では先ず、空き家再生にまちづくりの視点を導入する。まちづくりの視点とは地域連携であり、その中での家探しであり、所有者との交渉である。そして、そこにプラスαとして不動産業的な契約書の作成、大工仕事的なDIYを加えて、それらを借り手がワンストップで利用できるようにしておく。古い空き家を貸せる人、借りたい人はいるので、そういう人たちを見出し仲介した上で、建物を「なおす」仕事も手掛けるという発想である。
